「若気の至り」の意味と使い方は?例文やエピソード・類語も紹介

若い時の失敗は誰にでもあるためか、「若気の至り」という言葉にはどことなく憎めないニュアンスが感じられます。しかし、いつまでが「若気の至り」で許されるのかと問われて、返答に詰まったことはありませんか?この記事では例文やエピソード・類語も交えながら、「若気の至り」の意味と使い方について紹介しています。

「若気の至り」の意味とは?

「若気の至り」の意味は「若さゆえの無分別な行為」

「若気(わかげ)の至り」の意味は、血の気が多い若者がやってしまう無分別な行為やその結果のことです。

「若気」とは、若い人にありがちな血気にはやったり、無分別であったりする気質を表しており、ものごとの行き着く結果のことを指す「至り」がついて「若気の至り」となっています。

「若気の至り」といえるのは今が平穏無事だから

「若気の至り」といえるものには、仕事上のものから恋愛までさまざまなものがあります。それらを「若気の至り」だといえるのは、当時わからなかったことが見えるようになったことに加え、今現在が平穏無事であることによるものです。

当時の失敗に影響が現在も続いていたり、それによって不幸になっていたりすれば、呑気に過去を振り返ることはできません。

「若気の至り」の使い方と例文

「若気の至り」には使用期限がある

「若気の至り」の対象となる年齢に、明確な期限はありません。日本の場合20歳で成人となりますが、まだ社会人になっていない人も多い年齢です。一方、学生の身分であっても30歳前後になると若者扱いしづらくなるでしょう。

「若気の至り」の対象から外れる時期の目安としては、血の気に振り回されない大人の分別が身に付いた頃と考えられます。

例文

  • まだ研修中とはいえ、30を過ぎての失敗を若気の至りで済ますことは難しい。
  • 若気の至りで許される今の時期にこそ、失敗を恐れずチャレンジしたい。

「若気の至り」は過去の自分に対して使う

年長者が若い人の行為を指して、「若気の至り」と評することは可能です。しかし、若い人が現在の自分に対して「若気の至り」を使うことは一般的な用法とはいえません。

具体的には、25歳の人が自分が18歳だった頃の事を話したり、30歳になった頃に25歳の思い出を語ったりするなど、過去の自分を振り返っていうときに「若気の至り」を使います。

例文

  • 社会人になって思うに、学生時代の振る舞いは若気の至りというしかない。
  • 子供が反抗期を迎えたが、いつか若気の至りだったと親子で笑えるようになるだろうか。

「若気の至り」は失敗談によく使われる

「若気の至り」は、若い頃の失敗や恥ずかしいエピソードを披露するときによく用いられます。また、結果的には成功した話であっても、途中で危ない橋を渡るなど若さゆえの武勇伝に対しては、「若気の至り」と形容して回想されることがよくあるものです。

例文

  • 結果的に商談はまとまったが、あのときの自分の振る舞いは若気の至りとしかいえない。
  • 若気の至りとはいえ、飲んだときの彼らの羽目の外し方は尋常ではなかった。

「若気の至り」は若者を弁護する言葉

「若気の至り」は、若い人の失敗を年配者がかばうときにも使われます。特にチャレンジしたけれど失敗に終わってしまったような場合、失敗を責めるのではなく励ます意味で「若気の至り」と形容するケースもあるようです。

例文

  • 課長も今回のことは若気の至りと大目にみているので、気にする必要はない。
  • 今どきの若者は若気の至りといえるような行為はしないようで、少し寂しい。

「若気の至り」のエピソード例文


  • 日頃から反発を感じていた上司に酒の席で絡んでしまったが、無礼講ということでうやむやになった。
  • 知人の困窮をみて「任せろ」と言ってしまったが、その時の経験は今も役立っている。
  • ドラマの影響で交際をしつこく迫ったが、今見ればストーカーとしかいえない行為だった。
  • 接待ゴルフでつい本気を出してしまい、機嫌を損ねたお客をなだめるのに苦労した。
  • ろくに英語も話せないのに思い切って渡米したことで、今のビジネスパートナーに出会えた。

「若気の至り」の類語

「若気の至り」と「若気の過ち」「若気の誤り」は同義語

「若気の至り」と同じ意味合いを持つ言葉として、「若気の過ち」「若気の誤り」があります。いずれも若さゆえの失敗を指しており、「若気の至り」の同義語として使うことができるものです。

「若気の至り」と同様に、自分の若い頃の行為に対する反省や回顧のほか、若い人の行為に言及したいときに用います。

「若気の至り」と違い年齢に関係なく使える「浅はか」

「浅はか」とは、思慮の足りないさまを表した言葉です。「はか」は接尾辞で、名詞や形容詞につくことにより「そのようなさま」という意味を作ります。

「若気の至り」は「浅はか」な考えから導かれるものであるため、両者には似た意味合いがありますが、「浅はか」は年齢を問わず用いることができるものです。

「軽はずみ」も「若気の至り」と違い年齢に関係なく使える

「軽はずみ」とは、深く考えることなくそのときの雰囲気などでうっかり行ってしまうことやその言動のことを指す言葉です。

「はずみ」には成り行きでついた勢いという意味があり、「酔ったはずみ」というようにその場の勢いに乗ってなにかをしてしまう時に用いられます。「軽はずみ」は「浅はか」と同じく経験不足の若者にありがちな状態ですが、年齢を重ねた人に対しても使うことができる言葉です。

まとめ

「若気の至り」の意味と使い方のほか、例文やエピソード・類語も紹介しました。失敗が人を育てるというような悠長さが失われている厳しい現実がありますが、それでも若いうちの失敗は挽回できます。「若気の至り」で許される期間にたくさんチャレンジして、糧を得ていただければ幸いです。