「ルイ・ブライユ」の人生とは?点字との関係についても解説

「ルイ・ブライユ」は目が不自由な人が読み書きをする際に用いる「点字」の基礎を作り上げた人物です。彼はどのようにして「点字」を考案したのでしょう。「ルイ・ブライユ」の人生とともに、「点字」の発明や日本における「点字」の歴史について紹介します。



「ルイ・ブライユ」とは?

「ルイ・ブライユ」とはどのような人物なのでしょう。まずは、彼の生涯について簡単に紹介します。

ルイ・ブライユは「点字」の基礎を作った人物

「ルイ・ブライユ(Louis Braille、1809年~1852年)」は、フランスの盲学校の教師でありながら、19世紀に「点字」の基礎を作った人物として知られています。

彼は、フランスの「クヴレ」という村に生まれ、3歳の時に馬具を扱う父親の職場で誤って目を突いてしまい、片目を失明しました。さらに、この時の傷による感染症が原因で、5歳で両目を失明しています。

ルイ・ブライユは聡明さを見出され、王立盲学校に

当時は、「障害児に教育は不必要」という考えが主流でしたが、ルイ・ブライユはその聡明さを見出され、神父の取り計らいで学校に通い、優秀な成績をおさめました。さらに、10歳ではパリの盲学校に奨学生として入学します。

1819年「王立盲学校」にも進学し、そこでルイ・ブライユが点字を考案する際に参考にしたとされる軍事用文字「バルビエの暗号」に出会います。ルイ・ブライユは、この「バルビエの暗号」を改良し、「6点式点字」と呼ばれる現代につながる点字を考案したのです。

ルイ・ブライユは26歳で肺結核に、43歳で亡くなる

ルイ・ブライユは王立盲学校で学んだ後、盲学校教師として学校にとどまりますが、早くから病に苦しめられました。

セーヌ川沿いにあった王立盲学校は、建物が古く、多湿で非衛生的だったこともあり、生徒の多くが不健康だったと言われています。ルイ・ブライユも例外ではなく、26歳で肺結核を発症、1852年に43歳の若さで亡くなっています。

点字を作った人物「ルイ・ブライユ」の功績とは

若くしてこの世を去ったルイ・ブライユですが、現代に続く「6点式点字」という偉大な発明を遺しています。彼のその功績について紹介します。

伝令用の文字「バルビエの暗号」との出会いが転機

王立盲学校に進学したルイ・ブライユは、伝令用の文字として軍用されていた「バルビエの暗号」に出会います。フランス軍のシャルル・バルビエという人が考案したこの暗号は、夜でも触るだけで読めるのが特徴です。当時、「浮き出し文字」を使用した学習方法を採用していた盲学校に、バルビエ自身がこの「バルビエの暗号」持ち込んだとされています。

ルイ・ブライユはこの「バルビエの暗号(点字)」の利便性に驚く一方で、12点式でやや複雑な「暗号」に不自由さを感じることも増えていきます。そして、もう少し簡単に表せないものかと改良に挑むのです。

ルイ・ブライユは「6点式の点字」を考案

12点式の「バルビエの暗号(点字)」を改良し、ルイ・ブライユは「6点式の点字」を考案します。縦3点・横2列の計6つの点を用いたことで、指先で読み取るのにも便利になり、またアルファベット・数字記号なども表現できるようにしました。

ルイ・ブライユが最初にこの「6点式の点字」を考案したのは、14~16歳のころだったとされています。

盲学校卒業後も教員として点字の改良に努める

盲学校で学んだ後に、そのまま教員として学校に残ったルイ・ブライユは、自らが考案した「6点式点字」の改良・研究を続けていきます。その結果、アルファベット・数字に加え、アクセント記号のほか、音楽表現まで可能になり、目が不自由でもルイ・ブライユの「点字」(ブライユ式点字)を使うことで、楽譜を書き留めることもできるようになりました。

ルイ・ブライユの点字は現代でも活用されている

ルイ・ブライユの点字は画期的な発明でしたが、認められるには時間がかかり、政府公認となったのは彼の死後、1854年のことでした。

現在、世界各国で用いられている点字の基礎は、ルイ・ブライユの「6点式点字」です。また、ルイ・ブライユの誕生日である1月4日は「世界点字デー」とされています。また、英単語で「点字」を意味する「Braille(ブレイル)」は、ルイ・ブライユの名前に由来しています。このように、ルイ・ブライユの功績は、現代でも色濃く残っているのです。

日本国内における「ブライユ式点字」

ルイ・ブライユの考案した「6点式点字」は、もちろん、日本の点字でも基盤となっています。

ブライユ式点字の使用は1887年から

ルイ・ブライユの点字が日本にやってきたのは1887年(明治20年)とされています。現在の筑波大学付属視覚特別支援学校に当たる「東京盲唖学校」で、小西信八先生が教えたのが始まりです。生徒が読み書きを習得し、喜ぶ姿を見た小西は、他の教師・生徒とともに全校を挙げてブライユ式点字の日本語版を作るべく検討を積み重ねます。

日本人では石川倉次が「点字の父」と呼ばれる

教員・生徒を巻き込んだ点字の考案・選定の結果、四回目の選定会で教員「石川倉次」の案を採用することが決定します。1890年11月1日のことでした。ここから、石川は「日本の点字の父」と呼ばれ、また11月1日は「日本点字制定記念日」とされています。

その後、石川は、「拗音(きゃ・きゅ・きょのように1音節が仮名2文字のもの)」の点字を考案し、この「拗音点字」を含む点字が1901年に「日本訓盲点字」として官報に発表されるに至ります。

まとめ

ルイ・ブライユは10代半ばで、現代に通じる「点字」の基礎を考案した人物です。これによって、目が不自由な人の学びは格段に広がったとされています。現在、世界各国で使用される点字は、このルイ・ブライユの「6点式点字」を自国の言葉に合わせて改良したものが多く、まさに、現代に通じる偉大な発明と言えるでしょう。