「魚心あれば水心」の使い方を例文で解説!意味や語源・類語も紹介

「魚心あれば水心」ということわざがあります。時代劇で悪役がよく口にしているため悪いイメージが強い言葉ですが、本当はそうではありません。

ここでは「魚心あれば水心」の本来の意味と使い方のほか。由来および類語や反対語について紹介しています。「魚心あれば水心」が本来持っている、美しい意味に触れていただければ幸いです。

「魚心あれば水心」の使い方と例文

「魚心あれば水心」は悪い意味でも使われる

「魚心あれば水心」に本来悪い意味合いはありませんでした。しかし、時代劇などで悪者たちが密談するときに、「魚心あれば水心」と口にしているシーンがよく見受けられることもあって、最近ではよからぬイメージが強くなってきました。

たとえば、恩を先に売っておいてから不当な要求をするようなときに、「魚心あれば水心」が使われています。また、「これだけのことをしてあげるのだから、当然それ相応の見返りをいただかなければ割に合わない」というように、下心を含んだ念押しをするときにも使われます。

「魚心あれば水心」を使った例文

「魚心あれば水心」は本来、好意を持って接すればと相手も好意を示してくれるということや、お互いの思いが通じ合うことを示す場合に使われていました。使用例としては、

  • 「魚心あれば水心で、とてもよい返事をいただくことができました」
  • 「魚心あれば水心といいますが、改めて口に出して言わずとも分かってくださったようです」

などのような、お互いに気脈が通じていて暗黙の了解を得られたときに適しています。

「魚心あれば水心」の意味と語源

「魚心あれば水心」の意味は「思いは通じる」

「魚心あれば水心」は、相手の態度や出方によって、こちら側の対応は違ってくるという意味のことわざです。相手が好意的であればこちらも好意的に対応する、つまり心は自ずと通じ合うものだとしています。

「魚心あれば水心」の護憲・由来

もともと「魚心あれば水心」の由来は「魚に心あれば、水に心あり」という言葉で、これが省略されて用いられるようになったものです。「魚が水と親しむ心を持っていれば、水にも魚と親しむ心が生じる」ということを指しています。

「魚心あれば水心」の類語

「魚心あれば水心」の類義語は「君心あれば民心あり」

「魚心あれば水心」の類語は「君心あれば民心あり」で、「きみこころあればたみこころあり」と読みます。君主が人民を慈しむ心があれば、人民もまた君主を敬慕するものだという意味です。

今も大阪・堺に巨大な古墳が残る仁徳天皇は、人家の竈(かまど)から煙が立ち昇っていないことを知って3年間租税を免除し、宮殿の屋根が雨漏りしても葺き替えず倹約に努めたと記紀に記されています。

常に人民を思い善政を敷いた仁徳天皇は聖帝と呼ばれ、「君心あれば民心あり」の良い事例です。

「落花流水」は「魚心あれば水心」の恋愛版

「魚心あれば水心」の恋愛版としては「落花流水」が挙げられます。「落花流水の情」ともいい、水に落ちた花は流れのままに流れたい、水は落ちた花を浮かべて流れていきたいという、お互いの気持ちが通い合っていることをいう言葉です。

相思相愛の男女がお互いを想いあう様子を指すもので、美しい情景が表されていて風情があります。

「以心伝心」も「魚心あれば水心」の類語

「以心伝心」は「心を以って心に伝う」と読み下し、文字や言葉ではなく心で通じ合うことをいいます。本来は禅宗で使われた言葉で、仏法の真髄は文字や言葉によらず、師から弟子の心に伝えることを指すものです。

相手の思いや態度を受け止めてそれに応えるという点で、「魚心あれば水心」と同じ意味合いがあります。

「水魚の交わり」は意味が異なる

「魚心あれば水心」によく似たものに「水魚の交わり」があります。水と魚が仲良くしている様子が伺える「水魚の交わり」は「魚心あれば水心」の同義語のようにみえますが、少し意味合いが違います。

「水魚の交わり」とは、水と魚が切っても切れない密接な関係にあることをいい、親密な間柄や夫婦の睦まじさを示す慣用句です。

つまり「水魚の交わり」はお互いの間柄を指していて、心の通じ合いを指す「魚心あれば水心」とは意味合いが異なります。

「魚心あれば水心」の反対語

「魚心あれば水心」の反対語も「落花流水」

面白いことに、「魚心あれば水心」の同義語として紹介した「落花流水」には、まったく反対の意味も持ち合わせています。

正確には「落花情あれども流水意なし」というもので、散って川に落ちた花の水に対する情に対し、水は知らぬ顔で受け流すことを指すことわざです。つまり、片方に相手への思いがあるのに相手には通じないことをいっています。

まとめ

「魚心あれば水心」について解説しました。本来の「魚心あれば水心」は見返りを求める下心ではなく、相手のことを思い合う真心の交流を示すことわざでした。

良好な人間関係にコミュニケーションは大切なものですが、言葉を尽くして語り合っても理解し合える関係を築くことはなかなかできずにいます。そのようななかで、口に出して言わずとも思いが通じ合う相手がいるなら、得難い幸福です。