児童書として『シートン動物記』というタイトルに聞き覚えのある人は多いことでしょう。その作者こそが、「シートン」です。カナダの大自然に魅せられた博物学者「シートン」の生涯と、「狼王ロボ」で有名な『シートン動物記』について、またボーイスカウトの創設など「シートン」について紹介します。
「シートン」とは?
「シートン」とは博物学者であり、作家・画家でもある
「アーネスト・トンプソン・シートン(Ernest Thompson Seton、1860年~1946年)」とは、イギリス出身の博物学者です。
「博物学」とは、簡単に言うと、自然に存在するものすべてを研究する学問のことで、動物学・植物学・鉱物学などに分科することができます。シートンは、博物学者として以外にも、作家・画家としての肩書を持ち、自らの書物の挿絵を手掛けていることでも有名です。また、その代表作である『動物記』になぞらえて、「動物文学者」として紹介されることもあります。
イギリス出身のシートンですが、幼少期にカナダに移住し、晩年には、アメリカ国籍を取得しています。そのため、「アメリカの博物学者」と紹介されることもあるようです。
「シートン」の生涯とは?
シートンが博物学者や作家として大成するまでには様々な出来事がありました。シートンの生涯を紹介します。
「シートン」は厳しい父の勧めで絵を勉強、画家になる
シートンは、非常に活発な子ども時代を過ごし、カナダの大自然をこよなく愛する少年でした。高校卒業後、当初より志していた「博物学者」を目指しますが、父の反対に遭い、勧められるままに画家の道に進みます。美術学校を卒業後は、さらに絵の勉強をするため、イギリスへと渡ります。
「シートンは」特例で入館許可をもらうほど博物学に熱心
イギリス留学したシートンは、「大英博物館」に出会います。そして、ある時、博物館学の書物を数多く所蔵する併設の図書館に惹かれてしまうのです。しかし、当時19歳だったシートンは、年齢制限からその図書館への入館ができません。どうしても本が読みたいシートンは、特例の入館許可を得るために、館長に聞いた三名「イギリス王太子、イングランド国教会の大主教、首相」に手紙を書きます。シートンの熱意は見事に通じ、生涯使える「館友巻」を手に入れることに成功します。
その日からのシートンは、かねてからの夢である博物館学の本を毎日図書館で読み漁る日々を送ったそうです。しかし、無理がたたったのか、シートンは体を壊し、故郷であるカナダトロントに戻ります。
「シートン」はカナダの大自然に魅せられた
カナダに戻ったシートンは、体調を整えた後、兄の農場を手伝いながら動物の観察記録を作成するなどして過ごします。ほどなくして、シートンは、ニューヨークの出版社で絵の仕事をしたり、絵の勉強のためにパリへ留学したりと多方面で活躍します。しかし、いずれもカナダの自然が恋しくなり、度々故郷へと戻っていたようです。
シートンと自然も切り離せませんが、動物との縁も続きます。兄の農場でもライフワークのように動物観察を続けたシートンですが、仕事として絵を描いていた時期も主に動物を題材としていました。この経験がのちに『シートン動物記』として発表される数々の物語に通じることになります。
「シートン」はボーイスカウト創設者のひとり
大自然に魅せられたシートンは、「ウッドクラフト・インディアンズ」の創設者でもあります。「ウッドクラフト・インディアンズ」とは、インディアンの生活を理想とする自然主義をもとにした、少年団です。1902年のことでした。
なお、同時期には、「ウッドクラフト(森林生活法)」とキャンプに関して、雑誌に連載も開始、自らも『二人の小さな野蛮人』という本を出版し、ウッドクラフトの普及を始めます。こうした活動をさらに広めるべく、青少年教育に関心の高い「ロバート・ベーデン・パウエル」(1857年~1941年)に著書を送ったことが、ボーイスカウト発足のきっかけと言われています。
「シートン」はボーイスカウト脱退後も自然の素晴らしさを説く
ボーイスカウト発足の一端を担ったシートンは、のちに、米国ボーイスカウト連盟のチーフ・スカウト(理事長)も務めますが、意見の食い違いから同連盟を脱退しています。しかし、その後も自然主義としての活動は継続し、「ウッドクラフト・インディアンズ」で自然の素晴らしさを説いたり、自然保護・鳥類保護にも尽力しました。
『シートン動物記』とは?
シートンの著作『シートン動物記』とはどのような作品なのでしょう。『シートン動物記』に収録されている代表作とあわせて紹介します。
『シートン動物記』はシートンの著作物を指す日本題
日本では『シートン動物記』として知られていますが、実はこの呼び方は、日本におけるシートンの著作物の総称に過ぎません。その内容は、『私の知る野生動物 ( Wild Animals I Have Known )』 (1898年)や『灰色熊の伝記 ( The Biography of A Grizzly )』 (1900年)など諸作品に収録された全55話で、シートンが記した動物たちの生と死、体験をフィクションを交えながら書かれた動物物語です。
日本では1935年にはじめて日本語訳が発表されていますが、現代に至るまでに出版されている『シートン動物記』は、出版社や翻訳者によって巻数が異なります。
『シートン動物記』の代表作は「狼王ロボ」
『シートン動物記』の中でも、最も有名なのが「狼王ロボ」です。シートンは33歳の時、カランボーにいる知人から、家畜を襲う狼に困っているので助けてほしい、との依頼を受けます。この狼の群れを率いていたのが「ロボ」です。「狼王ロボ」という物語は、その時の体験をもとに創作されたものです。
「ロボ」に出会ったシートンは、その大きく力強い見た目だけでなく、驚異的な賢さにも驚かされます。その誇り高き狼「ロボ」とシートンとの出会いから「ロボ」が捕獲され亡くなるまでの話が「狼王ロボ」には描かれています。なお、和訳では「狼王ロボ」のほか「ロボ・カランポーの王」や「ロボ-」の邦題でも取り扱われています。
他にも、『シートン動物記』では、過酷な自然環境でたくましく生きるみなしご熊を描いた作品「灰色熊ワーブ」や、ロッキー羊とスコッティ爺さんの死闘を描いた「山の雄羊クラッグ」なども有名です。
まとめ
『シートン動物記』の作者である「アーネスト・トンプソン・シートン」は、自然をこよなく愛し、画家を経て、当初のあこがれであった博物学者の夢をかなえました。自然と動物に関する彼の著作を集めた『シートン動物記』は日本でも有名ですが、その挿絵もすべてシートン自身が描いたとされています。一方で、博物学者として以外に、ボーイスカウトの創設に尽力したという一面も持っています。彼の幅広い功績もぜひとも覚えておきたいものです。