「明治天皇」は父親の孝明天皇が突然崩御したことにより、幕末の激動期に14歳の若さで即位した第122代の天皇です。即位後は「王政復古の大号令」を宣言し、明治国家の建設に努め日本を近代国家へと導きました。この記事では明治天皇が残した様々な功績のほか、人物像やエピソードについても紹介します。
「明治天皇」とは?
「明治天皇」は第122代天皇
「明治天皇」は1867年(慶応3年)から1912年(明治45年)の間在位した、第122代の天皇です。1852年(嘉永5年)9月22日(新暦では11月3日)に京都で生まれました。父は第121代天皇の孝明天皇、母は中山慶子(よしこ)です。幼名は祐宮(さちのみや)といい、1856年(安政3年)に宮中に移るまでのあいだを母方の中山邸で過ごしました。
幕末の動乱のさなか天皇に即位した
明治天皇は父の孝明天皇が1866年(慶応2年)に急逝したことにより、満14歳の若さで天皇に即位しました。当時の日本は薩摩藩・長州藩を中心とした倒幕運動が盛んな時期で、明治天皇は若くして動乱に巻き込まれることとなります。
明治天皇の即位後、討幕派は1868年(慶応4年)に明治政府を樹立。明治天皇を中心とした国家体制を築き上げました。
「明治天皇」は何をした人?
「王政復古の大号令」
明治天皇は1867年(慶応3年)12月9日、新政府の設立を宣言しました。これが「王政復古の大号令」とよばれるものです。
徳川慶喜は1867年(慶応3年)に「大政奉還」を行い、形の上では政権を朝廷に返していたものの、幕府による政治が続いていました。このころ、討幕派は薩摩や長州のごく一部の藩のみで、このままでは新政府といえど徳川家の支配が続くことを危惧していました。
そこで討幕派は、薩摩藩と土佐藩・広島藩・尾張藩・福井藩(長州藩は不参加)によって当時の幕府と親しい公家たちを締め出し、倒幕派の公家・藩士らで御所を占拠するというクーデターを起こしました。そして「王政復古の大号令」を発したというわけです。
自らが近代化の手本に
天皇を最高権力とした新政府が立ち上がると、明治天皇はお后である昭憲皇太后とともに積極的に洋装を身につけて洋式文化を取り入れました。これは西洋の文明を国民に啓蒙し、近代化を先導するため。髷(まげ)を切り洋服や軍服を好み、食事も洋食を取り入れるなどしました。
自らが近代化の手本となることで、国民の間にも西洋の知識や文化が伝わり「文明開化」が叫ばれるようになりました。
全国への巡幸(各地を旅行)を行う
江戸時代の天皇は生涯の大半を京都の御所で過ごしていたのに対して、明治天皇は各地へ巡幸を行っていました。巡幸とは、天皇が各地を旅行することです。明治天皇は在位期間中、日本各地を100回近く巡幸されていました。
巡幸を盛んに行っていたのは、新しい国家体制の主がこれまでの将軍ではなく天皇だということを全国に知らせるためのアピールだったといえます。また巡幸で立ち寄られた先々では、その地における名産品などを住民から聞いて説明を受けるなど、国民へ親近感を示されていました。
「明治天皇」はどんな人?人物像とエピソード
「明治天皇」は倹約家だった
明治天皇はたいへん倹約家だったといわれています。ぜいたくをせず、物を長く大切に使うなど質素な生活をされていたことが、仕えのものや訪日外国人からの証言で明らかになっています。
「自分が移動すると人手も経費もかかるから」と、遠方の避暑地や避寒地などにはほとんど出かけなかったそうです。またご自身の机の硯箱は何十年も愛用されていたり、墨は手に墨汁がつくまですり減っていたりと、物を非常に大切にされていたといいます。
「明治天皇」の趣味は乗馬
明治天皇の趣味としてよく知られているのが乗馬です。明治天皇は数多くの御料馬(ごりょうば)に騎乗し、乗馬を楽しまれていました。御料馬の中でも「金華山号(きんかざんごう)」は13年もの間明治天皇のパートナーをつとめ、寵愛を受けた馬でした。
金華山号は明治天皇が1876年(明治9年)と1881年(明治14年)に東北へ巡幸した際に自ら見初めて買い上げた御料馬で、とても賢く落ち着いた性格だったそうです。数多くの馬を愛した明治天皇でしたが、この金華山号ほど寵愛を受けた馬はいなかったとのこと。金華山号が1895年(明治28年)に亡くなった際、明治天皇はその死を悼み亡骸をはく製にしました。
「明治天皇」はダイヤモンドが好きだった
倹約家として知られていた明治天皇ですが、意外にもダイヤモンドには心を奪われて好んでいたというエピソードが残っています。明治天皇は、ダイヤモンドが散りばめられた指輪を好んではめていたと言われています。また、明治天皇の衝動買いを防ぐために、側近たちがダイヤモンドを販売しているお店に近づけないようにしていたというエピソードも。
ダイヤモンドは明治天皇自身が身につけるだけでなく、臣下の者たちに褒美の品として気軽に与えていたといいます。自分だけのものにしたいという執着を感じられないところが、明治天皇の人となりを表しているといえます。
「明治天皇」ゆかりの地は?
「明治神宮」(東京都渋谷区)
「明治神宮」は東京都渋谷区にある神社で、明治天皇とその后(きさき)である昭憲皇太后が祀られています。明治天皇が崩御された際、実際のお墓は京都府伏見区の伏見桃山陵に眠ることは決まっていました。しかし、およそ40年近く居住した東京の地にも明治天皇を偲ぶ場が欲しいという国民からの声をきっかけに、1920年(大正9年)11月創建されました。
明治神宮は東京都内でも有数の規模を誇り、初詣の参拝客数は例年全国の神社の中でも日本一です。敷地は本殿などがある内苑と外苑に分かれており、外苑には聖徳記念絵画館や神宮球場、明治記念館など様々な施設があります。都心にありながら自然豊かで、森の中にいるような雰囲気を楽しめます。
御巡幸の地「明治天皇聖蹟」は各地に
「明治天皇聖蹟(せいせき)」とは、明治天皇が巡幸された場所や建物のことを指します。多くの聖蹟のうち377件が、史蹟名勝天然記念物保存法に基づいて史蹟に指定されましたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、「(史蹟の指定が)新憲法の精神にそわない」とGHQにみなされ指定を一斉解除されるという歴史があります。
指定されていた史蹟は新潟県・長野県・福島県・栃木等で多くが東日本に偏在していました。指定解除後、聖蹟そのものは多くが解体されましたが、記念碑は廃棄されず残されており各地でその碑を見ることができます。
まとめ
「明治天皇」は幕末の激動期に14歳の若さで即位し、即位後は明治国家の建設に努め日本を近代国家へと導きました。明治天皇は質素な生活を好み倹約家とよばれていたり、乗馬を好んだりと人柄がうかがえるエピソードも多く残されています。明治天皇が崩御されたのち、居住されていた東京の地にも偲ぶ場が欲しいという国民の声を元として明治神宮が創建されました。