「荘子」の思想とは?名言と現代語訳も紹介!孔子への見方も解説

「荘子」は自由奔放な発想と奇想天外な寓話が特徴の中国の古典です。その特殊な世界に「とりつかれる」読者が多いともいわれるユニークさは、古典の中でも際立っています。

世俗の否定ととるのか、新たな出発の光ととるのか、それは読み手次第ともいわれる「荘子」について、その概要を解説します。



「荘子」とは?

まずはじめに人物としての「荘子」について説明します。

人物「荘子」の読み方は【そうし】、書物『荘子』の読み方は【そうじ】

「荘子(そうし)」という人が『荘子(そうじ)』という書物を著しました。孔子の弟子に「曽子(そうし)」がいるため、混同しないよう書物については「そうじ」とも読むとされています。

「荘子」の生涯は超然とした自由人

「荘子」という人物については、戦国時代の紀元前4世紀に生きた人で、本名は周(しゅう)といい、漆園の管理をする役人をしていたことが記録にありますが、生没年など詳しいことはわかっていません。

戦国時代は春秋時代からの激しい闘争の時代であり、その中で荘子の厭世的な見方が培われたとされています。思想家となった荘子は『荘子』を執筆しますが、諸侯に使えることはせず、あくまで自由人として超然とした態度を貫きました。

「荘子」は「孔子」を否定していない

荘子は孔子を否定していると『史記』に書かれています。実際に『荘子』の中で孔子を批判する場面もありますが、孔子の晩年まで続いた探求への努力に対する共感がうかがわれると荘子の研究者は述べています。

荘子は、いわば、孔子のこの悲痛な心情を受け継いで、新たな思想を形成していったのではないだろうか。形こそ異なれ、荘子の思想もまた孔子と同じく、「人間らしく生きたい」という切なる願いに支えられているのである。

出典)『中国の思想〈第12巻〉荘子 (1973年)』(徳間書店)

『荘子』の思想とは?

次に書物『荘子』について説明します。

「荘子」は「老子」の思想をすすめて「逍遥遊」の思想に至った

荘子は「老子」の思想である「無為自然」を基本として、さらに自由な「逍遥遊」の境地を遊びました。逍遥遊とは、「知」を捨てたところに自由な世界が広がるとして、世俗の世界から離れることをすすめる思想です。

『荘子』は道教の経典となった

『荘子』は道家思想の源とされ、その内訳は内篇が七篇、外篇が十五篇、雑篇が十一篇の合計三十三篇からなります。内篇は荘子の手によるものとされますが、外篇と雑篇はその後の人が編集したものと考えられています。

『荘子』は『老子』とともに、道教の経典とされました。両者をあわせて「老荘思想」とよびます。

「道」と「不知の知」の思想を基盤とする

荘子は、万物はとどまることなく変化し続けるとし、その変化を支配する根源の原理を「道」と概念づけます。そして、「道」は限定のないものだが、人間の「知」は本来の無限定の自然を限定する方向にしか働かない。だから選択することを捨てて、すべてをあるがままに受け容れることが必要だとする「不知の知」の概念を説きます。

「道」と「不知の知」は、荘子の思想の基盤となっています。

『荘子』の特徴は自由な発想と奔放さ

『荘子』の特徴は、翻訳することが困難な、詩的で自由な言葉と発想にあります。その芸術性は、中国の文学者にも大きな影響を与えたとされています。

『荘子』の寓話

『荘子』には、奇想天外で不思議な話が出てきます。その中から二つを紹介します。

「混沌の徳」

徳が高く、目も口も鼻もない混沌の神のところに南海の神と北海の神が遊びにきた。混沌は厚く待遇したので、二人は返礼するために、人間と同じように混沌に穴を開けてやろうと九つの穴を開けたところ、混沌は死んでしまった。なぜなら何もないのが混沌であるからである。

この世界の本質は混沌であり、無為無策でいることが最上であるとするお話しです。

「荘周(そうしゅう)夢に胡蝶と為る」

荘子は夢の中で胡蝶となった。その時は自分が荘子であることを忘れていた。夢がさめると、かつて胡蝶であったことを忘れた。そうなると胡蝶がほんとうの荘子なのか、荘子が胡蝶なのか、わからなくなった。

人生がなんであるかの真の意味はわからないというお話しです。

『荘子』の名言と現代語訳

『荘子』の「内篇」の中から名言を読み下し文と現代語訳で紹介します。

夢の中にまた其の夢を占う。
夢をみて夢とは思わず、その夢の中でいまみた夢の吉凶を占う。人はよい夢を喜び、悪い夢を悲しむが、結局は夢の中のことだ。人生は結局夢である。

自ら其の敵を適とす。
自分のほんとうの心に適するものを求めるべきである。他人の干渉によって悲しんだり喜んだりすることはない。自適がほんとうの人の姿である。

千里に行く者は、三月糧をあつむ。
遠いところへ行こうとする者は、三か月前から食糧の用意にかからなければならない。同じように、遠い人生では、修養の時期に長い時間をかけておかなければならない。

蓬(ほう)の心あるかな。
ヨモギが生い茂って野を覆うように、人の心は雑念に覆われている。

日に心を以てたたかう。
人は毎日それぞれの心の持ちように従って自分の欲望と闘っている。

善を為すも名に近づくことなかれ
善をなしても、名誉を得ることは考えてはならない。

内直しくして外曲がる。
心はまっすぐにして屈することはなく、外面は世間に合わせておだやかな態度をとるのがよい。

『荘子』が出典のことわざ

味わい深い言葉の多い『荘子』には、これを出典とする故事成語やことわざがたくさんあります。一部を紹介します。

「虚室に白(はく)を生ず」

なにもない空き部屋には太陽の光が入って明るいように、先入観を持たず人に接すれば、他人の意見を素直な気持ちで受け容れることができるという意味です。

「井の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず」

狭い世界に閉じこもっていると、外に広い世界のあることがかわらないというたとえです。

「蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争い」

カタツムリのツノの上で争ったという寓話から、つまらないことや狭い世界で争うことを戒めるたとえです。

「無用の用」

一見、無用に見えるものが、実は大切な役割を果たしていることがあるとする意味です。

「朝菌は晦朔(かいさく)を知らず」

朝に少しだけ生えるキノコは朔日(ついたち)も晦日(みそか)も知らないことから、命のはかなさをたとえたものです。

「魚を得て筌(うけ)を忘る」

魚を得たあとは道具のことは忘れてしまうことから、目的を達すると、手段の功労を忘れてしまうということのたとえです。

まとめと本の紹介

文学作品としても影響を与えた『荘子』は、不思議な寓話を多用して人間本来の生き方を説くユニークな古典です。漆の畑の管理人で、出世には無欲だったという限られた情報だけでも、荘子その人に興味をひかれます。

自分はもしかして井の中の蛙なのかもしれない?と感じたら、ぜひ『荘子』の世界を覗いてみてください。

『荘子』入門編として、「内篇」全文の翻訳が読める次の本をお勧めします。