「巧言令色鮮し仁」の意味とは?論語原文や類語もわかりやすく解説

「巧言令色鮮し仁」は『論語』を出典とすることわざです。元号が「令和」に決定されたときに話題に登って知った人も多いかもしれません。

自身の振る舞い方を再考させる教訓ともいえるのが「巧言令色鮮し仁」です。座右の銘としてもおすすめですので、その意味や原文を紹介します。あわせて類語・対義語・英語表現についても解説しています。

「巧言令色鮮し仁」の意味と例文

「巧言令色鮮し仁」とは「相手にへつらう人は徳が欠けている」の意味

「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」とは、言葉が巧みで相手にへつらうように愛想をふりまく人は、人としての徳が欠けている、だから注意せよ、という教訓的な意味を持つことわざです。

「巧言」とは「言葉巧みに相手にこびへつらうこと」を意味し、「令色」とは「愛想よくとりつくろう顔色」のことで、「鮮し」とは「少ない」の意です。

古代中国の思想家である孔子の言葉をまとめた『論語』が出典です。

「巧言令色鮮し仁」を使った例文

  • あの人は「巧言令色鮮し仁」だ。あまり信用しない方が良い。
  • 「巧言令色鮮し仁」と言われないよう、誠心誠意で対応しよう。
  • ああいう取り入り方は感心しない。「巧言令色鮮し仁」と言われても仕方がない。

「巧言令色鮮し仁」の類義語・類語と対義語とは?

「巧言令色鮮し仁」の類義語(類語)は「巧言乱徳」

「巧言令色鮮し仁」の類義語(類語)には、同じく『論語』を出典とする「巧言乱徳(こうげんらんとく)」があります。「巧言は徳を乱る」とも読みます。

巧みに飾った言葉(巧言)は、人の心を惑わして徳を乱す(乱徳)という意味で、「巧言令色鮮し仁」と同じ意味の教訓です。巧みに飾った言葉には誠意がなければ人からの信頼を失う、あるいは信頼を失うことによって道を誤る、といった意味も含んで用いられます。

孔子が大切に説いた人の徳についての考え方が、「巧言令色鮮し仁」や「巧言乱徳」からうかがい知ることができます。

「巧言令色鮮し仁」の対義語は「剛毅朴訥仁に近し」

「巧言令色鮮し仁」の対義語には、こちらも同じく『論語』を出典とする「剛毅朴訥仁に近し(ごうきぼくとつじんにちかし)」があります。

「剛毅」とは、意思が強く何事にも屈しない心持ちのことで、「朴訥」とは、飾り気がなく素朴で無口なことを意味します。強い心を持ち、無口で素朴な人が道徳の理想である仁の精神の持ち主であると孔子は考えていました。

このような価値観は、合理的な西洋の精神が流入するより以前の日本人の考え方とも共通していたといえます。

「巧言令色鮮し仁」の思想と原文

「仁」とは最高の「徳」とされる中国の思想

「巧言令色鮮し仁」の真の意味を理解するには「仁」の意味を知ることが重要です。「仁」とは、孔子が説いた思想の一つで、人として備えるべき最高の徳とされるものです。

具体的には、他人を思いやる深い心や人間愛を指すものとされます。つまり、優れた人間に備わるものが仁であり、言葉巧みに人に取り入ろうとする者には仁の心が欠けているとする教訓が「巧言令色鮮し仁」であるのです。「仁」の意味については下記の記事で詳しく解説しています。

◆参考記事
「仁」の正しい意味とは?孔子や論語から解説!仁義の意味や英語も

「巧言令色鮮し仁」の原文と書き下し文・現代語訳

「巧言令色鮮し仁」は、孔子の教えをまとめた『論語』に原文があります。原文と書き下し文、現代語訳を紹介します。

原文:

子曰、巧言令色、鮮矣仁

書き下し文:

子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁

現代語訳:

先生(孔子)はおっしゃいました。「人に気に入られようと、言葉巧みに口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、人として最も大切な徳の心がないものです。

孔子は、古代中国・春秋時代の思想家で、各地の諸侯に徳の道を説いて回りました。論語の教えの多くは名言や格言として日本においても広く受容されています。

「巧言令色鮮し仁」の英語表現

「fair」を使った「巧言令色鮮し仁」の英語表現

「巧言令色鮮し仁」を英語で表現するには、少々長い英語となってしまいますが、一般的な表現を挙げると「Fair words and fine manners go not with virtue.」となります。

「fair」とは「丁寧な、感じの良い」という意味で、「words」は「言葉」という意味です。そして、「飾り立てた、うわべだけの」という意味の「fine」と「態度、物腰」という意味の「manner」、そして「美徳、徳」という意味の「virtue」で「巧言令色鮮し仁」(感じの良い言葉とうわべだけの態度は徳を伴わない)となります。

「apt to lack」を使った「巧言令色鮮し仁」の英語表現

他には「Those who resort to blandishments and fawning smiles are apt to lack compassion.」とも表現されます。「blandishments」とは「媚び、へつらい」という意味で、「fawning」も同じく「媚びる、へつらう」という意味です。

そして、「傾向がある」という意味の「apt」と「欠く、持っていない」という意味の「lack」、そして「思いやり、哀れみ」という意味の「compassion」で「巧言令色鮮し仁」(へつらったり媚びるような笑いに頼る人は思いやりに欠ける傾向がある)となります。

まとめ

「巧言令色鮮し仁」とは、古代中国の思想家である孔子の思想がよくわかることわざです。言葉が巧みで相手にへつらうように愛想をふりまく人は人としての徳が欠けている、と孔子は注意を促し、同時に道徳の最も大事な「仁」の心とはどのようなものかを示しました。

現代の日本人は言葉が軽くなったと感じる人も多いかもしれません。言葉の軽さが人の徳とも関係しているということを今一度再考するきっかけとなることわざであるかもしれません。

なお、「巧言令色鮮し仁」は、元号が令和に決定された際に話題となった言葉でしたが、結論として、令和との関係はありませんでした。「巧言令色」と「令和」については下記の記事で解説しています。

「巧言令色」の意味と語源とは?「令和」との関係や類語も紹介