「修道院」とは何か?歴史や生活も紹介!「世界遺産」や映画も

「修道院(英語:monastery、convent)」は、西欧の数多くの映画や小説の舞台となり、また観光地としても人気です。ところが、修道院の歴史や修道士の生活などについては、あまり知られていないといえます。

この記事では、修道院とは何かについてと、その生活様式などを紹介します。あわせて、世界遺産の修道院や、修道院を舞台にした映画も紹介します。

「修道院」とは?

「修道院」とは修道士たちが集団で生活する場

「修道院」とは、修道士がキリスト教の精神にのっとって集団で生活する場のことです。英語では「monastery」と呼び、特に女子修道院は「convent」と区別して称することがあります。

「修道士」はギリシャ語で「モナコス」といい、「独りである者」という意味を持ちます。3世紀頃までは荒野で厳しい修行を行う独居型の修道士たちがいました。

初期キリスト教徒は一人で修行を積んでいましたが、4世紀頃からは共同で生活しながら祈りを捧げる集団生活の形態が生まれ、その生活の拠点を修道院と呼ぶようになりました。

「バシレイオスの修道規則」と「ベネディクトの戒律」により生活様式が定められた

現在のトルコ・カッパドギアに生まれたキリスト教神学者バシレイオス(330年頃~379年)は、修道院の体系的な規則を初めて作りました。バシレイオスは、エジプトやパレスチナなど回って修行者たちの様子を見て歩き、修道者が一つの場所に集まって規則正しく生活するのがよいと考えました。

バシレイオスは、祈りと労働、学問を中心とする生活様式を体系化し、「修道規則」を創りました。「修道院制の父」とも呼ばれたバシレイオスの教えは、東方の修道院の生活を方向づけ、基本となりました。

西方にも修道院が建てられるようになると、バシレイオスの規則とともに、ベネディクトゥス( 480年頃~547年)が設けた「戒律」が加わり、西ヨーロッパに広がりました。ベネディクトゥスは「西欧修道士の父」と呼ばれます。

「修道院」の生活や活動とは?

聖フランチェスコ「小鳥への説教」ジョット(1305年頃)
(出典:Wikimedia Commons User:Dencey)

「時課」に従う修道院の生活

修道院の生活においては、私有財産は認められず、外部世界とも厳しく断絶されます。祈りは「時課」と呼ばれる時間割に従って、早朝から深夜まで数回にわたって行われます。祈りとともに労働もバランスよく行われます。修道院の中には、集まって祈る場所、居室、食堂、図書館、農園などが設けられています。

中世の「修道生活」で重要な『聖書』の研究と「写本」

キリスト教は、ユダヤ教の聖典を『旧約聖書』として取り入れ、それを基にして新たに『新約聖書』を作り、2つを聖典としました。そのため、中世の修道士たちは聖書の研究と、それを正しく解釈し、深化させるためにギリシャ古典やヘブライ人の思想などを対象とする学問も重要な仕事でした。

また修道院は文化を継承する場所でもあったため、聖書や古典を書き写す写本の仕事も重要でした。キケロなどの文学書や、タキトゥスの歴史書など、修道院の写字室のおかげで伝えられた書物も多くあります。

中世ヨーロッパの修道院においては、組織的に写本が作られ、写本には美しい挿絵が描かれ、芸術としての価値も高いものが生み出されました。修道院の中心には、本を保管する図書館と、写字室が設けられていました。

■参考記事
「写本」の意味や歴史とは?「装飾写本」の『ケルズの書』も紹介

「修道院」ではビールやお菓子も作られる

修道院は祈りや聖書の研究の他に、修道院の目的や理念によって、学校を運営したり、慈善活動を行ったりします。また、労働で得た生産品を流通させ、収入も得ています。

修道院の特産品として有名なものも多くあり、フランスのグランド・シャルトルーズ修道院のリキュール「シャルトルーズ」や、ベルギーのオルヴァル修道院で醸造されるビール「オルヴァル」などが有名です。

また修道院では、ジャムやお菓子作りも行われます。お菓子の始まりは、ミサにおいて信者が食べる聖体拝領のパンや、祭日に食べる素朴なお菓子だったとされます。やがて世俗の菓子職人も作るようになり、祭日に教会に集まった人などに売るようになりました。

ヨーロッパの有名な「世界遺産」修道院とは?

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「モン・サン=ミシェル修道院」

観光地として最も有名な修道院は、フランス西海岸から数百メートル離れた岩山の上にそびえるモン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)だといえます。708年に司教オベールが、大天使ミカエルのお告げによって礼拝堂を造ったのが始まりだとされ、966年に修道院が造られ、増改築を経て13世紀に今の形になりました。

モン・サン=ミシェルは、中世からカトリックの巡礼地でもあり、1979年には「モン=サン=ミシェルとその湾」として、ユネスコの世界遺産に登録されました。

「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」

イタリア中部ウンブリア州にあるアッシジは、中世イタリアにおける最も著名なカトリック修道士、アッシジのフランチェスコ(1182年~1226年)の生誕地です。

古代ローマ時代からの歴史があるアッシジは、ウンブリア地方の穏やかな自然と、宗教建築群が一体化した美しい街で、「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録されています。

裕福な商人の子として生まれたアッシジのフランチェスコは、放蕩の生活の中で神の啓示を受けて改心し、全てを捨てて清貧の生活を選びます。フランチェスコは、無所有と清貧を主張するフランシスコ会を創設しました。

フランチェスコは鳥に説教したり、聖痕を受けたりするなど多くの伝説が語られており、その生涯は宗教画のテーマとしてもよく取り上げられます。中でも、フランチェスコ大聖堂に描かれたジョットのフレスコ画がよく知られています。

フランチェスコ大聖堂は、フランチェスコの功績をたたえて建てられたものです。そのほかにも、フランチェスコに従った修道女キアラの建てた女子修道院であるサンタ・キアラ修道院や、フランチェスコが祈りを捧げたサン・ダミアーノ修道院などがアッシジにあります。

修道院を舞台にした「映画」とは?

イタリアのサクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院

ウンベルト・エーコの小説をもとにした『薔薇の名前』

ウンベルト・エーコが1980年に発表した小説『薔薇の名前』は世界的ベストセラーとなり、1986年には同名で映画化されました。14世紀イタリアのカトリック修道院を舞台に、修道士が連続怪事件の謎を追うミステリー物語です。

修道院の写字室で写本に挿絵を描いていた細密画家アデルモが、図書館の塔の下の断崖で死体となって発見された第一の事件から物語が始まります。

エーコは北イタリアのサクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院からヒントを得て、高台の上に立つ威容の修道院の物語を構想しました。

映画における実際の撮影は、内部をドイツのエーバーバッハ修道院を改装して利用し、外観はパネルのセットが用いられました。中世修道院での生活や服装、慣習を忠実に再現しているため、中世修道士の生活に興味のある人も楽しめます。

聖フランチェスコの青春を描いた『ブラザー・サン シスター・ムーン』

『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1972年)は、清貧に身を投じたアッシジの聖フランチェスコの青春を、宗教的エピソードに沿って忠実に描いた青春映画の名作です。フランチェスコがどのようにして聖フランチェスコになっていったのかが、ウンブリアの自然とともにみずみずしく描かれています。

1989年にはフランチェスコの生涯を描いた映画『フランチェスコ』も制作されました。

グランド・シャルトルーズ修道院のドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』

フランス南東部の山中にあるグランド・シャルトルーズ修道院は、900年前に創立されて以来の、外部から遮断された厳しい修行生活が行われている修道院です。

ほとんど公開されることのない、謎に包まれた修道院の生活を記録した映画が、2005年に公開された『大いなる沈黙へ』です。映画は、修道士たちの静謐な生活が、季節を追ってドキュメンタリーとして記録され、ナレーションや音楽はつけられていません。

ヨーロッパで公開されると大評判となり、数多くの賞を受賞しました。

まとめ

「修道院」はキリスト教の発展とともに拡大し、西欧の学問や教育、さらに芸術においても大きな功績を残してきました。さらに修道院は映画や文学の舞台にもなり、また巡礼者や観光客を受け入れ、特別な場を提供しています。

なお、日本人にも人気のある、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の食堂の壁画として描かれ、修道士画家のフラ・アンジェリコの『受胎告知』は、サン・マルコ修道院(現在は美術館)内部の壁画として描かれています。

また清貧の修道士として人気の高いアッシジのフランチェスコは、ジョットやルーベンスなど、多くの画家が描き、その伝記も親しまれています。