「色即是空(しきそくぜくう)」に続く言葉に「空即是色(くうそくぜしき)」があります。この二つの句に意味の違いはあるのでしょうか?また、そもそも「空(くう)」とは、どのような解釈をすればよいのでしょうか。
この記事では『般若心経』に書かれた「空即是色」などの四字熟語や、「空」の思想について解説します。
「空即是色」の意味とは?
「空即是色」の意味は「空はすなわち物質である」
「空即是色」の「空(くう)」とは、「実体がない」ということ、「色(しき)」とは、「宇宙のすべての形ある物質的現象」のことを意味します。
「空即是色」の読み方は「くうそくぜしき」
「空即是色」の読み方は「くうそくぜしき」です。漢文の読み下し文では「空すなわち、これ色なり」となります。
「空即是色」は「色即是空」とセットで解釈
「空即是色」は「色即是空 空即是色」の二句が対となって意味を表しています。次に二句の意味を確認してみましょう。
「色即是空 空即是色」の対で「空」の概念を表す
『般若心経』に書かれた「色即是空 空即是色」の意味とは、「物質すなわち「空」であり、「空」すなわち物質である」となります。もう少しわかりやすくすると、「宇宙のすべての物質的現象は実体がなく、実体がないという状態が物質的現象である」となりますが、これでもわかったようなわからないような意味ですね。
「色即是空 空即是色」は、「色(物質)」と「空(実体がない)」という二つの対立概念を「即是」の言葉で対比させることにより、両者を超えた「空」の世界の究極の概念を表しているのです。
「色即是空 空即是色」は量子力学の世界観を表すともいわれる
宇宙の始まりのビッグバンの瞬間には、真空だけが存在したと考えられています。また、量子力学における物質の最小単位である素粒子の構造は、定義次第では、物質には実体がないということもいえます。そのことから、現代物理学や原子物理学の世界観は、「色即是空 空即是色」の概念と同じであると指摘する意見もあります。
「空即是色」の「空」の意味とは
「空」はサンスクリット語で数字の「ゼロ」の概念
『般若心経』は、もともと古代インドのサンスクリット語で書かれたものです。サンスクリット語で「空」は「シューニャ」または「シューニヤター」といい、「なにもない状態」の意味です。これはまた、数学の「ゼロ」の概念も表す言葉です。ゼロは「無」ではなく、「空がある」ことを意味します。例えば数字の「101」の「0」は、ゼロという空位をあらわしています。
このように、仏教における「空」とは、全く何もない無の状態をあらわすのではなく、現象としてはあっても、実体としてとらえられない空位や空性の概念を表します。
「空」とは言葉で説明できない究極の思想
これまでに説明したように、「空」の概念によって『般若心経』は世界の構成要素を無化していますが、それと同時に、「空」には言葉で説明できない深遠な真理が潜んでいることを『般若心経』は伝えています。
その深遠な真理とは、最後に出てくる「真言」です。「真言」とは、マントラや陀羅尼(だらに)とも呼ばれる、いわば呪文のようなものです。最後のマントラを唱えることにより、空の智慧を得ることができ、悟りに至ることができるというのが、『般若心経』の神髄です。
マントラの言葉は以下の記事で紹介していますので、参考にしてみてください。
『般若心境』を理解すると「空即是色」の「空」の理解が深まる
日本でもっとも親しまれている経典が、『般若心経』です。「空」の思想の神髄が、『般若心経』で説明されていますので、紹介します。
「空」は大乗仏教の根本的な思想
「空」の思想は古代インドから存在し、仏教の始祖である釈迦の思想の一つでもありました。釈迦の言葉として「ここに自分というものがある、という思いを取り除き、この世のものは空であると見よ。そうすれば、死の苦しみを超えることができる」と言ったことが伝えられています。
しかし釈迦がもっとも大切にしていた教えは、「空」の思想よりも、この世の出来事の因果関係とその結果である苦しみへの向き合い方でした。釈迦は神秘的なことや見えない何かに救いを求めたりせず、自己救済の道を説きました。
「空」の思想が重要になるのは、釈迦ののちの大乗仏教においてです。
「空」の思想を知るには『般若心経』の理解が必要
釈迦が没してから数百年ののちに、釈迦の思想から分派した「大乗仏教」が興り、大乗仏教の初期の経典として、膨大な量の般若経典群が書かれました。般若経典とは、「言葉にならない智慧」という意味である「般若」をテーマに書かれた経典です。
『般若心経』は、それらの膨大な般若経典群の教えのエッセンスを取り出したもので、玄奘三蔵が262文字の漢字に訳したものが一般的に日本で用いられています。
『般若心経』の教えの核となるのが「空」の思想です。つまり、262文字という短い般若心経を理解することにより、膨大な経典で説明されている空の思想を理解できるということです。
『般若心境』における「空」の重要性
釈迦ののちの大乗仏教は、それまでの旧勢力から興った新興勢力でした。そのため、大乗仏教の経典は、ある部分では釈迦の教えを否定し、さらにその上をゆく教えを目指しました。
『般若心経』では、釈迦が分類した「五蘊(ごうん)」「十二処」「十八界」のすべての実体を否定し、その否定の上に「空」の思想を展開します。
- 「五蘊」
「五蘊」とは、「色・受・想・行・識」の五つの人間を構成する要素の集まりを意味します。そのうちの「色」は形のあるもの(肉体)のことで、「受・想・行・識」は刺激を感じたり、ものごとを考える心的作用のことです。
- 「十二処」
「十二処」とは、認識する側である、心の働きを生み出す「眼・耳・鼻・舌・身・意(心)」の六根と、認識される側である、心で思い浮かべることのできるすべてのもの「色・声・香・味・触・法」の六境の総称です。
- 「十八界」
「十八界」とは、「十二処」に六つの「認識」である「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」を加えたものの総称です。
これらがことごとくないものであるというのが「空」の思想です。つまり、宇宙の全ての実体は錯覚であるから、老いや死も、苦しみや、苦しみの原因もないのだと『般若心経』では説かれています。
まとめ
「空即是色」は「色即是空 空即是色」と大乗仏教の経典『般若心経』に書かれた言葉で、「世界のすべては実体がない」という概念を表しています。釈迦が説いた、絶対的な私は存在しないという概念からさらに踏み込んで、私や世界を構成する要素そのものが存在しないと説いたのです。
『般若心経』では、すべての実体を否定し、世界は「空(くう)」でであるがゆえに、死も苦しみも存在しないことを説いています。そして、その究極の智慧である「空」を、言葉では説明できないマントラによって完成させています。
『般若心経』で説かれる「空」の思想は、日本に導入された大乗仏教の根幹をなす思想ですが、その真理は神秘的なベールに包まれています。言葉で説明しえないところが、日本人の心の琴線に触れ、『般若心経』の人気につながっているのかもしれません。