幾何学的なデザインが特徴の「アール・デコ」は、「アール・ヌーヴォー」の流行の衰退にかわって登場し、世界の都市を中心に1920年代に大流行しました。
この記事では、アール・デコの歴史や特徴を紹介し、あわせてアール・ヌーヴォーとの違いや、代表する建築やポスターについても解説します。
「アール・デコ」とは何か?
「アール・デコ」の意味は「装飾美術」
アール・デコは、「装飾美術」という意味の略語です。1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会「Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes」の略称にちなんで「Art Déco」と呼ばれるようになりました。
1925年のパリ万博は「アール・デコ展」と呼ばれ、アール・デコは「1925年様式」と呼ばれることもあります。アール・デコ展によって、アール・デコ・スタイルは世界に広く認知されました。
「アール・デコ」の特徴は「直線的・幾何学的」なデザイン
アール・デコの特徴は、単純化された直線的・幾何学的なデザインです。円・正方形・三角形などを繰り返すパターンが多用されました。
また、アール・デコの色彩には、鮮やかな色彩のフォービズムの影響が加わり、はっきりとした原色が使われました。アール・デコの起源にはバウハウス運動があり、エジプト美術や東洋美術の影響も加わるなど多層的なものでした。
1920年代に興った装飾デザインの潮流
アール・デコは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代、年代としては1910年代後半から1930年代にかけて興った装飾やデザインの潮流をいいます。大きくとらえるなら、1920年代とくくることができます。
アール・デコ様式は、第一次世界大戦前に流行したアール・ヌーヴォー様式にかわって登場し、ヨーロッパやアメリカで流行するとともに、同じ時代に日本にも伝わりました。その分野は、グラフィックデザイン、建築、家具、インテリア、ファッション、ジュエリーなど、多岐にわたります。
「アール・デコ」は様々な分野に影響
「アール・デコ」はアメリカの「狂騒の20年代」を象徴するスタイル
「狂騒の20年代」と呼ばれる1920年代のアメリカでは、高層ビルが次々に建てられ、自動車、映画、ジャズなどの文化が花開き、アール・デコ様式と結びついて流行しました。アール・デコは建築、インテリアやファッションなど都市生活者の生活スタイルを象徴するものでした。
しかし1929年のウォール街の暴落によって「狂騒の20年代」は終焉し、それとともにアール・デコも姿を消しました。
「アール・デコ」は女性のファッションスタイルとしても流行した
アール・デコの流行とともに、ショートヘアで膝までの短いスカートをはく「フラッパー」と呼ばれるファッションスタイルが欧米で流行し、幾何学的・直線的なアール・デコ様式のブローチや指輪などの装飾品が好まれました。
日本においては、「フラッパー」ファッションは「モボ・モガ」(モダンボーイ・モダンガールの略)と呼ばれ、1920年代(大正末期から昭和初期)に流行しました。第一次世界大戦後は高景気により、日本でも西欧の高価な輸入品を身に着けることができましたが、30年代の後半には世界大恐慌と第二次世界大戦により、その流行も姿を消すこととなりました。
「アール・デコ」と「アール・ヌーヴォー」の違いとは?
「アール・ヌーヴォー」は有機的、「アール・デコ」は機械的デザインが特徴
「新しい芸術」という意味の「アール・ヌーヴォー」は、19世紀末から第一次大戦前の20世紀初頭にかけての、わずか30年余りの間にヨーロッパに興った国際的な美術運動です。主に自然や植物がモチーフとして使われ、流れるような流動的な曲線がデザインの特徴です。
アール・ヌーヴォーの流行は、第一次世界大戦の終焉とともに急速に下火となり、そのダイナミックな装飾への反作用でもあるかのように、直線的に構成されるアール・デコ運動が興りました。
アール・デコではアール・ヌーヴォーの特徴だった細部の装飾は省略され、デザインは単純化されました。アール・デコの直線的なデザイン構造は、前衛的であると同時に、合理的な大量生産にも適したものでした。
■参考記事
「アール・デコ」を代表する芸術や作家とは?
「アール・デコ建築」の代表は「ニューヨークの摩天楼」を構成する建築群
1920年代から 1930年代にニューヨークに建てられた、クライスラー・ビルやエンパイアステート・ビル、ロックフェラーセンターなど「ニューヨークの摩天楼」を形作るビル群は、アール・デコ様式の代表的な建築です。
クライスラー・ビルは、外装デザインや内装にアール・デコの装飾が施された高層ビルで、古典的アール・デコ様式の代表的建築とされます。
絵画ではなく「アール・デコ・デザイン」の「ポスター」が流行
1920年代には、商業ポスターの広告効果が研究され、グラフィック・デザインが発展しました。グラフィック・デザイナーやファッション・イラストレーターが生まれ、商業ポスターが大量に生産され始めたのがアール・デコの時代です。
アール・デコのポスターの代表作品として、カッサンドル(1901年~1968年)の『北極星号(1927年)』が挙げられます。カッサンドルは象徴的、幾何学的な構成で多くの作品を生み出した、アール・デコを代表するフランスのグラフィック・デザイナーです。
また、アール・ヌーヴォー・スタイルのポスターで華々しい成功を収めたミュシャは、1910年にパリを離れて故郷のチェコに帰り、『スラヴ叙事詩』の制作に打ち込みました。ミュシャは新しい時代の様式に乗り換えるようなことはせず、スラヴの画家として信念を貫きました。
ガラス工芸では「ルネ・ラリック」が活躍
ルネ・ラリック(1860年~1945年)は、アール・ヌーヴォーからアール・デコの両時代にわたって活躍した作家です。前半期にはアール・ヌーヴォー様式の宝飾デザイナーとして活躍しましたが、アール・ヌーヴォーの流行が終焉した後半期には、アール・デコ様式のガラス工芸作家に転身し、成功を収めました。
■参考記事
「ルネ・ラリック」の生涯と作品の特徴とは?日本の美術館も紹介
アール・デコが描写された小説『グレート・ギャツビー』
アール・デコの時代の風俗や雰囲気を生き生きと描写しているのが、1925年に出版された、F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』です。狂騒の20年代のアメリカが舞台となった、ニューヨーク郊外に住む謎の大富豪ギャツビーにまつわる物語です。
『グレート・ギャツビー』は何度も舞台化、映画化されています。そこに登場する登場人物のきらびやかなアール・デコ様式のファッションやジュエリー、邸宅のインテリアなどをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
まとめ
アール・デコは、1920年代を中心とする30年ほどの短い間に、世界の都市に大きく花開いたデザインの潮流ですが、第二次世界大戦の始まりとともにその姿を消しました。
日本におけるアール・デコの建築および内装は、「東京都庭園美術館」で鑑賞できます。建物は、1931年から1933年にかけて、日仏の建築家やデザイナーが協力してアール・デコ様式で建てられた旧朝香宮邸を転用したものです。朝香宮御夫妻が1925年のアール・デコ展をご覧になり、感銘を受けたことから日本に本格的なアール・デコ様式の邸宅が誕生しました。現在までその貴重な姿を留め、国の重要文化財に指定されています。
◆東京都庭園美術館(東京都港区)