「モーパッサン」の生涯とは?代表作『女の一生』や短編も紹介

「モーパッサン」はフランスの作家で、300以上もの短編小説を世に残したことで知られています。今回は「モーパッサン」とはどのような作家なのか、彼の生涯とあわせて紹介します。長編小説『女の一生』をはじめ、「モーパッサン」の代表作とともに見ていきましょう。

「モーパッサン」とは?

「モーパッサン」とはフランスの作家

「ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant、1850年~1893年)」とは、フランスの作家です。劇作家、詩人としても作品を残しています。「ブルジョワ」と呼ばれる、いわゆる中産階級の出身です。

モーパッサンは、パリ大学に進学するもその直後に普仏戦争に召集された過去を持ちます。その後、海軍省の小役人や文部省などで働く傍ら、叔父の友人でもあるフランス人作家「フローベール(フロベール、1821年~1880年)」の指導を受け、作品を執筆するようになりました。戦争での敗走経験から、戦争を強く憎んでいたとされています。

「モーパッサン」は自然主義として知られる

モーパッサンはいわゆる「自然主義文学」の作家です。「自然主義文学(自然主義)」とは、19世紀末のフランスにおける文学理論のひとつで、自然の事実を観察し、真実を描くとともに、あらゆる美化を否定する潮流のことです。「自然主義文学」は、社会の矛盾や人間の抱える欲望から目を背けることなく直視し、問題を提起したとも言われています。

モーパッサンはフローベールの指導を受ける中で、「自然主義文学」を提唱したとされる「エミール・ゾラ(1840年~1902年)」とともに活動をしています。ゾラを中心とした作品集『メゾンの夕』に収録されたモーパッサンの「脂肪の塊」は、彼の出世作です。

「モーパッサン」の生涯とは?

数多くの作品を世に残したモーパッサンですが、その生涯はどのようなものだったのでしょう。

若いころから目の病気に苦しむ

モーパッサンは若い時から、神経系の目の病気に悩まされています。彼が文部省を退職したのも、この目の不調が原因だったようです。長編小説『女の一生』で高い評価を受けた後は、別荘を購入したり、ヨットを持ったりと水辺での遊びを好んだようですが、目の病気は次第に悪化していったとされています。

モーパッサンはエッフェル塔嫌いでも知られる

フランスのパリと言えば、現代の観光名所と知られるエッフェル塔が有名です。このエッフェル塔は、1889年のパリ万博で建設されたものですが、モーパッサンはしばしば「エッフェル塔嫌い」と語られることがあります。

高さ300メートルの鉄筋作りのエッフェル塔は、当時、「伝統的な美意識に反する」との批判の声も強くありました。モーパッサンもそのひとりだったようで、「嫌でも目には入るエッフェル塔を見なくて済むように、塔内のレストランで食事をした」という話も残っています。

ただし、この逸話は、フランスの哲学者「ロラン・バルト(Roland Barthes、1915年~1980年)」の書籍『エッフェル塔』(1964年)にの一節によるところが大きく、実際に、エッフェル塔で食事をしたかどうかの史実は定かではないようです。

生涯独身をつらぬき、晩年は自殺未遂も

目の病気もあり、モーパッサンの執筆活動は1890年以降滞ります。晩年のモーパッサンは精神を病み、不眠や奇行などの末、自殺未遂を起こしています(1892年)。その後、精神病院に入院するも、42歳という若さでこの世を去りました。モーパッサンの作品には女性を題材としたものが多かったのですが、本人は生涯独身を貫いています。

「モーパッサン」の作品とは?

19世紀のフランス文学を代表する作家「モーパッサン」は、長編6篇をはじめ、数多くの短編作品や劇作品、詩集を遺しています。その中から代表作と呼ばれるものをいくつか紹介します。

短編小説「脂肪の塊」(Boule de suif)1880年

短編小説「脂肪の塊」は、作品集『メダンの夕』に掲載され、モーパッサンの文豪としての地位を確立したとも言われる作品です。モーパッサンが30歳の時でした。

物語は普仏戦争を題材としたもので、「ブール・ド・シュイフ(脂肪の塊)」とよばれる娼婦をはじめ、10人の旅行者と占領軍であるプロイセン軍の士官をめぐる話です。モーパッサン自身も、普仏戦争に召集され、敗走した経験があり、戦争に対する憎しみや戦争による自己中心主義を描いた作品と称されます。

「脂肪の塊」以前にも、短編「剥製の手」(La main d’écorché、1875年)や詩「水辺にて」(Au bord de l’eau、1876年)が雑誌に掲載されたことがありますが、「脂肪の塊」が実質的なデビュー作とも言われています。

長編小説『女の一生』(Une vie)1883年

モーパッサンの代表作のひとつ、長編小説『女の一生』は、全世界で有名な作品です。日本国内でも映画化・ドラマ化されています。

物語の主人公は男爵家に生まれた少女「ジャンヌ」です。17歳の彼女はこれから自分の人生に起こる素晴らしい出来事に思いを馳せて、素敵な男性と結婚します。しかし、新婚旅行から戻ると一転、現実に引き戻され、さらに夫の裏切りをはじめ様々な波乱が待ち受けているのです。その過激な展開は、現代においても多くの人を魅了し続けています。

長編小説『ベラミ』(Bel-ami)1885年

『ベラミ』は、新聞記者「ジョルジュ・デュロワ」を主人公とした物語です。容姿端麗な彼が、自らの美貌を利用し、次々と女性を愛人にし利用することで出世していく様が描かれています。タイトルの「ベラミ」とは、「美しい男友達」という意味で、主人公「デュロワ」のあだ名でもあります。

『ベラミ』は、その実在するモデルが誰かという点で物議をかもした作品でもあり、ジャーナリズム批判との批評を浴びたことからも世間に注目された一作です。

長編小説『モントリオール』(Mont-Oriol)1887年

『モントリオール(モントリオル)』は、モーパッサンの三作目の長編小説です。タイトルは、「オリオル爺さんの山」という意味で、温泉地の名称です。物語も新たに湧き出した温泉地を舞台にしたもので、金儲けを考えるユダヤ人銀行家の妻「クリスチァーヌ」の恋愛模様が描かれています。

長編小説『ピエールとジャン』(Pierre et Jean)1888年

『ピエールとジャン』はモーパッサンの長編小説の中では最も短い作品ですが、その巧みな構成から最も成功した作品とも言われる一作です。兄弟をめぐる物語で、両親の旧友と母の過去の不貞行為に気づいた兄ピエールをはじめ、弟のジャンや父が真実に悩み苦しむ様が描かれています。

なお、モーパッサンは、『モントリオール』の後にも『死の如く強し』(Fort comme la mort、1889年)と『我等の心』(Notre cœur、1890年)の2作の長編小説を執筆しています。

モーパッサンが執筆した短編小説は300以上

モーパッサンの長編小説はどれも高い評価を受けていますが、短編小説にも特筆すべきものがあります。デビュー作とされる「脂肪の塊」のほかにも「メゾン・テリエ」や「雨傘」「酒だる」など、モーパッサンが執筆した短編小説の数は300以上とされていて、短編集『テリエ館(メゾン・テリエ)』(La maison Tellier、1881年)をはじめ、多くの短編集を発表しています。

また、「水辺にて」をはじめとした詩や『ミュゾット』などの劇作品のほか、旅行記に至るまで作品の幅広さもモーパッサンの特徴です。

まとめ

モーパッサンの代表作、『女の一生』は日本で映画化・テレビドラマ化もされた名作です。彼の作品は高い評価を得ていますが、その短い生涯の中で300を超える作品を遺したことは、最も偉大な功績かもしれません。19世紀のフランス文学や問題提起色の強い「自然主義文学」を知るにはおすすめの作家のひとりです。