「肖像画」の意味とは?人物画との違いや歴史・有名作品も解説

「肖像画」は美術の中でも最も古くから描かれたジャンルで、時代によって意味や役割は変わりました。肖像画にはどのような歴史があるのでしょうか?この記事では「肖像画」の意味や歴史について解説します。あわせて各時代ごとに有名な作品を紹介します。

「肖像画」の意味や英語とは?

「肖像画」の意味は”特定の人物の顔や姿を表現した絵画”

「肖像画」とは、”特定の人物の顔や姿を表現した絵”という意味です。写真で表現されたものは肖像写真と呼ばれます。

肖像画は直接モデルを前にして写実的に描かれるものの他、理想化されたり戯画化されて実際の人物とは多少異なる姿で描かれるものもあります。いずれにしても、優れた肖像画とは、「その人が感じられるかどうか」であるとされます。

肖像画は、古くは古代エジプトや古代ローマ時代から盛んに制作されました。芸術作品として広く描かれるようになるのはルネサンスが誕生する15世紀以降です。

「人物画」は”人物が描かれた絵画”という意味

「肖像画」の他に、人物が描かれた絵を”人物画”と呼びます。風景を描いた風景画、静物を描いた静物画などに対して、人物を描いた画を人物画と呼びます。

肖像画は特定の人物について、その内面も含めてその人とわかる顔や姿、あるいは比喩などを用いて表現したものですが、人物画は人間の姿・形を描いたものです。人物画には、風俗画や歴史画、裸体画などが含まれます。

「肖像画」は英語で”portrait”

肖像画や肖像写真は英語で「portrait」と書きます。カタカナ語”ポートレート”の語源です。

「portrait」および「ポートレート」は、肖像画のほかに肖像、肖像写真の意味を持ちます。加えて、簡単な文章による人物描写の意味もあります。

「肖像画」の歴史とは?

古代世界で身近だった肖像画は中世期には描かれなくなった

肖像画は、写真がなかった時代に、権力者や貴族などが自身や家族の生きた証を残す目的や、経済力を誇示するためなどの目的で制作されました。

古代エジプトや古代ローマでは、一般の人々もフレスコ画やモザイク画などで写実的な肖像画を制作していました。肖像画は、葬送儀礼や祖先崇拝と結びついていました。

しかし4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教となると、人間は神より劣るとする考え方が広まり、肖像画はすたれてゆきます。中世の時代にはキリスト教美術が絵画の主流となり、ルネサンスの時代まで肖像画は注目されなくなりました。

ルネサンス誕生から独立した芸術作品として描かれるようになる

15世紀に「古代の再生と人間性の復活」を掲げたルネサンスが誕生すると、個人の肖像画が芸術作品のひとつの独立した分野となり、王侯貴族や聖職者を対象に盛んに描かれるようになります。

とくにネーデルラント地方では、写実的な肖像画が発達し、絵画における重要なジャンルとなりました。ドイツ出身のデューラーやクラーナハ(父)は世俗の人々の肖像画をたくさん描きました。

16世紀前半のドイツでは、宗教改革の影響により、キリストや聖母マリアなどを描いた宗教画に代わるように、君主や貴族たちの肖像画が描かれるようになりました。

バロック期からは一般庶民の肖像画が描かれるようになる

ルネサンスが終焉し、17世紀のバロック期に入ると、王侯貴族や聖職者といった支配階級の人物のみが対象であった肖像画が、一般庶民の間でも描かれるようになります。

絵画のジャンルも多様化し、宗教画の聖人のイメージに個人が重ねられた宗教画のような肖像画や、風俗画のような肖像画も描かれるようになります。

近代以降は画家の世界を追求するモチーフとして描かれる

19世紀中頃に写真技術が確立されると、写実することが重要であった肖像画の目的は後退し、画家の世界を追求するモチーフとして肖像画が描かれるようになります。写実性を失った肖像画であっても、描かれた人物の個性や人間の内面性を感じさせる作品が良い作品として評価されています。

各時代ごとの有名な肖像画作品を紹介

16世紀の肖像画:レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』

(出典:Wikimedia Commons User:Dcoetzee)

世界で最も知られた肖像画が、ルネサンス期に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』(1503年~1506年頃)です。モデルが特定されていないことや、神秘的な微笑み、そしてレオナルドが生涯手放さなかったことなどから謎の多い神秘的な肖像画としても知られています。

自然の風景と肖像を融和させた形式や、レオナルドが創始した輪郭をぼかして描くスフマート技法など、当時の革新的な作品でした。

17世紀に流行した群像肖像画:レンブラント『夜警』

(出典:Wikimedia Commons User:Steinsplitter)

バロック期を代表するオランダの画家レンブラントの代表作『夜警』は、当時流行していた市民の群像肖像画を一歩進めて、平凡な並列構図や不動の姿勢ではなく、臨場感あふれるドラマ性を取り入れて描いたことが革新的でした。

なお『夜警』は通称であり、正しくは『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』というタイトルです。ニスが黒ずんでいたため「夜警」と呼ばれるようになりましたが、実際はアムステルダムの自警団の昼間の出陣式を描いています。

国王の肖像画のひな形となった18世紀の肖像画:リゴー『ルイ14世の肖像』

(出典:Wikimedia Commons User:Abdicata)

威厳を重視した前世紀の肖像画から、親密で個性の表現を重視した様式へと18世紀の肖像画は変化しました。古典主義からロココ美術への変化のあらわれでもありました。イアサント・リゴーは1701年に、これ以降の国王の肖像のひな形ともなる『ルイ14世の肖像』を描きました。

鬘をつけて、コントラポストの姿勢(体重を片足にかけ、もう一方を自由にして動きを出すポーズ)を取り、右手に王権の象徴である笏(しゃく)を持ちます。カーテン奥の円柱は国王の力を象徴しています。青、黄、オレンジ、白の色彩が重々しいカーテンやマントの豪華さを引き立たせています。

リゴーが構成した王の肖像は、ルイ15世、ルイ16世、そしてナポレオンの肖像画に継承されてゆきました。

近代肖像画の傑作:マネ『菫の花束をつけたベルト・モリゾ』

(出典:Wikimedia Commons)

近代絵画の父と呼ばれるマネの描いた近代肖像画の最高傑作とされるのが『菫の花束をつけたベルト・モリゾ』です。モノトーンの背景に黒い衣装と帽子を身に着けた一人の女性が逆光の中に浮かび上がっています。マネの鮮烈な「絶対的な黒」が、近代女性の個性を感じさせます。

まとめ

「肖像画」は古代ギリシャ・ローマの時代から、写真のかわりに制作された身近なものでした。芸術のカテゴリーとして肖像画が描かれるようになるのは、古代芸術と人間性の復活を掲げた15世紀のイタリア・ルネサンスの時代からです。

人間の姿や形を写し取るだけの人物画とは違い、肖像画は特定の人物の内面を映し出すことが重要視されます。肖像画の発達とともに、画家が自身の内面を描く自画像も発達してゆきました。

■参考記事
「自画像」とは何か?描き方や歴史と有名作品・画家を紹介