「ルネ・ラリック」の生涯と作品の特徴とは?日本の美術館も紹介

「ルネ・ラリック」は、アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍したデザイナー・工芸家です。この記事では、ルネ・ラリックの生涯と、その作品の特徴について紹介します。

あわせてルネ・ラリックの作品が鑑賞できる、代表的な日本の美術館も紹介しています。人気が高く、鑑賞する機会も多いルネ・ラリックの予備知識として、この記事が参考になれば幸いです。



「ルネ・ラリック」の生涯とは?

「ルネ・ラリック」は19世紀末~20世紀に活躍したフランスの工芸家

ルネ・ラリック(René Lalique、1860年~1945年)は、19世紀後半~20世紀にフランスで活躍した工芸家です。アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって、それぞれの様式をきわめ、華々しい成功を収めました。

ルネ・ラリックは、その人生の前半を宝飾デザイナーとして、後半をガラス工芸作家として活躍しました。

前半期は「アール・ヌーヴォー」の宝飾デザイナーとして成功を収めた

フランスのシャンパーニュ地方に生まれたラリックは、パリに移り住み、宝飾作家のもとで金細工や宝飾技術を学びながら、夜は装飾美術学校に通いました。1885年には、熟練の職人集団を有する宝飾工房を構え、カルティエやブシュロンなどの有名宝石店にデザインや作品を提供しました。

同じ時期に、当時圧倒的な人気だった女優サラ・ベルナールが舞台で使用する、装身具やジュエリーの制作依頼を受け、その後ひいきにされることになり、パリの社交界や演劇界への扉が開かれました。

1900年のパリ万博が「アール・ヌーヴォー」の頂点

アール・ヌーヴォーの流行の頂点だった1900年のパリ万国博覧会では、出展したラリックの宝飾作品がグランプリに輝き、アール・ヌーヴォー作家としての名声を得ました。ラリックの作品は各国の美術館が競って買い上げるほどでした。このとき、ラリックは40歳でした。

「アール・ヌーヴォー」とは、「新しい芸術」という意味で、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパに興った国際的な美術運動のことをいいます。形骸化された古い伝統を打ち破り、19世紀の自由で新しい様式を打ち立てようとしました。

アール・ヌーボーはさまざまな分野で展開され、工芸品、建築、絵画、グラフィックデザイン、ジュエリー、家具、室内装飾など多方面に影響が及びました。ガラス工芸を代表する作家としてルネ・ラリックのほかにエミール・ガレがいます。

しかし、1900年のパリ万博を頂点として、アール・ヌーボー様式は急速に衰退し、流行は「アール・デコ」へ移行します。装飾が過剰で高価なアール・ヌーボーは、個人趣味の中に閉じこもり、一般の人々の支持を保つことが難しくなったのです。

コティ社の香水瓶の制作を機に「ガラス作家」へ転向

1906年、ラリックが46歳のとき、ファッションの世界に革命的な出来事が訪れます。服飾デザイナーのポール・ポワレが、従来の伝統であったコルセットを使用しないドレスを発表したのです。これを機に、上流階級の女性のファッションはシンプルなスタイルへと変化したため、装飾性の高いアール・ヌーヴォー・スタイルのジュエリーの需要が激減します。

この出来事によってラリックも打撃を受け、新しい表現を模索し、宝石にかわってガラスを使用する新しいジュエリーを制作し始めました。

1907年に、香水王フランソワ・コティより、コティ社の香水瓶に貼るラベルデザインを依頼されますが、ラリックは香水瓶のデザインも提案して採用され、そのボトルデザインは大人気となります。コティはラリックのデザインによって巨万の富を得ました。

これを機に、ラリックはジュエリー作家としてのキャリアと決別し、ガラス作品の制作を集中して行い、ガラス作家として活躍を始めました。

1925年の「アール・デコ展」で第二の成功を収めた

1925年のパリ万博(通称アール・デコ展)は、フランスから世界に広まり、1920年代を中心に流行したアール・デコの盛り上がりの頂点でした。アール・デコとは、「装飾美術」という意で、アール・ヌーヴォーにかわって表れた新しいデザインの潮流です。

アール・デコ展ではラリックがガラス部門の責任者を務め、自社のパビリオンも展開しました。さらに、高さ5メートルにもなるガラスの噴水塔を出展し、当時の新しい技術である電気照明で噴水とガラスを輝かせ、人々を魅了しました。

65歳のラリックは、アール・デコのガラス工芸作家としての地位を確立し、第二の成功を収めました。

「ルネ・ラリック」の作品の特徴とは?

一貫して彫刻的な作風が特徴

アール・ヌーヴォーのジュエリー作家時代と、アール・デコのガラス作家時代において、ラリックの作風は一貫していました。扱う素材や大きさは変わっても、その特徴には彫刻的なスタイルがあります。

ジュエリー時代に培った、アール・ヌーヴォーの複雑な彫刻的デザインをガラス作品にも生かし、浮彫のレリーフを刻んだガラス器を制作しました。1920年代からは幾何学文様のアール・デコ様式に代わってゆきましたが、彫刻的作風は変わることはありませんでした。

自然美と女性美を追求した

ラリックはまた、一貫して自然美と女性美を追求しました。それに加えて生と死のテーマも造形に取り込み、美の存在の意味を問いかけました。有機的なフォルムのアール・ヌーヴォー様式と、機械的でスピード感のあるフォルムのアール・デコ様式と、それぞれにおいて、そのモチーフは変わることなくデザインを究め続けました。

その表現にはジャポニズムやボタニカルアート、グロテスクな怪奇趣味などさまざまな要素が混合されています。

技術を駆使した完成度の高いガラス作品

ラリックは高い技術を駆使してガラス素材を使って万物を表現しようとしました。宝石を使わず、宝石に匹敵する美しさのガラスパーツを用いたジュエリーや、ガラスに金・銀、エナメル装飾を施し、異素材を組み合わせた豪華な装飾品などを創り出しました。また、電気の普及にあわせてガラスの照明器具を制作し、ガラスの透明性を再発見するとともに、透過光の美しさを発見しました。

ルネ・ラリック作品を鑑賞できる「日本の美術館」を紹介

最後に、日本でルネ・ラリックの作品が鑑賞できる代表的な美術館を紹介します。

箱根ラリック美術館(神奈川県箱根町)
日本における最大のルネ・ラリックのコレクションを蔵するのが箱根ラリック美術館です。初期のジュエリー作品、後期のガラス作品と、室内装飾も所蔵しています。

東京都庭園美術館(東京都港区)
東京都庭園美術館は、アール・デコ様式の建築と内装による朝香宮邸として建造された国の重要文化財です。客室・食堂のシャンデリアや、正面玄関のガラス扉はラリックが制作したものです。

飛騨高山美術館(岐阜県高山市)
飛騨高山美術館は、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、現代ガラスに焦点をあてた装飾芸術の美術館です。ラリックの作品も多く所蔵されており、現存するのは一つだけというラリックの噴水塔も所有しています。

まとめ

ルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍しました。ジュエリー装飾の伝統に変革をもたらし、ガラス工芸に移ってからは、花瓶やランプなどの工芸品のほかに噴水や装飾パネル、巨大なシャンデリアなども制作し、常に新しい表現を模索し続けました。ルネ・ラリックは工芸作家や職人というよりも、前衛アーティストであるといえるでしょう。

■参考記事

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