「ヘンゼルとグレーテル」や「ブレーメンの音楽隊」など、誰もが一度は聞いたことのある『グリム童話』ですが、それを編集しまとめたのが「グリム兄弟」です。「グリム兄弟」とはどういった人物なのか、彼らの生涯とともに『グリム童話集』についても紹介します。
「グリム兄弟」とは?
「グリム兄弟」とは文学者ヤーコプとヴィルヘルムのこと
「グリム兄弟」とは、19世紀にドイツで活躍した民話収集家・文学者の兄弟「ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム(Jacob Ludwig Karl Grimm:1785年~1863年)」と「ヴィルヘルム・カール・グリム(Wilhelm Karl Grimm:1786年~1859年)」を指します。実は、二人にはほかにも兄弟がいますが、「グリム兄弟」と呼ばれているのは、主に、兄のヤーコプと弟のヴィルヘルムの二人です。
グリム兄弟は、日本では『グリム童話集』として知られる『子どもと家庭のメルヒェン集(Kinder- und Hausmärchen)』(1812年~1815年)を編集したことで有名です。その挿絵を描いたとされる弟「ルートヴィッヒ・エミール・グリム(Ludwig Emil Grimm)」(1790年~1863年)をあわせた3名を指して「グリム兄弟」と言うこともあるようです。
グリム兄弟はドイツ語の言語学者として名高い
父が法律家で裕福な家庭に生まれたグリム兄弟でしたが、その父を幼くして亡くしています。その後は叔母の援助を受け、二人はマールブルク大学法学部に入学しました。そこで、古代ゲルマン文学や言語学、法律やメルヒェン(伝説や寓話)に興味を持ちます。なお、1806年頃にはすでに、のちの『グリム童話集』(1812年~1815年)となる童話(昔話)の聞き取りを兄弟で開始していたようです。
兄ヤーコプは、1808年、図書館員としての仕事に就くかたわら、ドイツ語に関する研究に時間を費やしました。ヤーコプの言語学者としての功績は素晴らしく、のちに「グリムの法則」と呼ばれるドイツ語文法の原則を含む『ドイツ語文法』(1819年)を執筆しています。また、その著書『ドイツ神話学』(1835年)では、神話学や民俗学の基礎を築いたとされています。
グリム兄弟の性格
グリム兄弟の兄は政治的にも活躍
グリム兄弟の兄ヤーコプは、言語学者や文学者としての一面に加え、政治的にも活躍した人物です。たとえば、国際会議である「ウィーン会議」(1814年~1815年)に出席し、ヘッセン選帝侯国の秘書として働いています。外交官としての活躍も見せたヤーコプですが、1815年には言語学研究や文学研究のためにその職を離れ、弟ヴィルヘルムと同じ図書館司書としての職につきました。
グリム兄弟の弟は地道な性格
弟のヴィルヘルムは、体が弱かったこともあり、兄のような表立った活躍はありませんが、地道な研究で確実な功績を遺しています。中世の詩歌や、ドイツ・古代デンマークの英雄譚研究のほか、物語詩の出版にも携わるなど、兄ヤーコプとともに、ドイツ語文献学などの研究基盤を築きました。
グリム兄弟は大学教授でもある
同じ図書館司書となったグリム兄弟ですが、主席図書館司書の後任の座を狙いますがかなわず、新たな地位を目指します。ちょうどその時期、二人はゲッティンゲン大学より招かれたことをきっかけに、大学で教鞭をとるようになります。
1837年の「ゲッティンゲン七教授事件」(国王への抗議書を巡りゲッティンゲン大学の7人の教授が追放・免職となった事件)で失脚するも、1840年にはベルリン大学に招かれ、その後は晩年まで教鞭をとり続けました。グリム兄弟は失職中の1838年から『ドイツ語辞典』の編纂をはじめ、その研究に生涯をささげています。生前には完成できなかった『ドイツ語辞典』は、1961年に完結しました。
グリム兄弟の代名詞的な作品『グリム童話集』とは?
「グリム兄弟」は日本では『グリム童話集』を編纂した人物として知られています。「グリム兄弟」を代表する作品『グリム童話集』について、もう少し詳しく紹介します。
『グリム童話集』はドイツの昔話を収集した童話集
日本でも有名な『グリム童話集(Grimms Märchen)』は、ヤーコプとヴィルヘルムの兄弟が編纂したドイツの昔話集です。大学在学中に、民話や昔話といった「メルヒェン」と呼ばれる物語に興味を持ち始めたグリム兄弟は聞き取りを開始、多くの物語を口伝えの形式で収集しました。そのため、『グリム童話集』に収録されている物語は、グリム兄弟が編纂したものですが、彼らが創作した童話ではありません。
日本で『グリム童話集』と呼ばれるものは、1812年に『子どもと家庭のメルヒェン集(Kinder- und Hausmärchen)』としてその初版第一巻が、1815年には第二巻が刊行されています。
『グリム童話集』はグリム兄弟によって第7版まで作成された
『グリム童話集』に収録された物語は、いずれも比較的短く、簡潔なストーリー構成が特徴的です。当初は、口承の形を保たれていたものの、表現が子供向きではない・飾り気がない・文章が荒々しいなど様々な批判が生まれ、改訂されていきます。特に、過度に残酷な描写や性的な描写は削除された部分が大きく、語り継がれた形よりも市民や子供が親しみやすい形へと変化していきました。
しかし、『グリム童話集』に学問的要素を求めた兄ヤーコプはこの改訂作業には積極的ではなく、弟ヴィンヘルムが主に担ったとされています。『グリム童話集』は、1857年の第七版が決定版です。
『グリム童話集』は子供の読み聞かせに関しては様々な議論も
第七版まで改訂されるにあたって、特に配慮されたのが子供への読み聞かせです。性的な表現に当たるとして、「妊娠」に関する記述も神経質なまでに削除されたとされています。また、実母による虐待の記述も、購買者である母親に配慮し、加筆修正されたものが多いようです。『グリム童話集』によくみられる「継母による継子いじめ」には、こうした背景があったのです。
一方で、刑罰に関する記述の残虐性に関しては、それほどナーバスではなく、「鳩が目を突く」など、残虐な方へと加筆修正されたものもあります。
『グリム童話集』の代表的な作品
『グリム童話集』に収録されている物語は、誰もが聞いたことのあるものがいくつも存在します。その一部を紹介します。
- 狼と七匹の子山羊
- ラプンツェル
- 灰かぶり
- ヘンゼルとグレーテル
- 赤ずきん
- ブレーメンの音楽隊
- いばら姫
- 白雪姫
- ガチョウ番の女
まとめ
「グリム兄弟」は、ドイツに伝わる「メルヒェン」を聞き取り、かの有名な『グリム童話集』を編纂したことで知られています。彼らが『グリム童話集』を発表したのは20代と若く、それ以降にはヤーコプは『ドイツ語文法』を、兄弟としては晩年まで『ドイツ語辞典』の編纂に尽力するなど、言語学者として大きな功績を残しています。兄ヤーコプの政治的活躍も含めると、『グリム童話集』は彼らのほんの一部と言えるでしょう。