「ルノワール」の生涯と技法とは?モネとの関係や代表作品も解説

市民社会の幸福を描いた「ルノワール」。その華やかな色使いは、印象派の画家の中でも特に人気があります。ルノワールはどのような生涯を送り、どのような技法を用いて作品を描いたのでしょうか?この記事ではルノワールについて紹介し、代表作も解説します。

「ルノワール」とその生涯とは?

ルノワールの肖像写真(1875年頃)
(出典:Wikimedia Commons User:Lzur)

ルノワールはフランス「印象派」を代表する画家

ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir、1841年~1919年)は、フランス「印象派」を代表する画家です。ルノワールは女性を美しく描いた傑作が多いことが特徴です。

ルノワールは磁器で有名なフランスのリモージュに仕立屋の息子として生まれ、若い頃は陶器工房の絵付けの見習いをしていました。画家に転向するため、美術学校や画塾で学びを重ね、そのときモネやシスレーらと出会います。

ルノワールたちは、それまで伝統的に行われてきたアカデミックな美術教育から一歩を踏み出し、戸外に出て人々の風俗や自然を見たままに描こうとしました。やがてその作風は印象派と呼ばれるようになり、ルノワールはフランス印象派画家を代表する一人となりました。

「モネ」らとともに印象派絵画の市場をつくった

ルノワールは20代のとき、モネやシスレーとともにパリ郊外にあるフォンテンヌブローの森やセーヌ河畔で写生を行い、官展に応募を続けました。1864年に初入選を果たしましたが、伝統を重んじるサロンからは冷遇されました。

キリスト教や古典を主題として屋内で描く絵画が正当な絵画であるとされていた当時は、目の前の風景をありのままに写生する自由な絵の描き方は批判されました。モネの『印象、日の出』に対して、ただの印象を描いただけの未完成な絵だと批評家が述べたことが「印象派」の語源となりました。

ドガが発案し、ルノワールやモネたちは1874年に共同出資会社を設立し、顧客向けの印象派展を開催します。販売も目的としていた展覧会は1886年まで続きました。ルノワールの描く自然な肖像画は大人気となり、注文が殺到するようになります。

ルノワールは近代都市パリの風俗を描いた

19世紀前半までのパリは、細く入り組んだ街路沿いに建物が密集し、衛生観念がとぼしいことから不衛生でもある劣悪な環境でした。1852年にナポレオン3世がパリ大改造を命じ、大通りをはじめとする街路や建物が整備され、現代の都市の形に大改造されました。

ルノワールは、新しく生まれたばかりの近代都市パリを描きました。新興の街モンマルトルのダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や、セーヌ湖畔の娯楽場「ラ・グルヌイエール」などを舞台に、都市の人々が集う様子を華やかに描きました。

晩年は筆を手に縛りつけて絵を描き続けた

ルノワールは晩年はパリを離れ、南フランスのカーニュに家族とともに移ります。関節炎とリューマチにより、絵筆を握ることができなくなりましたが、絵筆を手に縛りつけて78歳で亡くなるまで絵を描き続けました。ルノワールは生涯を通じて多くの絵を描き続けた多作の画家で、3千点を超える絵画を残しました。

「ルノワール」の技法とは?

『舟遊びをする人々の昼食』1880-81年 フィリップス・コレクション(ワシントン)
(出典:Wikimedia Commons User:Pataki Márta)

移り行く光を捉える印象派の技法

ルノワールは「光の画家」と呼ばれます。印象派の絵画は、移り変わる光の質を正確に描写することが特徴です。

伝統的な画法では、絵の具を混ぜて色を作ってから描きますが、印象派の画家たちは色の発色を良くするため、絵の具を混ぜずにそのまま画面に置く筆触分割と呼ばれる技法を発案しました。これにより、混ぜると濁ってしまう絵の具の性質を避け、光を反射したり透過する色合いをみずみずしく描くことができました。

シュヴルールの色彩理論を実証

1839年にフランスの科学者シュヴルールが発表した『色彩の同時対比の法則とその応用』において、隣接する色の配色や補色による効果を研究した色彩理論が示されました。

例えば、補色を近くに置くことによって美しいコントラスト効果が得られたり、色相が似ている色を組み合わせると調和することなどです。ルノワールは色彩研究が進んだ時代に、屋外の自然光の中で理論を実証してゆきました。

「ルノワール」の代表作を紹介

第1回印象派展出品作品『桟敷席』1874年

『桟敷席』コートールド美術館(ロンドン)
(出典:Wikimedia Commons)

ルノワールの弟エドモンとモンマルトルのモデルを使い、当時人気があった観劇風景を描いた『桟敷席』は、第1回印象派展に出品され、好評を得ました。モノクロの衣装と赤い花の対比にパリの洗練された雰囲気が表れています。

可憐な少女像『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』1880年

『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』ビュールレ・コレクション(チューリッヒ)
(出典:Wikimedia Commons User:Hohum)

ルノワールは可憐な少女像を多く描きました。注文による作品だけでなく、モデルの名前がわからない私的に描かれた肖像画も多く残されています。

この作品はユダヤ系の銀行家カーン・ダンヴェールの長女イレーヌの肖像画です。モデルは8歳でした。美しい赤茶色の髪を、補色である背景の生垣の緑色が引き立てています。ブルーのドレスには黄色い光が入り、ここでも補色効果が生きています。

穏やかな色調の『ピアノを弾く少女たち』1892年

『ピアノの前の少女たち』オルセー美術館(パリ)

ルノワール51歳の成熟期を代表する作品です。当時の現代美術を扱うリュクサンブール美術館の依頼で描かれました。ブルジョワ社会の日常を穏やかな筆致で丁寧に描いています。

まとめ

印象派の画家の中でもとくに日本で人気が高い画家はルノワールとモネではないでしょうか。どちらの画家も、輝くような美しい色彩で人物や景色を描きました。

ルノワールはモネと生涯にわたって盟友であり続け、お互いの肖像画を描いたり、共作したりしました。二人とも長命で多作でしたが、モネの全作品2千点をはるかに超えて、4千点に届くほどの作品をルノアールは描きました。

ルノワールは「絵とは楽しむために描くもの」と語り、生涯それを貫きました。

■参考記事
「印象派」とは何か?絵画の特徴や代表的な画家と作品も解説