「ヘーゲル」は独自の弁証法を用いた難解な著書で知られています。ドイツ観念論を完成させ、近代ドイツ哲学を代表する哲学者であるヘーゲルについて、その弁証法や思想および著書についての概要を説明します。あわせて名言も紹介しています。
「ヘーゲル」とは?
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年~1831年)についてご紹介します。
「ヘーゲル」はドイツ観念論を代表する哲学者
ヘーゲルとは、「ドイツ観念論」を代表するドイツの哲学者です。
「ドイツ観念論」とは、18世紀末から19世紀半ばにかけて、ドイツを中心に展開されていった観念論的哲学思想をいいます。カントの二元論を批判し、自我を中心とする一元論として形而上学的な学問体系を構築しようとしました。ヘーゲルはカント以後に始まったドイツ観念論哲学を完成させたとされています。
ヘーゲル哲学は「二十巻のヘーゲル哲学全集」によって壮大な哲学体系を構築していますが、その大部分は弟子たちがヘーゲルの講義を編纂したもので、実際にヘーゲルが執筆した部分は少ないとされています。
ヘーゲルはシェイクスピアに影響を受けた
ヘーゲルが8歳のとき、クラス担任の先生からドイツ語訳のシェイクスピア全集を贈られたエピソードがよく知られています。ヘーゲルはこの贈り物によってシェイクスピアの研究者となり、そのドラマの中の展開がヘーゲルの哲学的思索の源泉となりました。
ヘーゲルの「弁証法」とは?
「弁証法」そのものはギリシャ哲学以来の哲学用語だった
ヘーゲルの哲学においては「弁証法」の理解が最も重要です。ヘーゲルは自身の思想の樹立と体系化において、独自の弁証法を用いましたが、「弁証法」そのものは、ギリシャ哲学以来の哲学用語として存在し、議論の技術、または対立という意味で使われていました。
ヘーゲルの「弁証法」は「論理の自己展開」と「矛盾の論理」
ヘーゲルが独自に用いた「ヘーゲルの弁証法」が何であるかについては、いくつかの議論に見解が分かれています。その一つは、現実や経験などを無視して、概念のみに焦点をあて、その概念を自己展開させることによって、そこから新しい概念を導き出すものであるとの見方です。つまり、「弁証法」とは「論理の自己展開」だということです。
もう一方の解釈は、「ヘーゲルの弁証法」とは、存在が矛盾的構造を持っているということを認めるための論理だというものです。つまり、「弁証法」とは「矛盾の論理」ということです。
以上の事柄の他にも、ヘーゲルの思想における弁証法は、時期を経るにしたがって様々な意味への変遷があるため、複数の解釈があります。このことがヘーゲル哲学が難解であることの原因であるともされています。
一般的には、弁証法は、ある命題(テーゼ)に対して、それに反する命題(アンチ・テーゼ)が出たとき、これらを統合し、より高次の解決案(ジン・テーゼ)を示すプロセスであると説明されます。
■参考記事
「ヘーゲル」の名言を紹介
続いて、ヘーゲルの名言を紹介します。
真なるものは全体である。そして全体とは、自分を展開することによって自分を完成してゆく実在にほかならない。
とらわれない心を持った人の単純なふるまいとは、信頼にみちた確信をもって、公に知られた真理にたよること、そしてその固い基礎の上に自分の行為の仕方と生活上の確固たる態度をうちたてることである。
真理が現実に実在するためにとりうる真の形態は、学問としての体系のほかにはない。
完全に規定されているものであってはじめて、それは公教的であり、把握されることができ、学ばれてすべての人々の所有となりうる。
真なるものは、それ自身になりゆく生成としてある。それは前もって目的として立てた自分の終わりをはじめとし、そしてそれを実現する過程と終わりとによってのみ現実的であるところの円環である。
真なるものは全体である。そして全体とは、自分を展開することによって自分を完成してゆく実在にほかならない。
学問は精神の現実性であり、精神が自分の固有のエレメントにおいて建設する王国である。
「ヘーゲル」の思想
ヘーゲルの思想について紹介します。
ヘーゲルの哲学とは3つの体系からなっている
ヘーゲルの哲学とは、生命こそがあらゆる真理の形態であるということを出発点として、「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の3つの体系から成っています。
ヘーゲルの「論理学」
ヘーゲルの「論理学」は従来の論理学と異なり、「弁証法論理学」とも呼ばれます。それは真の実在を把握するための弁証法的展開を叙述するものです。すなわち、「有」から出発して弁証法の展開によって具体的な分類に移り、「絶対的理念」という具体的な分類に至るまでの過程を述べるという形式を取ります。
ヘーゲルの「自然哲学」
ヘーゲルは「自然哲学」を「力学」「物理学」「有機体的物理学」の三段階に分けて論じ、これらの段階のあいだにすべての自然的対象を位置づけました。
ヘーゲルの「精神哲学」
ヘーゲルは「精神哲学」を「主観的精神」「客観的精神」「絶対的精神」の3つに分けました。
「主観的精神」とは個人的精神のことで、さらにそれを「心」「意識」「精神」の3段階に分け、それぞれを研究対象としました。
「客観的精神」は個人ではなく世界に実現する精神のことで、絶対者を意味しています。その絶対者については「絶対的精神」の中で、芸術や宗教や哲学において自覚的に捉えられるものだとしています。
「ヘーゲル」の著書を紹介
『精神現象学』(1807年)
『精神現象学』は弁証法によって「絶対的精神」に統合されるまでの過程を論じたもので、ヘーゲル独自の理論を構築した初めての著書であり、主著です。
『精神現象学』の「序論」では、ヘーゲルが独自の立場をみいだしたことを具体例をもって力強く表明し、ドイツ観念論の先行者であるフィヒテやシェリングも批判しています。
本書は意識を出発点として、次々と弁証法により発展させることにより、現象の背後にある実体を認識し、絶対的精神になるまでの段階的な過程を論じたものです。
『大論理学』(1812-16年)
『大論理学』は存在や理念に関する体系的方法論について弁証法を用いて述べられており、ヘーゲルの弁証法を理解するための必読書といわれています。
『エンチクロペディ』(1817年、1827年、1830年)
『エンチクロペディ』は「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の3部構成で、本書においてヘーゲルの哲学体系が完成されました。本書で述べられた「精神哲学」の中の「客観的精神」の部門は『法の哲学』で展開されます。
『法の哲学』(1821年)
『法の哲学』はヘーゲル最後の主著です。副題は「自然法と国家学 要綱」となり、本書の内容は法哲学というより倫理や政治哲学について書かれており、ヘーゲルの自由論が展開されます。
ヘーゲルが生前に執筆して出版した本は以上となり、実際は寡作な思想家でした。
まとめ
ヘーゲルは『精神現象学』や『法の哲学』の序論において、教養や哲学の大切さをくり返し説き、ソクラテスが信条とした「汝自身を知れ」を引いて、思考の繰り返しによって精神の高みへ至ることの大切さを示してもいます。ヘーゲルは弁証法を用いて、個人が哲学することによって自由を獲得する過程を導き出しているともいえます。