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「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味とは?由来と類語も解説

「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、四文字熟語の「鶏口牛後」という形でも用いられていることわざで、岐路に立つ人へのアドバイスや座右の銘としてよく登場します。

ここでは、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の正しい意味と原文をはじめ、類義語や反対語を紹介し、受験や就職に応用できるかについても解説していますので、使い方の参考にしてください。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味とは

「鶏口となるも牛後となるなかれ」意味は「小さな集団の長になりなさい」

「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、「鶏口牛後」と短縮して用いられることもあることわざです。「鶏口」は鶏の口を、「牛後」は牛の尻を指し、それぞれ「けいこう」「ぎゅうご」と読みます。

鶏の口は小さな集団の長のたとえとして、一方の牛の尻は大きな集団に従っている者のたとえとして用いられており、「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、大きな集団で使われる者ではなく、小さな集団の長になりなさいという意味です。

「鶏頭」「牛尾」は間違い

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の間違いやすい例として、「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」があります。

鶏口はくちばしのことですが、鶏頭ではとさかや目などが集まったものになります。また、牛後は牛の動きにただついていくことしかできませんが、牛尾だとある程度自由が効くものです。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」では、その他大勢となって集団についていくのではなく、先頭に一人で立って集団をリードすることをよしとしています。したがって、「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」は間違いです。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の由来と原文

由来は『史記』、原文は「寧為鶏口、無為牛後」

「鶏口となるも牛後となるなかれ」は「寧為鶏口、無為牛後」が原文で、「寧(むし)ろ鶏口と為るとも、牛後と為ること無かれ。」と読み下します。出典は『史記』にある蘇秦列伝です。

戦国時代に外交の策士として活動していた蘇秦が提唱した作戦で、韓・魏・趙・楚・斉・燕それぞれの国王に対して、秦に従うのではなく独立国として各国が連合して秦に対抗するべきだと説いてまわったことが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の元になりました。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の類語・類義語

類義語は「鯛の尾より鰯の頭」

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の類義語として、「鯛の尾より鰯の頭」が挙げられます。「腐っても鯛」といわれる魚の王者・鯛の尾より、大衆魚の代表である鰯の頭のほうが良いということです。

いくら立派な鯛に付随していても、尾は鯛の思惑通りに動くしかありません。しかし貧弱な鰯にあっても、頭であれば先頭に立って進むべき方向を決めて指示を出すことができます。

つまり、人生においては主体的に行動できる場を求めるべきで、そのためにむしろ弱小組織を選択することが好ましいとする、「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じ意味を持つことわざです。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の反対語

反対語は「寄らば大樹の陰」

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の反対語は「寄らば大樹の陰」です。大きな樹木の陰にいれば、雨や日差しを避けることができて安全だということから、頼りにするなら大きな力をもつものを選ぶべきだということを意味します。

「寄らば大樹の陰」では、最初から従属することを前提としており、その上で、従属するならリスクが小さくリターンが大きいと考えられる、強大な集団を選ぶことが賢明だとしています。

したがって、リスクをとることをすすめている「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、正反対の言葉です。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の生き方とは?

進路を選ぶ際の参考になる

「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、人生の岐路に立つ人へのアドバイスとなることわざです。人生の早い時期に訪れる進路選択は、今後の方向性を決める大きな岐路となります。

しかし、まだ人生経験が乏しいため自らの進路をなかなか決められず、肝心の勉強に身が入らないこともある悩ましい問題です。

そんなとき「鶏口となるも牛後となるなかれ」の考え方を応用すると、選択肢を絞り込むことができます。

選択すべきは自分がトップに立てる場所

「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、トップに立てる集団を選ぶことを勧めるものです。これを進学や就職試験の受験に応用すれば、すでに高く評価されている集団ではなく、自分がトップに立てる規模・レベルの集団を選ぶのが正解となります。具体的には、何とか合格できそうな学校や大企業ではなく、上位の成績で合格できそうな学校やベンチャー企業などを選ぶことです。

組織内でトップに立てると、その組織の運営にとって重要な判断を行うチャンスが得られます。しかし、組織の最後尾にいると主体的に活動できるチャンスはなかなか訪れず、発言の機会さえ得られずに終わる可能性もあるからです。

まとめ

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味は、原文をみるとよく理解できます。反対語の「寄らば大樹の陰」もよく用いられていることから、どちらも言い得て妙なことわざといえます。

どちらを選ぶかは時と場合によるものですが、自らを鍛え高めるためには「鶏口となるも牛後となるなかれ」を旨として選択すると、日々負荷を掛けながら効果的に経験知を蓄えられます。