「マルティン・ルター」とは?思想と宗教改革・ルター派の特徴

「宗教改革」とは、16世紀のヨーロッパで巻き起こったキリスト教の革新運動のことですが、そのきっかけを作り、中心人物となったのが「マルティン・ルター」です。この記事では、ルターの宗教観をはじめ、宗教改革に至った経緯、また現代に続く「ルター派」の特徴について紹介します。



「マルティン・ルター」とは

まずは「マルティン・ルター」という人物について、紹介しましょう。

ルターはドイツの神学者で聖職者

「マルティン・ルター(Martin Luther、1483年~1546年)」は、ドイツの神学者・聖職者・作家・教授などの肩書を持つ人物です。教育に厳しい父に育てられたマルティンは、当初は法律家になるために大学へと進学しています。しかし、草原で激しい雷雨に遭遇し、その落雷に生命の危機を感じた経験から修道院入りを決意しました。そして、聖アウグスチノ修道会に入ることになります。そこから、「マルティン・ルター」の宗教家としての人生がスタートするのです。

ルターと言えば宗教改革の中心人物

「マルティン・ルター」は、16世紀のヨーロッパで巻き起こった「宗教改革」の中心人物として広く知られています。学生時代に世界史で、「マルティン・ルター=宗教改革」と結び付けて覚えたという人も多いのではないでしょうか。

ルターは、当時のカトリック教会に疑問を抱き、「95か条の論題」を発表します。それが、以後に続く宗教改革の始まりとされています。後ほど詳しく紹介しましょう。

「ルソー」はフランスの啓蒙思想家、ルターとは別人

世界史に登場する人物として「ルソー」の名に聞き覚えのある人も多いことでしょう。ルソー(ジャン=ジャック・ルソー、1712年~1778年)は、フランスの哲学者・政治哲学者として知られています。自由な人間によって、全員一致の約束で形成される理想的な国家を説いた『社会契約論』で有名です。その「平等主義的主張」は、フランス人権宣言にも大きな影響を与えたとされています。

上記からも分かるように、ルソーとルターは、全くの別人です。名前は似ていますが、活躍した時代も功績もことなりますので、混同しないようにしましょう。

「マルティン・ルター」と信仰・宗教

「マルティン・ルター」はなぜ「宗教改革」に至ったのか、その背景にあるルターの信仰、宗教観について紹介しましょう。

ルターは「神の義」に苦しみ、転機を迎える

ルターは熱心な修道生活を送る一方で、「神の義」に苦しみます。この「神の義」とは、「善行によって神は人を義とする」という考えで、この考えでは、どれだけ善行を尽くしても自らを義(正しい)とは言えない、とルターは考えたのです。そこで、「善行ではなく信仰によってのみ義とされる」、つまり「信仰を通して、神が義(正しい)と認めてくださる」という思想にたどり着きます(信仰義認)。これが、ルターの大きな転機となります。

罪が償えるとされる「贖宥状(免罪符)」に疑問を覚える

「神の義」の新しい理解に達したルターは、「贖宥状(しょくゆうじょう)」の濫用に目を向けるようになります。

本来であれば、罪の許しを請うには自らが悔い改めることが大切ですが、単に金銭を払い「贖宥状(いわゆる免罪符)」を購入するだけで償いが軽減される慣習は、贖宥の濫用であると主張したのです。中には、「贖宥状を買えばあらゆる罪がなくなる」「贖宥状を買っておけばのちの罪も軽減される」というように、金儲け主義の集団もいたことも、ルターが疑問を覚えた要因のひとつです。

また、そもそも、「贖宥状」によって軽減されるのは教会が定めた特定の「罰」のみであり、すべての「罰」はもちろんのこと、「罪」そのものは軽減されない、というのがルターの持論でした。

マルティン・ルターが「95か条の論題」を出す

1517年10月、ルターはかねてより感じていた「贖宥状」に関する疑問や批判を「95か条の論題」として発表します。これが、一般には「宗教改革」の発端となった出来事とされています。なお、ルターは「95か条の論題」を「ヴィッテンベルクの教会の門に貼りだした」とされていますが、実際には貼りだしたかどうかの史実はあいまいです。

また、当初ルターは、贖宥状の問題を糾弾するというよりは議論するのが目的だった、とも言われていて、「95か条の論題」は箇条書きやメモ書き程度の条項も多かったとされています。

ルターは教会内部の改革を目指すも破門に

ルターはカトリック教会を攻撃するような意図はなかったにもかかわらず、「95か条の論題」は広く出回り、多くの人の注目を集めました。そのことから、大きな問題へと発展します。様々な議論や論戦、交渉などを経てもルターがその思想を曲げなかったため、結局、1521年にルターの破門が正式に通告されることになるのです。

その後もルターは、自らの著作について撤回を求められた場合にも、「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない」との主張から、自らの信念を貫いたとされています。

「ルター派」の特徴とは

カトリック教会から破門されたルターですが、その教えは広がりを見せ、ドイツでも1555年に法的権利を認められるにいたります。「ルター派」は、日本語では「ルーテル」(日本福音ルーテル教会や日本ルーテル教団など)と呼ばれますが、この「ルーテル」は、「ルター(Luther)」のドイツ語読みに由来します。

宗教改革によって発生した「プロテスタント」の中でも、最大教派とされる「ルター派」の特徴は次の3点です。

「ルター派」は信仰のみを義とする

ルター派の特徴のひとつめは、「信仰のみを義とする」です。「良い行いをすることで、神は人を義とする」のではなく、「信仰心によって神は人を義とする」という教理を説きました。宗教改革のきっかけともなった中核的な教えです。

聖書のみを規範とする福音主義

ルターは、かつて議会で自らの著作について問われた際に「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない」と答えたとされています。ルター派の教えも同様で、「聖書に基づく信仰のみ」を説くのが特徴です。これを「福音主義」と呼びます。

すべての信仰者を等しく祭司とする

ルター派では、「すべての信仰者を祭司とする」という「万人祭司」の考えが特徴です。カトリックにおける一般信者と聖職者を区別する考え方とは対立するもので、特権階級への非難にも通じるものがあります。

以上の、「信仰義認」「聖書のみ」「万人祭司」の3つがルター派の中核的な思想と言われています。

まとめ

「マルティン・ルター」は、宗教改革の発端となった人物で、「信仰義認(信仰のみ主義)」を貫き、「聖書のみ(聖書に書かれたことのみを信仰する)」という思想を展開しました。余談ですが、カトリック教会で伝統とされていた「聖職者の独身」の慣習を打ち破ったのもルターとされています。現代でもその思想は「ルター派」として受け継がれていて、宗教史を語るうえで欠かせない人物のひとりです。