「讒言」は難しい漢字が使われていますが、特別使用頻度が低いというものではありません。したがって、意味や正しい読み方を押さえておく必要がある語句といえます。この記事は「讒言」の意味と正しい読み方のほか、「諫言」との違いや類語などについて紹介しており、語句への理解を深められるものです。
「讒言」の意味と正しい読み方とは?
「讒言」の意味は”ありもしないことを告げ口すること”
「讒言」の意味は、“ある人物を陥れる目的でありもしないことを目上の人に告げ口すること、あるいはその言葉のこと”です。
「讒」という漢字の訓読みは「そしる」となり、「中傷」「告げ口」などといった意味合いを持っています。ここに「言葉」のことを指す「言」があわさって、「讒言」という熟語を構成しているのです。
「讒言」の正しい読み方は”ざんげん”
「讒言」は“ざんげん”のほかに、“ぞうげん”と読まれることがあります。「ぞうげん」は、本来の正確な読み方であった「ざんげん」が長い時間をかけて音変化したもので、誤りではありません。
しかし、「讒言」を”ぞうごん”と読むと誤りとなります。「雑言(ぞうごん)」と混同しないように、注意が必要です。
菅原道真も「讒言」の犠牲者
学問の神様として全国に祀られている天神様こと菅原道真は、「讒言」の犠牲者としても有名です。
901年(昌泰4年)1月、左大臣・藤原時平の「讒言」を信じた醍醐天皇が右大臣・菅原道真を大宰府へ左遷した事件は、「昌泰の変(しょうたいのへん)」として知られています。
「讒言」の使い方と例文とは?
「讒言する」や「讒言される」と使う
「讒言」は”する・される”のいずれも伴うことができる言葉で、「讒言する」は能動的用法、「讒言される」は受動的用法として使われます。
「讒言」を使った例文
「讒言」を使った例文をご紹介しましょう。
- 暗愚な皇帝は腹黒い小臣の讒言を信じたため、あたら有能な忠臣を失うことになってしまった。
- 先輩たちに讒言されて失脚した彼は切れ者だったが、歯に衣着せぬ物言いが災いしたようだ。
- 派閥闘争で謀術策が渦巻くなか、誰もが讒言することで生き残りを図ろうとしているようだ。
「讒言」と「諫言」との違いとは?
「諫言」とは目上の人に忠告すること
「讒言」と音と見た目が似ている言葉として、「諫言(かんげん)」があります。目上の人に物申すという点が似ていますが、「諫言」は、目上の人の過失などを説いて改めるように忠告することです。
「諫」という文字には「いさめる・正す・改める」という意味があり、ここに「言葉」のことを指す「言」をともなって熟語を構成しています。
「諫言」は忠臣の証
「讒言」は自分の利益や保身を目的とするもので、ライバルを蹴落として自分がその地位に就いたり、自分の悪事を他人になすりつけて保身を図ったりします。
一方の「諫言」は我が身を省みず、目上の人にとって耳の痛いことを敢えて伝えるというものです。「諫言」したばかりに為政者や権力者の逆鱗に触れ、非業の死を遂げた忠臣は歴史上少なくありません。
「讒言」の類語とは?
類語①「誹謗」とは悪口をいうこと
「誹謗(ひぼう)」とは、他人の悪口をいうことです。熟語に用いられている漢字の「誹・謗」は、ともに”そしる”という意味を持っており、二つを重ねることで意味を強めたものとなっています。
なお「誹謗」は、この次に紹介する「中傷」を続けた四字熟語の「誹謗中傷」という形で用いられるケースが多くみられます。
類語②「中傷」とは根拠のない悪口で他人の名誉を棄損すること
「中傷(ちゅうしょう)」とは、根拠のないことを言って他人の名誉を傷つけることを指した言葉です。「中」という漢字には”あてる”という意味があり、悪口をぶつけて相手を傷つけることを表す熟語を形成しています。
「誹謗」より見た目がソフトな「中傷」ですが、相手を意図的に痛めつけるという意図がある言葉といえるものです。
類語③「誣告」とは故意に事実を偽って告げること
「誣告(ぶこく)」とは、意図的に事実を曲げて告げることを表した言葉です。「誣」という文字には”あざむく・そしる”という意味があります。
ここに「つげる・うったえる」ことを指す「告」をともなって、熟語を形成しているのです。なお「虚偽告訴等罪(きょぎこくそとうざい)」のことを、旧刑法では「誣告罪」と呼んでいました。
「讒言」の英語表現とは?
「讒言」は英語で”slander”
「讒言」を英訳すると、“slander”となります。「中傷(する)・悪口(をいう)」といった意味があり、「讒言」と同様に言葉そのものと行為の両方に使うことができる言葉です。
なお、人を表す接尾辞「-er」が付いた”slanderer”は、「讒言する人」という意味となります。
まとめ
「讒言」の意味と正しい読み方のほか、「諫言」との違いや類語についても紹介しました。「讒言」することはなくても、思いがけず「讒言」されることはありえます。
「讒言」した人はいずれ「讒言」されるケースが多いようですが、誠実に仕事をしつつも周囲に敵を作らない配慮は必要といえるでしょう。