「冷泉天皇」はやばい天皇?性格や即位、家系についても解説

「冷泉天皇」は平安時代の天皇のひとりで、「れいぜいてんのう」と読みます。「冷泉天皇」は“やばい”と言われることもある天皇。なぜ「冷泉天皇」はやばいと言われるのか、エピソードとあわせて、即位のいきさつや「冷泉天皇」を語る上で欠かせない後継者争いについて解説します。

「冷泉天皇」とは?即位のいきさつ

「冷泉天皇」は第63代、平安時代の天皇

「冷泉天皇」は第63代天皇で、在位は967年(康保4年)~969年(安和2年)です。平安時代の天皇のひとりです。「冷泉天皇」と書いて「れいぜいてんのう」と読みます。

「冷泉天皇」は生後間もなく立太子に

「冷泉天皇」は第62代天皇である「村上天皇」の子で、生後まもなく皇太子となっています。「冷泉天皇」は村上天皇の第二皇子でしたが、異母兄である第一皇子(広平親王)は母親の身分が低かったこと、有力な後ろ盾を持たなかったことにより皇太子の候補から外されたようです。

村上天皇の崩御を受け即位

「冷泉天皇」は先代村上天皇が崩御したことを受けて、967年に即位しました。この時、満17歳(数え年18歳)でした。「冷泉天皇」の即位の際にはじめて、京都御所の正殿として知られる「紫宸殿」で即位式が行われたとされています。

「冷泉天皇」の治世と後継者問題

「冷泉天皇」の補佐には藤原実頼がつく

「冷泉天皇」が即位した当時で17歳といえば政治を担ってもおかしくはありませんが、「冷泉天皇」は病弱であったことや奇行が目立ったことなどを理由として「藤原実頼」が関白につき補佐役となります。藤原実頼は「冷泉天皇」の母方の大伯父に当たる人物です。さらに、即位後すぐ次の皇太子選びが始まりました。

次期皇太子は同母弟の為平親王vs守平親王

「冷泉天皇」の皇太子として名が挙がったのは、同母弟である「為平親王」と「守平親王」です。「為平親王」は村上天皇の第四皇子で、左大臣源高明が推す人物です。対する「守平親王」は村上天皇の第五皇子で、右大臣藤原師尹(もろただ)が推す候補です。

皇位継承の順位で行くと、先に生まれた為平親王が妥当ですが、為平親王が皇太子となった場合は必然的に左大臣の源高明が権力をもつことになります。将来、為平親王が天皇になった暁には、源高明が天皇の外戚となり、権力が強まることは目に見えているわけです。そのため、何としても藤原氏の権力を保ちたい藤原師尹の陣営が源高明の失脚を狙います。

後継者問題は安和の変に発展

何としても守平親王を皇太子としたい藤原勢は、謀反を密告し源高明を罪人とします。これにより、源高明は九州に左遷されます。いわゆる安和の変(969年)です。もちろん、皇太子の座には為平親王ではなく、守平親王が立ち、藤原氏の体制はより強固なものとなったとされています。

譲位により「円融天皇」が即位、自身は「冷泉院」に

安和の変の後、「冷泉天皇」は守平親王に譲位をし、これにより「円融天皇」が誕生します。第64代天皇です。この時、「円融天皇」はわずか11歳と幼く、また「冷泉天皇」がわずか3年で退位したことも特徴です。(ただしこの時代ではたった数年で譲位することは珍しくないようです)

太上天皇となった「冷泉天皇」は新たに「冷泉院」と呼ばれるようになります。また、天皇として即位していた期間は短いものの、その後は61歳まで長生きしたとされています。

「冷泉天皇」の第一皇子は「花山天皇」に

「円融天皇」の後には、「冷泉天皇」の第一皇子が「花山天皇」として即位しています。即位したのが984年(永観2年)で、986年(寛和2年)まで在位した、第65代天皇です。

「冷泉天皇」の性格・エピソード

「冷泉天皇」は奇行や発狂などが目立った天皇

先にも少し触れましたが、「冷泉天皇」は皇太子時代から奇行が目立った天皇で、気を病んでいたとされています。中でも、足を痛めることも構わずに一日中蹴鞠を続けたというエピソードは有名です。

また、病で床に伏せっているのに大声で歌っていた・幼少期に父である帝に陰茎の絵を描いて送ったとする話や、退位後にも火事から避難する際に牛車の中で大声で歌った、とするものもあります。

こうしたふるまいは、その地位を追われた藤原元方の祟り・怨霊とする記録もあります。

「冷泉天皇」は容姿端麗なイケメンとの記録も

奇行エピソーのインパクトが強すぎて“やばい天皇”として話題に上ることが多いですが、日ごろは気を病んでいるようには見えなかったようです。むしろ容姿端麗だったともいわれています。

『源氏物語』の「冷泉帝(光源氏の子)」とは無関係

「冷泉天皇」のエピソードとして混同されやすいのが『源氏物語』に出てくる「冷泉帝」です。『源氏物語』の「冷泉帝」は桐壺帝の第十皇子とされるものの、実は光源氏と藤壺(中宮)の子だった、として描かれています。

結論から言うと、『源氏物語』の「冷泉帝」は架空の人物であり、これまで述べてきた「冷泉天皇」とは無関係とされています。当時の人々にとって「冷泉帝=冷泉院という後院(御所)に住む人」という程度の意味しかなく、天皇と関係づけるような深い意味はなかったとするのが定説です。

まとめ

「冷泉天皇」は幼い時からけがも気にせず一日中蹴鞠を続けるなどの奇行が目立ったことから、“やばい天皇”として語られることが多いです。その在位期間は3年と短いですが、「冷泉天皇」の即位後に起こった後継者争いは「安和の変」にまで発展しています。なお、『源氏物語』に出てくる「冷泉帝」と、第63代天皇としての「冷泉天皇」は別人で、『源氏物語』の「冷泉帝」は架空の人物・物語の中の人物としてとらえるのが一般的です。