「厭世」の意味と使い方とは?厭世主義や類語・対義語も例文で解説

「厭世」は世の中をいとい、価値のないものであると思うことを指したもので、仏教や西洋哲学とも強いつながりがある言葉です。この記事では「厭世」の意味・語源と使い方を例文とともに解説しています。加えて類語・対義語についても紹介しており、語句への理解がより深まる内容です。

「厭世」の意味と語源とは?

「厭世」とは世の中をいとうこと

「厭世」の読み方は「えんせい」で、意味は世の中を嫌なものであると考え、価値のないものと思っていとうことを表した言葉です。

漢字の「厭」には「あきる」「いとう」という意味があり、「厭世」という熟語が持っている「悪や苦に満ちた世の中に嫌気がさしていとわしく思う」ことを表しています。

「厭世」のニュアンスは「うんざり」

「厭世」は世の中を嫌なものと思うことですが、積極的に戦って嫌なものを排除するというものではなく、うんざりして離れたいといった、消極的で逃避的なニュアンスを持っています。

人生の価値を見失ってしまい、疲れて立ち上がれない、頑張る気力などわいてこないという状態になりがちです。

「厭世」の語源・由来は仏教

仏教は、開祖である釈尊の「この世は苦しみに満ちている」という世界観から始まったものです。そしてそれらの苦しみから離れるために様々な苦行を重ね、ついに菩提樹下で悟りをひらきました。

仏教では執着を捨てることで苦を取り除くことや、人々を苦から救済することを重視していますが、そのベースには苦しみに満ちた世界で人々が苦しんでいるという厭世的な世界観があるのです。

ショーペンハウアーは厭世思想の大家

ショーペンハウアーは、ヨーロッパのペシミズム(「pessimum」はラテン語で「最悪」を意味する)の源流となったドイツの哲学者です。

インド哲学や仏教に学び、代表作『意志と表象としての世界』はワーグナーやニーチェなどにも影響を与えました。

「厭世」の使い方と例文

「厭世観」「厭世主義」「厭世家」など

「厭世」には、「~観」「~主義」などの接尾辞をともなう用法が多くみられます。「厭世観」「厭世主義」は「ペシミズム」の訳語で、世界は悪と苦に満ちたものだという世界観や人生観を指すものです。

「厭世家」はペシミストの訳語で、ものごとに対してすぐに悲観したり世をはかなんだりする傾向がある人のことをいいます。

「厭世」を使った例文

  • 就職難により厭世観を持つ若者が増えていることから、社会の活力がさらに低下していくだろう。
  • 19世紀末の芸術や文学は、厭世的な世相を反映した独特の世界観に満ちている。
  • 何かにつけて悲観的な見解を示す厭世家の彼に、誤りをストレートに指摘することは難しい。

「厭世」の類語や類義語とは

「悲観」とはものごとをネガティブに見ること

「悲観(ひかん)」とは、ものごとをネガティブにみることを表した言葉です。具体的には、ものごとが思うようにいかず失望すること、世の中や自分の人生が悪と苦に満ちているように考えることを指しています。

「悲」という文字の基本的な意味合いは、「心がいたむ」を表し「悲しみ」「あわれみ」の思いでものごとを見るという「悲観」という熟語を形成しています。

「厭世」と似た意味合いを持っていますが、「悲観」は世の中や人生といった大きなものだけでなく、もっと個人的なものごとに対しても使える言葉です。

「絶望」とは希望を失うこと

「絶望(ぜつぼう)」とは、希望を断ち切られてしまい、期待がまったくできなくなることや希望を捨て去り諦めることを指した言葉です。

似た言葉である「失望(しつぼう)」は、期待していたものが得られずがっかりするという意味で、「絶望」ほどの痛手はありません。

「厭世」の対義語や反対語とは

「楽天」とは現実を肯定的に捉えあくせくしないこと

「楽天(らくてん)」とは現実や境遇を肯定的に受け入れ、あくせくしないことです。オプチミズム(ラテン語で最善のものを意味する「optimus」に由来する語)の訳語で、「厭世」の対義語として使うことができます。

なお「楽天」は、雲雀(ひばり)や白楽天(はくらくてん、『長恨歌』の作者で唐の詩人・白居易の別名)のことを指しても使われている言葉です。

「楽観」とは世の中や人生をよいものと考えること

「楽観(らっかん)」とは、世の中や人生を可能性に満ちた良きものと考えることです。未来は明るいものと考えて心配せず、何かあっても心配するほどのことはないと気楽に受け止めることを表しています。

「楽観」でありがちなのは詰めが甘くなることで、予め打つべき手を打ってから「楽観」することをおすすめします。

まとめ

「厭世」の意味・語源と使い方のほか、例文や類語・対義語も紹介しました。「厭世」はうんざりして、嫌なものから離れたいという精神態度です。そういう気持ちになることは誰にでもありますが、長期化すると生きる気力が乏しくなってしまうというリスクがあります。予め何か気を紛らわせられるものを見つけておくと、セルフマネジメントに役立つでしょう。