「不可知論」の意味とは無宗教のこと?「無神論」との違いも解説

「不可知論」はもともと哲学用語でしたが、「無宗教」や「無神論」というような、宗教に関連する意味合いで使われることが多い言葉です。この記事では、難解といわれる「不可知論」の意味を知るために、哲学や宗教とのかかわりや「無宗教」「無神論」との違いについても解説しています。

「不可知論」の意味とは?

「不可知論」とは人知を超えたものは扱わない立場

「不可知論」は本来、哲学用語です。哲学では、ものごとは経験や現象という人が認知できるものと、その背後にある超経験的なものや本質的なものとに区別され、後者の存在は認識できないもしくは存在そのものが不確実であるとしています。

ものごとの本質や実在の根拠のようなものは、人間が自分の感覚や経験で認識できるものではありません。つまり「不可知論」では、人知を超越する問題は扱わないとする立場をとっているのです。

扱わないということは、肯定や否定という立場を取らないということのほか、そのような問題の存在そのものを認めないということも含まれます。

「不可知論」はまな板に乗せないという立場

「不可知」をそのまま読めば「知ることができない」という意味ですが、この場合の「知」は、単なる知識としての「知」ではなく実体験のほか、計測や証明することができるものを指しています。つまり、「不可知論」は人間が認識できないものについて、論議のまな板に乗せないという考え方です。

「不可知論」は英語で「agnosticism」

「不可知論」は、英語だと「agnosticism」という言葉が対応します。「不可知論者」を意味する「agnostic」に、「主義・主張・学説」を表す接尾辞「-ism」がついた言葉です。

「agnostic」は、霊的なものに関する知識があることを指す「gnostic」に否定の意味を加える接頭辞「a-」がついたもので、「be agnostic on ~」というように「~については分かりかねる」という使い方もされています。

「不可知論」と「無宗教」との関係

不可知論者には「無宗教」が多い

「無宗教」とは特定の宗教への信仰、または信仰そのものを持たないという考え方や立場のことです。宗教においては、神の存在を信じることが根本にありますが、神は人間が計測・証明できるものではないのです。

「不可知論」において神や宗教は論議の対象外となるため、「不可知論」を持つ人は「無宗教」であることが多いのです。

「無宗教」だから不可知論者だとは限らない

「無宗教」では宗教的な主張をしませんが、神そのものを無視するものではありません。たとえば日本人の多くは「無宗教」で、特定の宗教に属していませんが、初詣や合格祈願、七五三などのように、神社へのお参りが定着しています。

つまり、やんわりとではあっても神の存在を認めていることになり、「無宗教」だから「不可知論」とは限らないのです。

「不可知論」と「無神論」との違い

「不可知論」と「無神論」の違いは神を論じるか否か

「無神論」は「神は存在しない」という意見ですが、「不可知論」は「神の存在は証明できないので論じない」という意見です。

つまり、「無神論」では積極的に神について否定する論議を展開していることに対して、「不可知論」では神を論議の対象外としているという点において、両者の立脚点は全く異なっています。

不可知論者には「無神論」が多い

「不可知論」では、神について論議しないという立場のため、神に対しては無知です。人間にとって、認識できないものは存在しないものと同様であるため、「不可知論」では神は存在しないことになります。

結果的に、神は存在しないと主張する「無神論」と「不可知論」は同じ結論に至るのですが、無神論者は不可知論者ではありません。

「無神論」では、神を論議のまな板に乗せています。この点で、神を論議の対象外に置いている「不可知論」から外れているため、無神論者は不可知論者ではありえないのです。

「不可知論」はパラドックス?

論じないと判断するために論じるという矛盾

「パラドックス」は、哲学の「弁証法」の元になった理論です。「弁証法」とは、二つの意見の矛盾点をを克服することによって真理に到達しようとする手法ですが、このときの検討課題となる矛盾する意見や矛盾そのもののことを「パラドックス」といいます。

「不可知論」では、神に関しては人知を超越した問題であるとして論じないと結論づけています。しかし、神が人知を超越しているという結論は神について論じたことによって得られたものであることから、「不可知論」は「パラドックス」にあたるという見方もできるのです。

まとめ

「不可知論」の意味について、哲学や宗教と絡めながら解説しました。日本人には理解しづらいことですが、海外で無神論者であると公言することは、時に人格まで否定されかねない危険な行為です。

そのため、信仰を持っていない人は「自分は不可知論者である」と発言することが増えています。世界中の宗教が同居でき、無神論についても許容される日本は、世界的に珍しい寛容な国といえるでしょう。