ソフィストとは「古代ギリシャの職業的教育家」のことです。現代では、強弁や詭弁を弄する人という意味合いで使われることが増えています。
この記事では「ソフィスト」の意味と語源のほか、哲学者との違いや代表的な「ソフィスト」の名言なども紹介しましょう。
「ソフィスト」の意味と語源とは?
ソフィストとは「古代ギリシャの職業的教育家」
「ソフィスト」とは、紀元前5世紀ごろの古代ギリシャに出現した「職業的教育家」のことです。アテネを中心に活動し、弁論術のほか政治、法律の知識を授けることで謝礼を受け取っていました。
代表的なソフィストとして、北東ギリシア・アブデラ出身の「プロタゴラス」やシチリア島・レオンティノイ出身の「ゴルギアス」などがあげられます。
「ソフィスト」には「詭弁家」という意味も
「ソフィスト」の思想は、相対主義的なものです。「ソフィスト」は、個人はそれぞれ異なる価値判断を持っていると考え、絶対的な真理は存在しないとしました。
真理の探究より相手を論破することに注力したことから、「ソフィスト」は「詭弁家」という意味でも用いられています。
「ソフィスト」の語源・由来は英語「sophist」
「ソフィスト」は、英語の「sophist」の読みをカタカナ表記したものです。「sophist」の意味は古代ギリシャの弁論教師のほか、詭弁家や知者・学者などがあります。
「sophist」は賢さという意味を持つ「sophi」に、「専門家」「主義者」「人」の意味を加える接尾語「-ist」がついてできた語です。
英語の「sophist」に該当する古代ギリシャ語は「sophiste(ソピステース)」で、知者を表す「sophos(ソポス)」と同じ意味合いで使われていました。
「ソフィスト」と「哲学者」の違いとは?
哲学者とは「真理を探究する者」という意味
ソフィストと同じ意味合いで使われる言葉が「哲学者」です。ソフィストと哲学者の違いとしては、職業として哲学に従事している学者を「ソフィスト」、真理を探究する者を「哲学者」という考え方があります。
哲学者ソクラテスはソフィストの相対主義を批判
哲学の創始者ともいえるソクラテスは、徹底した対話によって絶対的な真理を目指しました。ソクラテスは、「ソフィスト」の相対主義的な考え方を批判し、詭弁を弄するまやかしの知者と評しています。
また、ソクラテスの弟子であるプラトンは、「ソフィスト」を指して「職業哲学者」と呼び、ショーペンハウアーは同時代のヘーゲルたちを「ソフィスト」「似非哲学者」として非難しています。
現代では「ソフィストは哲学者」という意見も
普遍的な真理を探究することが哲学であるとする時代が続きましたが、19世紀後半になって出現した実存主義や現代哲学においては、「ソフィスト」の個人としての主体的な真理の探究こそが哲学であると捉えられるようになりました。
つまり現代の哲学観では、「ソフィスト」の思想は哲学として認められるものであり、「ソフィスト」は哲学者といえるという結論になります。
「ソフィスト」の名言とは?
プロタゴラス『人間は万物の尺度である』
「ソフィスト」を職業として確立し、相対主義を唱えたことで知られるプロタゴラス(紀元前490年頃~紀元前420年頃)は、『人間は万物の尺度である』という名言を遺しています。
真実は何であるかについて絶対的な客観性ではなく、個々人の相対的な主体性を重視した考え方が反映された言葉です。
人間を尺度とする「ソフィスト」の考え方は、後のルネサンスに通じる思想ともいえるものですが、この思想が弱論強弁の説得技術として展開されたことにより、「ソフィスト」の活動が詭弁に過ぎないとみなされるようになりました。
トラシュマコス『正義とは強者の利益なり』
前 430~400年頃に活躍したトラシュマコスは、弁論術にドラマティックな演出を加え、聴衆の情緒に強く訴えるギリシャ雄弁術の発達に貢献した人物です。
プラトンの「国家論」では、『正義とは強者の利益なり』という説を掲げてソクラテスを批判する人物として登場しています。その描写から、プラトンの時代にはすでに「ソフィスト」が強弁や詭弁を多用する者と認識されていたことがわかります。
ゴルギアス『何も存在しない』
弁論術の大成者とされるゴルギアス(紀元前487年~紀元前376年)は、自著の「あらぬものについて(非存在論)」のなかで、『何も存在しない。知ることも、伝えることもできはしない。』と、存在と真理に対する三段階の否定の論理を語っています。
存在そのものの探究によって普遍的真理を求める哲学に対して、不可知論的な思考によって存在そのものが非存在であることを論証したものです。
まとめ
「ソフィスト」の意味・語源のほか、哲学者との違いや名言などを紹介しました。ソクラテスなどの普遍的・絶対的真理を追究する哲学からみると、弁論術を教示することで金銭を得る「ソフィスト」は詭弁家に過ぎないものです。
しかし、真実の自己のあり方や生き方を追究する実存主義や現代哲学では、「ソフィスト」の個人に立脚した相対的な思考は哲学に値するものとされています。これにより、哲学の変遷によって「ソフィスト」の評価も変化していることがわかります。