「元正天皇」は奈良時代の天皇です。歴史上、女性の天皇は何人も存在しますが、歴史ではじめて母から娘へと譲位されたのが「元正天皇」でした。「元正天皇」の家系と即位の経緯、また在位中の出来事について紹介します。「元正天皇」に関するエピソードも交えて見ていきましょう。
「元正天皇」とは?時代と系図
「元正天皇」は奈良時代の第44代の天皇
「元正天皇」は奈良時代に入って2人目の天皇で、日本の第44代天皇です。「元正天皇」と書いて「げんしょうてんのう」と読みます。「元正天皇」は女帝としては5人目に数えられますが、皇后や皇太子妃以外で即位したはじめての女性天皇です。
「元正天皇」の父は草壁皇子、母は元明天皇
「元正天皇」の父は草壁皇子、母は阿閇皇女(あへのひめみこ、のちの元明天皇)です。草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の子にあたります。
「元正天皇」は680年(天武天皇9年)に生まれ、諱は「氷高皇女(ひだかのひめみこ)」といいます。
「元正天皇」は第42代文武天皇の姉
「元正天皇」は第44代天皇ですが、第42代の天皇として在位した「文武天皇」の姉でもあります。弟である「文武天皇」が先に即位、その後、母の元明天皇(第43代)から「元正天皇」へと皇位が継承されました。
「元正天皇」は結婚経験なくして即位した女性天皇
女性天皇といえば皇后や皇太子妃であったのに対し、「元正天皇」ははじめて結婚経験なくして即位した女性天皇です。独身で即位した天皇であるのに加え、生涯夫や子女を持たなかったことも有名です。
「元正天皇」の即位のいきさつとは
「元正天皇」は母元明天皇の譲位を受けて即位
「元正天皇」は母である元明天皇からの譲位をうけて即位しました。715年のことです。
もともと、元明天皇が即位したのは、文武天皇(元正天皇の弟)が崩御した際に、その子である首皇子が幼かったことが大きな理由です。「元正天皇」へと譲位も首皇子が幼かったことが理由として挙げられます。つまり、首皇子を守るために元明天皇、元正天皇へと皇位が継承されたとも見ることができます。
元正天皇の次は首皇子が即位、「聖武天皇」が誕生
「元正天皇」の次の天皇には首皇子が即位します。「元正天皇」からの譲位を受けて、724年に首皇子が聖武天皇となりました。この時、「元正天皇」は太上天皇となります。「元正天皇」の在位期間は715年から10年あまりと短いですが、先述のように、文武天皇崩御からの中継ぎ的な意味合いが大きいと見られています。
退位後も太上天皇として聖武天皇を補佐
太上天皇となった「元正天皇」は、譲位した後も後見人として聖武天皇を補佐する役割を担います。さらに、聖武天皇が病気がちになると、天皇の名代として難波京遷都の詔を発したり、政務を遂行したりしたと見られています。
「元正天皇」の治世とは
717年養老律令の編纂を開始
「元正天皇」の治世では、717年(養老元年)より養老律令の編纂が始められます。この中心人物となったのが藤原不比等らで、養老律令は757年より施行されています。
古代日本の律令では大宝律令(701年)も有名です。藤原不比等らはこの大宝律令の編纂にも関わっており、律令成立後も改修を継続していました。養老律令は大宝律令と大きな相違点はないものの、720年に藤原不比等が亡くなったことで律令撰修が一旦停止したため、757年まで施行に至らなかったとみられています。
720年『日本書紀』が完成
720年(養老4年)『日本書紀』が完成します。『日本書紀』は日本の歴史書のひとつで、『古事記』と並び最も古い歴史書のひとつとされます。
723年長屋王政権下で三世一身法が制定
720年に藤原不比等が亡くなったことは先述の通りですが、その後は長屋王が事実上の政務を任されます。長屋王は「元正天皇」のいとこであり、また妹(吉備内親王)の夫である人物です。
この長屋王の政権下で、723年(養老7年)に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」が制定されます。これは人口の増加に伴い口分田が不足したことから、田地の開墾を奨励したものです。これにより、新たに田地を開墾した場合は3代目まで私有が認められました。
「元正天皇」にまつわるエピソード
「元正天皇」は美人だったとされる
「元正天皇」はしばしばその美しさが話題に上ることがあります。『続日本紀』には元明天皇譲位の詔として「元正天皇」の美しさや慈悲深さに言及する一節が記載されていて、それが大きな根拠となっているようです。余談ですが元明天応もまた美しい人物だったと言われています。
「元正天皇」の改元は“養老の滝”の名前にも
「元正天皇」は717年、養老へと行幸します。その際美泉に出会い、“もって老を養うべし”と述べるとともに元号も「養老」に改元するとの詔を出しました。これにちなみ、その美泉は「養老の滝」と呼ばれるようになり、その地名にも「養老町」などの呼び名が用いられるようになりました。
まとめ
「元正天皇」は母元明天皇から譲位され、即位しました。母から娘へと譲位された女帝、また独身で即位した女帝としても歴史に名を残しています。また、自身の在位期間は10年余りと短いものの、譲位後は太上天皇として聖武天皇を支えたことも有名です。
岐阜県にある「養老の滝」にもゆかりがあり、これはその美しさに魅了された「元正天皇」が“もって老を養うべし”という言葉とともに「養老」に改元したことに由来するネーミングです。「養老町」など同地の地名にもなっています。