「フラゴナール」とはどんな画家?代表作品『ぶらんこ』の背景も

「フラゴナール」は18世紀フランス・ロココ芸術の最期を飾った画家です。代表作『ぶらんこ』は、奔放的な恋愛情景を描いたロココを代表する作品として知られています。この記事では、フラゴナールとはどんな画家だったのか、絵が描かれた時代背景とともにその生涯と作品を解説します。

「ジャン・オノレ・フラゴナール」とは?

フラゴナール自画像
(出典:Wikimedia Commons User:Andrew0921)

「フラゴナール」とはロココ期の最後を飾った画家

ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732年~1806年)とは、18世紀に興隆したロココ期の最後を飾ったフランスの画家です。

18世紀のフランスは、過剰な装飾や歴史画が特徴の前世紀のバロック様式に代わって、優美さや繊細さ、親しみやすさが特徴のロココ芸術が全盛となった時代でした。

フラゴナールは王侯貴族の肖像画や、享楽的な貴族の風俗画などを軽快なタッチで描きました。ロココの巨匠ブーシェとともにロココ美術を代表する画家のひとりです。

自由奔放な想像力で伸びやかに恋愛情景を描いた

18世紀のフランスでは、華麗なロココ美術の広がりとともに、「人間の恋愛」が描かれるようになりました。それまでの西洋美術では、愛のテーマは神話の神々を主役として描かれることが伝統的な常識でした。

自由奔放な想像力と高い技術を持つフラゴナールは、自然を舞台とした自由な恋愛情景や、生き生きとした肖像画を得意としました。またロココ期の絵画は耽美的な表現が好まれましたが、フラゴナールはそのような主題でも品のある伸びやかな絵画に仕上げることができ、人気を博しました。

フラゴナールの生涯とは?

ブーシェの肖像画
(出典:Wikimedia Commons User:Rsberzerker)

ロココの巨匠「ブーシェ」に師事した

1732年、フラゴナールは南フランスのグラースに生まれ、その後家族とともにパリに出ます。ロココ絵画の巨匠として活躍していたブーシェに師事し、20歳の若さで王立アカデミーで賞を受賞、国費でローマ留学を果たします。

ブーシェはフラゴナールより30年ほど早く生まれたロココ時代の画家です。ルイ15世の庇護のもと、王の主席画家としてシノワズリー(中国趣味)の連作や、国王の公妾ポンパドゥール夫人の肖像画などを描きました。

■参考記事
「フランソワ・ブーシェ」生涯と作品の特徴とは?『化粧』も解説

ロココが終焉すると忘却されるが19世紀に再評価された

宮廷文化として栄えたフランス・ロココ芸術はフランス革命によって終焉します。それまでの装飾的・官能的なバロックやロココに対する反発から、ギリシャの古典芸術を規範とする荘重な新古典主義にロココはとってかわられました。

ロココは堕落した芸術として批判の対象となり、焼却された絵画もありました。フラゴナールは、新しい様式に対応しますが、世間からは忘れされられ、静かに74歳の生涯を閉じました。

19世紀の半ばまでフラゴナールは忘却されていましたが、18世紀の美術を再発見する動きの中で再び脚光を浴びました。

フラゴナールの代表作品を紹介

ピーク時の代表作『ぶらんこ』(1768年頃)

(出典:Wikimedia Commons User:Alonso de Mendoza)

フラゴナールの代表作『ぶらんこ』は、当時の貴族の恋愛情景を明るく快活に描いた、ロココ美術を代表する作品です。

ある男爵が、愛人がぶらんこに乗り、その足元を覗く自分を描いてほしいと歴史画家に注文したところ、その軽薄さから断られ、フラゴナールが紹介されたという逸話があります。

絵画では、庭園に茂る木の下で若い女性がぶらんこに乗り、足元の男に向かって靴を飛ばしています。キューピッド像が内緒と言うように口に指を立てています。当時ぶらんこは性を暗示するモチーフでした。

驚くことに、そのぶらんこの綱を暗がりの中で引く男は、当初の依頼では司教の設定でしたが、フラゴナールが女性の夫に変更して描きました。ロココの恋愛至上主義の時代には、妻の浮気を夫が黙認するような性に奔放な時代だったといいます。

現代から見るとこの情景は倒錯しているように感じますが、フラゴナールの持つ解放的な世界観と高い技術が品の良い作品に仕上げています。この作品は、発表当時評判となり、また現代においてもロココ絵画の代表作品としてしばしば紹介されます。

新時代への過渡期の作品『逢い引き』(1771~1773年頃)

(出典:Wikimedia Commons)

『逢い引き』は、フランス国王ルイ15世の公妾デュ・バリュー夫人からの依頼で制作された、「恋の成り行き」をテーマとした4枚の連作のうちのひとつです。「恋の成り行き」の連作は、夫人が国王から与えられたルーヴシエンヌの館の改装に際して注文されたものでした。

フラゴナールは空想の舞台に繰り広げられる男女の駆け引きを連作にして、それまで通りの享楽的で華やかな色彩で描きました。『逢い引き』では、貴族だと思われる若い男女の密会がどこかユーモラスに描かれています。

しかし夫人はその連作を気に入らず、画家に返却してしまいます。フラゴナールに代わって館に飾られたのは、新古典主義のジョゼフ=マリー・ヴィアンの作品でした。絵画が変更された原因は詳しくはわかっていませんが、館の内装が新古典主義の装飾がされていたため、様式の不一致からだともいわれています。

ジョゼフ=マリー・ヴィアンは、1789年に国王ルイ16世の筆頭宮廷画家となった、新古典主義を代表する画家です。

まとめ

フラゴナールは、師でもあったブーシェとともにロココ美術を代表する画家のひとりです。甘美で享楽的な時代のフランスで、時代の要請に応えながらも自由で伸びやかな作品を手がけました。

ロココが終焉すると、半世紀以上も忘れ去られていましたが、19世紀の半ばに再評価され、絵画史の中で重要な作家と位置づけられています。

代表作品の『ぶらんこ』の構図は、ディズニー映画『アナと雪の女王』の中で、快活なアナがブランコを漕ぐシーンに引用されています。