「チェーホフ」の代表作は?『かもめ』『桜の園』など四大戯曲も

ロシアの劇作家「チェーホフ」は、短編小説「カメレオン」が学校教科書に掲載されたこともある作家です。この「チェーホフ」とは、どのような作家で、どのような作品を書いたのでしょう。『かもめ』や『桜の園』に代表される「チェーホフ」の「四大戯曲」とともに紹介します。



「チェーホフ」とは?

まずは、「チェーホフ」がどんな作家なのか、その概要から紹介します。

チェーホフはロシアの短編小説家で劇作家

「アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ」(1860年~1904年)は、ロシアの短編小説家・劇作家です。ロシアを代表する作家と呼ばれていて、彼の作品は日本ではもちろん、世界各国で愛されています。その作品は、登場人物の「人間臭さ」が大きな特徴と言われています。

ロシア文学史にとっては革命的だった

チェーホフは当時のロシアでは珍しく、短編小説を頻繁に執筆した作家です。19世紀のロシアでは、「長編小説」を重視する傾向が強く、第一線で活躍しながらも短編小説を数多く執筆した作家は、チェーホフがはじめて、とも言われています。そのインパクトは強く、「ロシア文学に革命を起こした」とも言われるほどです。

「チェーホフ」の生涯

チェーホフはどのようにして数多くの作品を発表したのでしょう。彼の生涯を紹介します。

チェーホフは医学部在学中から短編小説を寄稿

ロシアの港町に生まれたチェーホフは、父親が破産したことが原因で働きながら学校を出ます。19歳の時にモスクワ大学医学部に入学しますが、お金のために、雑誌にユーモア短編小説を寄稿するようになりました。この「生活費を得るために小説を書く」というのが、チェーホフの出発点だったのです。1884年に医学部を卒業してからも、チェーホフは、医師として働きながら執筆をつづけます。

ユーモア短編からの転機は老作家からの激励

チェーホフが本格的に作家を志すきっかけとなったのは、作家ドミートリイ・グリゴローヴィチ(1822年~1900年)からの激励がきっかけと言われています。1886年、ドミートリイ・グリゴローヴィチはチェーホフの才能を称賛するとともに、ユーモア短編を量産することは才能の浪費だ、という趣旨の警告をしたそうです。これを機に、チェーホフはより文学的な作品へと注力するようになりました。

23歳から結核に苦しみ、44歳で亡くなる

チェーホフは、若くして結核にかかり、病に苦しめられます。チェーホフの最後の作品であり、代表作のひとつでもある『桜の園』が初演されたのは、チェーホフの筆歴25周年の年でしたが、この時すでに病により衰弱していたとされています。そして、同年7月、44歳の若さで亡くなりました。

「チェーホフ」の代表作「四大戯曲」とは

チェーホフの作品では、代表作とされる4つの戯曲をあわせて「四大戯曲」と呼ばれる作品があります。ロシア演劇の名作と呼ばれる「四大戯曲」について紹介します。

『かもめ』

四大戯曲のひとつ『かもめ』は、チェーホフの劇作家としての名声を確固たるものにしたと呼ばれる作品です。1895年の秋に執筆、1896年に初演されています。

この初演は「失敗」と呼ばれることも多いのですが、1898年のモスクワ芸術座での再演では大きな成功をおさめ、チェーホフは名声を獲得しました。

『ワーニャ伯父さん』

『ワーニャ伯父さん』は、1899年にモスクワ芸術座で初演された戯曲です。副題には「田園生活の情景」と添えられていて、大学教授の持つ田舎の領地を舞台とした物語となっています。なお、この『ワーニャ伯父さん』は、1889年のチェーホフの戯曲『森の精』を改作したものです。

『三人姉妹』

『三人姉妹』は、軍人一家の三姉妹を主人公とした物語で、父の赴任地である田舎で退屈な暮らしを送る姿とともに、ロシア革命を目前に控えた時代の閉塞感を描いた作品です。初演は、1901年のモスクワ芸術座です。

チェーホフが、初演時に「三姉妹」の次女マーシャを演じた女優オリガ・クニッペルと結婚したことも有名です。

『桜の園』

『桜の園』は、1904年にモスクワ芸術座で初演、同年にチェーホフがなくなったことから、最後の作品となりました。『桜の園』では、「桜の園」を売り渡す崩落した貴族階級の女地主一家とその土地を買い取る新興商人の対比に、社会勢力の交代が見事に描かれています。

チェーホフの筆歴25年の祝賀も予定されていた『桜の園』の初演ですが、すでに病に衰弱していたため、舞台に立つことはできなかったそうです。

「チェーホフ」のその他のおすすめ作品

チェーホフの作品は、「四大戯曲」以外にも愛されている作品がたくさんあります。日本でも人気の高いものをいくつか紹介しましょう。

戯曲『プラトーノフ』

『プラトーノフ』は、チェーホフがはじめて書いた戯曲でありながら、死後20年近くたってから発見された「幻の戯曲」とも呼ばれる作品です。村の小学校教師である「プラトーノフ」を主人公とした物語で、妻子がありながら複数の女性に翻弄され破滅していく様が描かれています。

旅行記『サハリン島』

劇作家として有名なチェーホフですが、旅行記として『サハリン島』も残しています。これは、1890年にチェーホフ自身が訪れた「サハリン島」での記録で、当時流刑地だった「サハリン島」における囚人たちの過酷な環境・生活の記録です。この訪問は、作家としてのチェーホフの転機になったとも言われていて、1893年に雑誌にて発表、1895年に単行本化されています。

短編には「六号室」「犬を連れた奥さん」などの名作が

短編小説作家としてもファンの多いチェーホフですが、中でも専制政治下のロシア社会をえがき反響を巻き起こした「六号室」(1892年)や、避暑地を舞台とし不倫の恋を描いた「犬を連れた奥さん」(1899年)が人気の高い作品です。また、中編小説として、死を前にした老人の告白録「退屈な話」(1889年)もよく知られています。

まとめ

ロシアの劇作家チェーホフは「四大戯曲」をはじめ、数多くの作品を遺しています。病に倒れたチェーホフの最期の言葉は「私は死ぬ」であったと伝えられています。チェーホフの作品は、今なお世界中で愛される戯曲が多く、日本でも複数の作品が上演されているのも特徴です。短編集など本を手に取るのはもちろん、機会があれば舞台に足を運んでみるのもおすすめの作家です。