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「ドガ」はどんな画家?絵画の特徴・描かれた踊り子の意味も解説

「エドガー・ドガ」は華やかなバレリーナの絵画で知られる画家です。印象派の画家として紹介されることから、パリの都市生活の光を描いた画家だと思われがちですが、実は闇に注目した画家でした。この記事では、ドガの人物像とその絵画の特徴について解説します。代表作品も解説しています。

「エドガー・ドガ」とは?

ドガの自画像
(出典:Wikimedia Commons User:Scewing)

「ドガ」とは”バレリーナ”の絵で知られる印象派の画家

エドガー・ドガ( Edgar Degas、1834年~1917年)とは、フランスの印象派の画家です。踊るバレリーナの一瞬を写実的に描いた絵画で知られています。

伝統的な古典的絵画様式から離れ、目の前の風俗や都市生活者をテーマとして、日本美術の構図などを取り入れながら革新的な絵を描きました。

印象派の先駆者マネを中心としたグループの一員であり、印象派展にもたびたび出展していたことから、印象派の画家として位置づけられています。しかしドガ自身は印象派と呼ばれることを好みませんでした。

ドガはブルジョワの家に生まれた「前衛的アウトサイダー」

ドガはパリで銀行を経営するブルジョワ一族の家に生まれました。同時代の先駆的な画家の多くは生活に困窮しながら絵を描きましたが、ドガは父からの経済的援助を得ることができました。

ドガは上流階級の環境で育ち、教養や洗練さを身に着けたパリジャンである一方、尊大な毒舌化でもありました。権威や大衆におもねることを嫌い、古典絵画を踏襲しながらも、独自の前衛的絵画を切り開くアウトサイダーでした。

ドガは「印象派グループの創設者」だったが距離を保っていた

ドガは保守的な美術アカデミーやサロン(官展)を見限り、印象派の画家たちとともにのちに印象派展と呼ばれるようになるグループ展を開催します。印象派展は1874年~1886年まで合計8回開催され、ドガはそのほとんどに参加します。この印象派展に参加した画家たちを印象派と呼びます。

ドガは自身が中心となったにもかかわらず、印象派の枠組みに入れられることを嫌っていました。印象派に特徴的な色彩分割法も用いず、戸外での絵画制作もしませんでした。

ドガは「現代生活の古典画家」を自称し、独自の様式で独立した立場にいたいと考えていました。ドガが印象派展に積極的に関わっていたのは、当時の美術界を支配していた美術アカデミーやサロンに対する対抗心ゆえだったのです。

「ドガ」の絵画の特徴とは?

ドガ『舞台のバレエ稽古』(1874年)
(出典:Wikimedia Commons)

社会の闇や都会の憂鬱を客観的に描いた

ドガは徹底したニヒリストの目でパリの現実を見つめ、社会の矛盾や闇、都会の憂鬱を描きました。

ドガはオペラ座に通いつめ、バレリーナを熱心に観察し、バレエを主題とした絵を多く描きました。しかし華やかで美しいバレエの世界を描いたのではなく、そこに潜む現実の闇を描き出すことが主題でした。

当時のバレリーナは、労働者階級の仕事であり、バレリーナたちは貧しい生活から這い上がるため、良いパトロンを探すのに必死でした。バレリーナは娼婦と同列に見られていたという現実があり、ドガはそのような歪んだ社会をバレエ絵画で描いたのです。

また、仕事を持つ女性はブルジョワジーに軽蔑されていた時代で、ドガ自身もバレリーナやオペラ歌手などを差別的に見ていたという研究もあります。

バレリーナを描いた作品以外でも、ドガの視点は歪んだ社会に向かっていましたが、社会問題に関心があったわけではないというところが、ドガの持つ複雑な人間性が持つ一面を表しています。

完璧なデッサン力で一瞬を切り取った

ドガは幼少の頃から高いデッサン力を示し、22歳のとき、芸術に造詣の深い父親からの支援によりイタリアで修行します。3年にわたってイタリアの巨匠たちの絵画を模写したり、ルネサンス美術を研究したりしました。

ドガは完璧なデッサン力を身に着け、鋭い観察眼で切り取った人物の一瞬の動きを画面に再現することができました。同時に、対象には感情を入れず、ありのままの現実を客観的に描きました。

「ドガ」の代表作品を紹介

『踊りの花形(エトワール、または舞台の踊り子)』(1878年頃)

(出典:Wikimedia Commons User:Alonso de Mendoza)

ドガの代表作で、一番人気のある作品が『踊りの花形』(※『エトワール』または『舞台の踊り子』とも呼ばれる)です。

舞台の上でポーズを決めるエトワール(プリマ・バレリーナ)が描かれた美しい作品ですが、本来は見えないはずの、舞台の奥に立つ黒い服を着た男がこの作品のポイントです。男は少女を金で買ったパトロンなのです。

『アブサン』 (1876年)


(出典:Wikimedia Commons)

この作品は、ドガの都市の風俗をテーマとした作品を代表するものとして有名な作品です。アブサンを前に、うつろにカフェに座る二人の男女が描かれています。アブサンというのは当時流行したアルコール度数の高い安価なリキュールです。

二人の後ろにある鏡に映ったぼんやりとした影が、都市の孤独を強調しています。ドガは、都市の市民生活の暗い面に興味を持っていました。

まとめ

愛らしいバレリーナの絵が人気のドガですが、実はその光景は、都市の悲哀を写し取ったものでした。またバレリーナには実は興味はなく、一瞬の動きを追い求めることに主眼が置かれていました。

ブルジョワ階級のニヒリストだったドガは、独自の視点でパリの風俗を描き、アメリカの富裕層に大人気となり、富と名声を得ました。

ドガの人物像は多面的に語られますが、辛辣な人物であったことは確かなようです。晩年は失明状態となって人を遠ざけ、孤独の中に亡くなりました。

■参考記事
「印象派」とは何か?絵画の特徴や代表的な画家と作品も解説