「サラディン」とは?十字軍との闘いやその功績・逸話を紹介

「サラディン」は「イスラムの英雄」とも称される人物で、アイユーブ朝を興し、十字軍と戦った功績を持ちます。「サラディン」を語る上では欠かせない寛容な人柄にまつわるエピソードと併せて、彼の生涯について紹介します。

「サラディン」とは?

「サラディン」とは十字軍戦争の英雄

「サラディン(1138年~1193年)」とは、十字軍との戦いに勝利し、イスラム教にエルサレムを奪還したとして「十字軍戦争の英雄」「イスラムの英雄」と称えられる人物です。

この「サラディン」という名前はヨーロッパで一般的に呼ばれるようになった名前で、本来は「サラーフ=アッディーン」(アラビア語では「サラーフ・ウッディーン」とも)といいます。この「サラーフ=アッディーン」は「宗教の救い」という意味です。

この名前とは別に、彼には「ユースフ」という本名があり、現在のイラク北部の町に、クルド人の武将の家に生まれました。

サラディンはファーティマ朝の宰相に認められる

「サラディン」の父アイユーブは、ザンギー朝に仕え、武将として活躍した人物です。サラディンもまた、当時成人とされた15歳を迎えるとザンギー朝の西半分を相続した息子ヌールアッディーン(アレッポの君主)に仕えるようになります。

サラディンは若いうちから君主に認められた一人で、その側近として仕える中で、戦闘や行政など多くのことを学んでいたようです。特に、1164年以降のエジプト遠征では高く評価され、1169年にはファーティマ朝の「宰相」に任命されるまでになります。

実権を握り、アイユーブ朝を設立

宰相となったサラディンは、実権を握り、就任から数年でファーティマ朝を廃絶、新たにカイロにアイユーブ朝を興します。さらに、ザンギー朝のヌールアッディーンが亡くなったのを機に、シリアを併合するなど、勢力を広げていきます。

「サラディン」と十字軍

アイユーブ朝を創設したサラディンの生涯一の功績は、十字軍への勝利とエルサレムの奪還です。サラディンと十字軍について、もう少し詳しく紹介します。

十字軍によるエルサレム占領

「十字軍」とは、キリスト教徒が「聖地エルサレム」を奪還するために行った遠征軍の名前です。イスラム教徒からの聖地奪還を目指して、11世紀末から13世紀にかけて複数回派遣されています。

1099年、「第一回十字軍」によってエルサレムはイスラム教徒から奪われます。その際、十字軍の諸侯たちの「領土欲」が目立ちました。彼らは、攻め落とした地に「エルサレム王国」をはじめとした公国を建国、さらに、エルサレムに住むイスラム教徒を虐殺したことも有名です。

サラディンは十字軍からエルサレムを奪還

エジプトからシリアを支配し、最大勢力を誇るサラディンにとっても、この十字軍国家の存在は脅威でした。そこで、サラディンはエルサレムのイスラムへの奪還を目指します。

1174年には、ついにエルサレム王国に攻め入り、1187年にエルサレムを奪取しています。

第三回十字軍とは講和を設立させた

サラディンがエルサレムをイスラム教徒の手に戻した後、キリスト教徒たちには再度エルサレム回復を目指して「第三回十字軍」が結成しました。これに対し、サラディンはアラブの大連合を結成し、十字軍に立ち向かったとされています。

そして、度重なる戦いの末、最後まで残っていたリチャード一世(イギリス)との間で、サラディンは休戦協定を結ぶことに成功、1192年に講和が成立しました。この際、エルサレムにおける主権はサラディンに認められ、一方で、ヨーロッパ諸国のキリスト教徒による聖地巡礼も認められています。

なお、この第三回十字軍でエルサレムに関する戦は講和となりましたが、その後もイスラムとの領地争いを主な目的として十字軍の遠征は続いています。

「サラディン」の人柄と逸話とは?

イスラム教の手にエルサレムを奪還し、アイユーブ朝の領土とすることに成功したサラディンですが、彼の功績はそれだけにとどまりません。その人柄は今なお、英雄として語られる理由となっています。

サラディンは寛容な姿勢で知られる

キリスト教徒が第一回十字軍でエルサレムを落とした際、エルサレムのイスラム教徒たちは虐殺されています。これに対し、サラディンがエルサレムを奪還した際、キリスト教徒たちを虐殺するようなことはせず、捕虜とし、身代金によって解放しました。

このサラディンの対応は、人道主義的と称賛され、今なおヨーロッパでも高い評価を受けています。また、サラディンの寛容さを示すエピソードはほかにもあり、

  • エルサレムに籠る人々に公約を取り付け無血開城させた
  • 身代金の納入ができない捕虜も最終的には放免した
  • 孤児には私財から補償金を付けた

などといった逸話も語り継がれているようです。

サラディンは少数民族クルド人の英雄

サラディンはその寛容さからイスラムの国はもちろん、ヨーロッパでも英雄としてたたえられています。特に彼を英雄視する声が強いのが、クルド民族(クルド人)です。

クルド人は、イランやイラク、トルコの国境の山岳地帯に暮らす民族ですが、複数の国の利害が絡むことから今なお独立が実現せず、抑圧を受けています。厳しい状況下に置かれる彼らにとって、同じクルド人であり、シリアからエジプトを治め十字軍にも勝利したサラディンは、特に崇拝される存在となっているのです。

サラディンの城は世界遺産にも認定

サラディンの功績は、「世界遺産」としても受け継がれています。

1188年にサラディンが十字軍から奪い、その後拠点として使用した城「カラット=サラーフ=アッディーン」は、2006年に世界遺産に登録されました。「カラット=サラーフ=アッディーン」は、古くは、フェニキア時代に作られた城塞で、修復を経て十字軍が拠点としていたようです。

城には、ビザンツ時代・十字軍時代・イスラム時代とそれぞれの修復跡があり、サラディンの活躍が伺える遺産となっています。

まとめ

キリスト教徒による十字軍と熾烈な戦いの末、エルサレムを奪還したサラディンは、聖地奪還という功績だけでなく、その人道主義的態度も特筆すべき功績のひとつです。

異教徒の虐殺には手を染めず、寛容な姿勢を貫いたサラディンは、現代においても多くの人を惹きつけています。