「謳歌(おうか)」は何かを大らかに楽しんでいる様子を表す言葉で、もっぱら「謳歌する」という形で使います。もともとは別の意味を持つ言葉でしたが、現在ではその使い方はあまりされなくなりました。
この記事では「謳歌」にある複数の意味と使い方をはじめ、例文や類語・対義語も紹介します。
「謳歌」の意味とは?
「謳歌」の意味は「大いに喜び楽しむこと」
「謳歌」の一般的な意味合いは、恵まれた境遇を心置きなく喜び楽しむというものです。元々の「謳歌」には声をそろえてという意味合いがあり、仲間や身内とともに歌う・ほめたたえることを指していました。
しかし心置きなく楽しむという意味で用いる場合、必ずしも仲間とともに喜び合うものではありません。「独身を謳歌する」というように、ひとりで幸福感を味わうようなときにも使います。
「謳歌」の元々の意味は「声をそろえて歌うこと」
「謳歌」の意味は、“声をそろえて歌うことやその歌のこと”。読み方は「おうか」です。熟語に用いられている「謳」には、”うた・うたをうたう”の意味があります。同じ意味の「歌」とあわさって「謳歌」という語句を構成しています。
現在は「謳歌」の元々の用法であるこの意味合いで使われるケースはまれです。
「謳歌」には”皆でほめたたえる”という意味も
「謳歌」には、皆が声をそろえてほめたたえるということも指しています。「謳」という文字は、「効能を謳う」という用法からもわかるように「明確に表現する」ことを表したものです。
ここからはっきりと声に出してほめたたえるという意味に展開していきました。なお、この意味で「謳歌」が用いられることも少なくなっています。
「謳歌」の使い方と例文
「謳歌する」は大いに喜び楽しむことを表現する
「謳歌」という言葉は、幸せを存分に味わうという意味で使うことが一般的で、「謳歌する」というように能動的な動詞の形で用いられるケースがよくみられます。恵まれた状況を喜んで大いに味わい、充足している様子を表したいときに適した語句です。
「謳歌」を使った例文
- 我々が謳歌している豊かで平和な社会は、先人の努力によって築かれたものだ。
- 昭和の青春歌謡には、学生生活を謳歌する若者たちの躍動感が描写されていた。
- 勝利を謳歌することが許されるのは今夜までで、明日からは厳しい練習が再開される。
- 独身を謳歌していた彼だったが、とうとう年貢の納めどきが来たようだ。
「謳歌」の類語
喜ぶ意味での類語は「享受」「満喫」「堪能」
楽しみ喜ぶという意味で用いられる場合の「謳歌」の類語には、”享受(きょうじゅ)・満喫(まんきつ)・堪能(たんのう)”などがあります。
「享受」はありがたく受け入れ味わうこと、「満喫」は充分に楽しむこと、「堪能」は充分に満ち足りていることを表しており、いずれも楽しみ喜ぶということを指している「謳歌」と同じ意味合いを持った語句です。
歌う意味での類語は「謳吟」
歌を歌うという意味での「謳歌」の類語としては、“謳吟(おうぎん)・謳詠(おうえい)・謳唱(おうしょう)”などがあります。「吟・詠・唱」にはいずれも”うたう”ことを表しているため、「謳歌」で用いられている”歌”と同じ意味合いです。
ただし、いずれもただ歌を歌うことを指した言葉であり、「謳歌」のような”ほめたたえる・喜ぶ”という意味はありません。
ほめたたえる意味での類語は「称揚」「称賛」
ほめたたえるという意味の「謳歌」の類語としてあげることができる語句には、“称揚・賞揚(しょうよう)・称賛・称讃(しょうさん)・嘆賞・嘆称(たんしょう)”などがあります。
熟語に用いられている文字である「称・賞・賛・讃」は”ほめたたえる”、「揚」は”高く上げる”、「嘆」は”深く感心する”という意味です。
これらがあわさって高く評価してほめたたえるという意味の語句を形成していますが、いずれも「謳歌」が持っているような「ほめたたえる」以外の意味はありません。
「謳歌」の対義語(反対語)
「不承不承」とは気が進まないこと
「謳歌」の明確な対義語はみあたりませんが、大いに喜び味わうことの反対の意味合いを持つ言葉としては「不承不承(ふしょうぶしょう)」があります。
気が進まない状態でやむを得ず受け入れることを表したもので、喜んで受け入れる「謳歌」の逆の意味を持った語句です。
「辞退」とは断って引き下がること
「謳歌」と反対の意味を持つ言葉として、「辞退」もあげることができます。与えられたものを受け入れないことを表しており、喜んで受け入れることと反対の意味を表しています。
「不承不承」ではいやいやながらも受け入れていますが、「辞退」では遠慮して受け入れないことを指しているという点が異なっています。
まとめ
「謳歌」の意味と使い方のほか、例文と類語・対義語などもあわせて紹介しました。喜ばしいものごとを大らかに受け入れ楽しく味わうことができる状態は、幸福で建設的なものです。多くの人々が自分の人生を謳歌できるような社会の到来が待たれます。