「景行天皇」の伝説とは?ヤマトタケルや卑弥呼との関係も紹介

「景行天皇」という名には馴染みがない人でも、「ヤマトタケルノミコト」という名には聞き覚えがあるのではないでしょうか。このヤマトタケルノミコトの父とされるのが「景行天皇」です。「景行天皇」の治めた時代をはじめ、その伝説や現存する「景行天皇社」についても紹介しましょう。

「景行天皇」とは?時代と系図

「景行天皇」は第12代天皇、古墳時代

「景行天皇(けいこうてんのう)」とは日本の第12代天皇です。在位は景行天皇元年〜景行天皇60年、4世紀前期から中期あたりの天皇(大王)と見られます。これは時代でいうと古墳時代にあたります。

「景行天皇」は父垂仁天皇の崩御後、西暦51年に即位

「景行天皇」は第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の第三皇子です。父である垂仁天皇が崩御した翌年に即位したとされています。紀元後51年、つまり西暦51年に即位し、その後60年間在位したとの記録があります。

なお、「景行天皇」は『日本書紀』では「大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)」と紹介されています。

「景行天皇」の子供にはヤマトタケルノミコト

「景行天皇」は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)を皇后とし、大碓皇子や小碓尊などが誕生します。この小碓尊がのちの「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)」です。

なお、「景行天皇」の他にもたくさんの皇子女がいて、その数は80人にものぼるようです。それぞれ各国の国司や郡司として赴いたとされています。

「景行天皇」は卑弥呼の弟?

「景行天皇」は一説では卑弥呼の弟ととも言われています。これは、卑弥呼の弟が邪馬台国を直接統治した、という歴史書の記載にのっとった考察のようですが、この件はまだ議論の中にあり、憶測の域を出ないとするのが定説です。

「景行天皇」の伝説とは

「景行天皇」は熊襲平定のために九州へ

「景行天皇」は景行天皇12年、熊襲(くまそ)が貢物を差し出さなかったとして、自ら熊襲平定のために九州に赴きました。「熊襲」とは九州南部にあった襲国を本拠地とし、大和政権へと抵抗したとされる人々です。「景行天皇」は日向に住まいを設けたのち、長きにわたる戦いの中で美人と評判だった「御刀媛(みはかしひめ)」を妃とし、皇子も誕生しています。

この熊襲平定に関しては、現存する黒貫寺(現宮崎県西都市)の境内が「景行天皇」の行宮跡と伝えられています。また宮崎市の高屋神社は、「景行天皇」が平定の際の住まいとした「高谷の宮」とされる場所です。

ヤマトタケルノミコトに討伐を命じた伝説も

「景行天皇」の息子「ヤマトタケルノミコト」は、日本の歴史の中でも伝説的英雄として語られます。

熊襲が大和政権へとそむいたのは1度ではなく、先述の平定後も再び反抗しています。この際、「景行天皇」は息子の小碓尊(おうすのみこと)を使わし、討伐させます。小碓尊が16歳の時で、この功績によって「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)」という名前を奉りました。

ヤマトタケルノミコトは他にも、東国の蝦夷の反乱を討伐したという伝説もあります。

「景行天皇」と土蜘蛛族のエピソードとは

「景行天皇」には土蜘蛛族との話も残っています。この土蜘蛛とは大王(天皇)に従わなかった土豪たちのことで、当時日本各地に存在しました。

たとえば『肥前国風土記』には「景行天皇」が志式島(現在の長崎県)に行幸した際に土蜘蛛が潜んでいる場所を見つけ、捕らえたとする話があります。その際、土蜘蛛は地面に平服し、海産物を出して許しをこうたとされています・

その他、碩田国(おおきたのくに、現在の大分県)でも天皇の命令に従わない土蜘蛛に出くわした話なども残っています。

「景行天皇」の実在は定かではない

「景行天皇」には先述したもの以外でもさまざまなエピソードがありますが、どれも時代が古すぎて“伝説”として語られるものばかりです。実在したとすれば4世紀前期から中期とされていますが、『日本書紀』では106歳まで、『古事記』では137歳まで生きたとされている点にも疑問が残っています。

「景行天皇社」とは?

「景行天皇社」は元は景行天皇の行幸の際に作られた斎殿

「景行天皇社」とは、「景行天皇」が行幸の際にその地域を通りかかるのを歓迎しようと豪族が作った斎殿を元にしてできた神社です。

「景行天皇」は大和朝廷の勢力拡大のため、ヤマトタケルノミコトに東部の征討を命じます。このヤマトタケルノミコトの足跡をたどるように行幸した「景行天皇」を歓迎する意味で、豪族たちが斎殿を作ったのです。

そして第54代仁明天皇の時代に斎殿跡に天皇の名を冠した社殿を建立し「景行天皇社」としました。

家康勝利の地として尾張では代々重臣が参拝

「景行天皇社」は愛知県長久手市にあります。この長久手は、天正12年(1584年)に豊臣秀吉と徳川家康による小牧長久手の戦いで、家康が勝利した地でもあります。そのため、尾張藩主が代々、重臣と共に参拝し、藩直轄蔵入地として優遇してきた、という歴史があります。

現在では氏神様に、ご利益は諸願成就・病気平癒など

現代における「景行天皇社」は、地元の氏神様として大切にされています。ご利益は厄災除け、所願成就、無病息災、病気平癒などが挙げられ、七五三や初詣でも賑わいを見せます。

まとめ

「景行天皇」は日本の第12代天皇とされ、古代の英雄として知られるヤマトタケルノミコトの父でもあります。「景行天皇」には数々の伝説があり、熊襲や土蜘蛛族など大王に従わない土豪たちを征服した話が有名です。なお、「景行天皇」は4世紀の天皇とされていますが、実在したかどうかは定かではありません。