「見解」という言葉はビジネスの場をはじめ、テレビや新聞などでよく見聞きされます。「意見」と同じような意味合で使われることもありますが、使い分けのポイントを押さえておくと安心です。この記事では、「見解」の意味や例文、「意見」との違いに加え、類義語や敬語表現についても紹介しています。
「見解」とは?
「見解」の意味は”物事に対する考え方”
「見解」の意味は、“物事に対する考え方や見方”です。熟語に使われている「見」という文字は、みる・あらわすことを指しています。
もう一つの文字である「解」は、ときあかす・よくわかるということを表しており、両方の文字がいっしょになった「見解」は、物事を見てどう理解したのかということを示した言葉です。
「見解」は公的場面で用いられる
「見解」は一個人が私的な考えを述べるときではなく、社会的な問題に対して公的機関が考えを公表するときに用いられる言葉です。
ビジネスの場においても、「公式見解」として企業としての統一した考えや見方などを述べています。
仏教用語での読み方は「けんげ」
「見解」は一般的に“けんかい”と読みますが、仏教用語として使われるときには「けんげ」と読んでいます。「けんげ」と読むときの意味も、「けんかい」と読むときと同様に考えや理解のことです。
しかし仏教用語としての「見解」は、仏教の教えに即した正しい考えを特定して指しており、一般の人が思う浮かべる「見解」とは内容がやや異なっています。
「見解(けんかい)」を使った例文
「見解」を使った例文をご紹介しましょう。
- 景気の見通しについては、専門家の間でも見解が分かれている。
- 関係省庁の公式見解によると、間もなく事態は終息するらしい。
- 今回の不祥事について、社長の見解を聞かせてもらいたい。
「見解」と「意見」との違いとは?
「意見」とは私的な考え
「意見」とは、あることに対する自分の考え方や評価のことを表している言葉です。「見解」との違いは、誰がどこに対して考えや見方を言及するかという点にあります。
「見解」という言葉は、公的機関が広く認知されている問題についての考えを、社会に対して公式に言及するときに用いられることが一般的です。一方「意見」は一個人が私的な考えを述べるときに使われる言葉です。
「見解」には責任が伴う
「見解」は社会的な影響力が大きいため、内容には責任が伴います。そのため、慎重に検討したうえで発表される傾向が多くみられました。
しかし、SNS などの普及によって情報の伝達速度が高まったことから、個人的な意見であっても社会に重大な影響を及ぼす事例がみられるようになり、問題となることが増えています。
「意見」には忠告という意味も
「意見」には、自分の考えを述べることで他人を諌めるという意味もあります。 具体的には、言動に問題がある人に対して、自分の思うところを述べて改善するように働きかけることです。
なお「意見」のなかに建設的な内容が含まれていなければ、単なる感想や批判と受け取られかねません。
「見解」の類義語とは?
類義語①「考察」とはよく調べて考えること
「考察」とは、物事を明らかにするためによく調べて考えることを表した言葉です。「見解」が見方や考え方を指していることに対し、「考察」では”考察を加える・考察する”という用法が多いことからわかるように、考えるこそのもののことを指しています。
類義語②「所見」は見た結果の判断や考え
「所見」とは、物事や出来事を見て出した判断や考えのことで、詳しく調べた結果をじっくり見て出した考えではありません。熟慮してまとめた考えという意味の「見解」とは、この点で異なっています。
たとえば「医師による所見」という場合には通常の診察による診断であり、精密検査を行ったうえでの診断とは別の結果となることもみられます。
類義語③「所感」とは主観的な印象や反省のこと
「所感」とは、物事や出来事に対する印象や反省のことですが、「見解」に比べると、私的で主観的なものとなる傾向があります。
しかし、新年の抱負や方針などを述べる「年頭所感」からわかるように、「所感」は単なる感想を述べるだけにとどまりません。なお、仏教用語としての「所感」には、行為が結果としてもたらすものという意味があります。
「見解」の敬語表現とは?
謙遜による敬語表現は「愚見」など
自分を下げることで相手を立てる謙譲表現は、敬語の一つとしてよく用いられています。「愚見」とは愚かな見方という意味で、「愚見を申しますと」というように自分の考えをへりくだって述べるときに使う言葉です。
浅はかな考えという意味の「浅見」や、目先のことしか見ていない考えという意味の「短見」も、「愚見」と同様に用いることができます。
これらの言葉は敬語として以外にも、「愚見を言うな・それは浅見に過ぎない」というように、他人の見方や考えに対して使うこともできますが、相手の感情を逆なでしかねないので控えた方が無難でしょう。
尊敬による敬語表現は「ご高説」など
ストレートに相手への敬意を表すことによる「見解」の敬語としては、「ご高説」があげられます。すぐれた意見という意味があり、「ご高説を拝聴する」というように相手の意見を敬っていう言葉です。
同様に「見解」の敬語表現として使うことができる言葉として「卓見・達見」があります。いずれも優れた見識という意味ですが、優れた見識という意味の「卓見」に、さらに広い見通しをもっていることを加えてた言葉が「達見」です。
発音はいずれも「たっけん」であるため違いはわかりませんが、文章に表すときには「達見」を使う方がより相手を立てることになります。
まとめ
「見解」の意味と「意見」との違いのほか、類義語や敬語表現なども紹介しました。「見解」と「意見」は似た言葉ですが、「見解」は公的な場面でよく使われます。またやや硬い表現となるので、日常の私的な場面では「意見」を用いた方が自然でしょう。