英語ではジュリアス・シーザーとして知られる、古代ローマの英雄「ユリウス・カエサル(古代ラテン語:Gaius Julius Caesar、紀元前100年~紀元前44年)」とは、どのような人物だったのでしょうか?
この記事では、カエサルについてのエピソードや名言を紹介し、名言の背景とその意味も解説します。あわせてカエサルの言葉ではない名言「カエサルの物はカエサルに」も紹介しています。
「ユリウス・カエサル」とは?

「ユリウス・カエサル」とは古代ローマにおける最大の英雄
「ガイウス・ユリウス・カエサル」とは、共和政ローマ末期の政治家で、古代ローマにおける最大の英雄とたたえられています。
カエサルは軍司令官として内戦に勝利し、終身独裁官となってローマの単独支配を確立しました。それにより、後継者となった初代ローマ皇帝アウグストゥスが帝政を開始する礎を築きました。
カエサルはローマの建国者ロムルスに対し、ローマの二度目の建国者として「国家の父」と市民から親しみを込めて呼ばれました。
「カエサル」は「皇帝」の称号でもある
カエサルの後継者ガイウス・オクタウィウス(のちのアウグストゥス)は、カエサルの跡を継いだ時、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィウスと名を改めました。その後に続いた皇帝たちも皆、カエサルの名を冠していたため、次第に皇帝を指す言葉として「カエサル」が使われるようになりました。
ドイツ語で皇帝を意味する「Kaiser(カイザー)」は、カエサルに由来する言葉です。
カエサルは「ユリウス暦」を導入した
カエサルは、それまで用いられていた太陽暦が、実際の季節とずれていた問題を解消するため、学者に計算しなおさせ、紀元前45年に新たな太陽暦を導入しました。自身の名前にちなんでユリウス暦とした暦は、1582年にグレゴリオ暦(グレゴリウス暦)に改良されるまで、ヨーロッパと中近東の暦として用いられました。
元老院と市民集会は、カエサルが55歳になったとき、ユリウス暦の7月の呼称を、カエサルが生まれた月を記念して「Iulius:ユリウス」(英語でJuly:ジュライ)の呼称に定めました。7月をユリウスとする呼称はグレゴリオ暦にも受け継がれ、現在も使用されています。
「クレオパトラ」はカエサルの愛人だった
紀元前48年、カエサルがエジプトに滞在した際に、若き日のクレオパトラが絨毯にくるまってカエサルの部屋に侵入し、その美貌で魅了したというエピソードは、1963年のハリウッド映画『クレオパトラ』において、エリザベス・テーラーも演じた有名なエピソードです。
カエサルは、クレオパトラとその弟との間に起こったエジプト王家の内紛の裁定のためにエジプトを訪れたのですが、カエサルは姉と弟との共同統治をするよう裁定しました。これはその時、劣勢にいたクレオパトラを救うものでした。クレオパトラはカエサルの愛人となり、カエサルの子を産んだとされますが、子どもをカエサルの後継者にはできませんでした。
「ユリウス・カエサル」は英語で”ジュリアス・シーザー”
古典ラテン語では「Iulius Caesar(ユリウス・カエサル)」と書き、英語では”Julius Caesar(ジュリアス・シーザー)”と書きます。日本では「カエサル」と呼ばれることが多いです。
シェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』(英語:The Tragedy of Julius Caesar)は、カエサルに対するブルータスの陰謀と暗殺の悲劇を描いたものです。
「カエサル」の「名言」とその背景を紹介

カエサルは簡潔な名言がよく知られています。名言とともに、カエサルの生涯を紹介します。
「賽は投げられた」は国法を破るときに発した名言
紀元前49年、カエサルは元老院派のポンペイウスに背いてルビコン川を渡り、それによってローマの内戦が始まりました。軍隊を率いてルビコン川を渡り、属州ガリアに入ることは法により禁じられていました。国法を破るという暴挙に出るその時、カエサルは「賽は投げられた(さいはなげられた)」と言って川を渡ったと伝えられています。
「賽は投げられた」の「賽」とはサイコロのことで、一度投げてしまったサイコロは元に戻せないことから、「最後までやるしかない」「運を天に任せる」との意味だとされます。
「来た、見た、勝った」の名言に現れる文筆の才能
紀元前47年、現在のトルコでの戦いに勝利したカエサルは、「来た、見た、勝った」と書いた手紙をローマに送り、簡潔に勝利を伝えました。
カエサルは、キケロと並んでラテン語散文の名手とされ、文筆家としての優れた才能も持っていました。簡潔な名言もそれを物語っています。
紀元前58年から8年間にわたってガリア遠征を行った際の記録をまとめた『ガリア戦記』は、特に高く評価されています。一つの巻に1年分の出来事を記した全8巻から成り、7巻までをカエサルが執筆し、最後の1巻は部下のヒルティウスが執筆しました。
『ガリア戦記』は、遠征記録であるとともに、ガリア人やゲルマン人の風俗についても詳細に記述されています。ガリア人とは、ガリア語を話すケルト人のことで、カエサルはケルト人の文化・習俗に関心を持っていたようで、詳しく記録しています。
カエサルの『ガリア戦記』は、現存するギリシャ・ローマの文献の中で、ケルト人に関する貴重な資料ともなっています。
「ブルータス、お前もか」の名言が生まれた暗殺事件
紀元前44年、カエサルはブルータスが首謀した謀反によって暗殺されました。最期の時の様子を多くの歴史家が書き記していますが、状況に違いがあります。最もよく知られるプルタルコスの『英雄伝』においては、死を察したカエサルは、腹心の部下であるブルータスの顔を認めると、「ブルータス、お前もか」と言って倒れたとされます。
この言葉は、シェークスピアの悲劇『ジュリアス・シーザー』におけるカエサルの台詞として有名となり、信頼していた部下や友人などに裏切られたことを象徴する言葉として定着しました。
「カエサルの物はカエサルに」とはどんな意味?

最後に、カエサルの言葉ではない「カエサルの物はカエサルに」について、その意味や出典を紹介します。
「カエサルの物はカエサルに」はイエス・キリストの言葉
「カエサルの物はカエサルに」という名言がよく知られていますが、これはカエサルの言葉ではなく、『新約聖書』「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」に登場するイエス・キリストの言葉です。
イエスに敵対する人々が、イエスを陥れようと悪意を持って「異教徒であるカエサル(皇帝)へ税を納めてよいと考えるか」と質問すると、イエスは「カエサル(皇帝)のものはカエサル(皇帝)に、神のものは神に返しなさい」と答えたという逸話です。
世俗の支配者あるいは国家に対する義務と、神への服従は別次元のものであり、両者は共に行うべきであるということを説いています。聖書の中のたとえ話の意味を離れて、「カエサルの物はカエサルに」は、「本来の持ち主に返せ」という意味でも用いられます。
なお、ここでの「カエサル」とは、ユリウス・カエサルではなく、ローマ皇帝の総称として用いられています。
まとめ
古代ローマ最大の英雄とされるユリウス・カエサルは、歴史家がこぞってすばらしい人物だったと褒めたたえています。優れた政治力・統率力があるだけでなく、文筆家としての才能も優れており、また人間としての魅力も非常に高かったようです。
カエサルの後継者となったアウグストゥスは、帝政ローマを堅実に築き上げ、ローマに平和をもたらしました。
カエサルの属したユリウス家の血筋は、初代皇帝アウグストゥスに引き継がれ、クラウディウス家のティベリウスがアウグストゥスの後継者となったことで、ユリウス・クラウディウス家が誕生します。ティベリウスをカリグラが継ぎ、ネロがその後を継ぎますが、ネロの自殺によってユリウス・クラウディウス家は途絶えました。
■参考記事
皇帝「アウグストゥス」とは?カエサルとの違いや名言も解説
「皇帝ネロ」とは?「暴君」と呼ばれた理由や生い立ち・名言も紹介