「ヨハネ」とは?洗礼者ヨハネ・使徒ヨハネや「福音書」なども解説

キリスト教の『聖書』において重要な役割を持つ「ヨハネ」。洗礼者ヨハネ、使徒ヨハネ、『ヨハネによる福音書』を書いた福音記者ヨハネ、『ヨハネの黙示録』を書いたヨハネと複数のヨハネがいます。
ヨーロッパの芸術や文化を理解するためには『聖書』の理解が不可欠です。この記事では、それぞれの「ヨハネ」についての概要と、ヨハネにまつわる絵画作品を解説します。

「ヨハネ」とは?

「洗礼者ヨハネ」と「使徒ヨハネ」は『新約聖書』の重要人物

『新約聖書』における重要人物のヨハネには、「洗礼者ヨハネ」と「使徒ヨハネ」がいます。名に冠されているとおり、洗礼者ヨハネはイエスに洗礼を施したヨハネであり、使徒ヨハネはイエスの十二使徒であるヨハネのことです。

『ヨハネによる福音書記者』と『ヨハネの黙示録』の作者ヨハネ

『新約聖書』に収められた『ヨハネによる福音書』と、『ヨハネの黙示録』の作者であるヨハネについては、どちらも使徒ヨハネと同一人物であるという説と、すべて別人であるという説があります。

「ヨハネ」は「ヤハウェは恵み深い」の意味

「ヨハネ」の名は、ヘブライ語で「ヤハウェ(主)は恵み深い」という意味です。ヘブライ語の「ヨーハーナーン 」が由来になっています。

欧米の伝統的な人名であり、ラテン語・ドイツ語では「Johannes(ヨハネス)」、英語では 「John(ジョン)」です。日本語では「ヨハネ」と表記されます。

「洗礼者ヨハネ」とは?

洗礼者ヨハネはイエスに「洗礼」を授けた人

「洗礼者ヨハネ」は、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人物で、使徒ヨハネとは別人です。「洗者ヨハネ」「預言者ヨハネ」とも呼ばれます。

『新約聖書』における洗礼者ヨハネは、イエス・キリストの道を用意する特別な任務を持っています。

『ルカによる福音書』での「洗礼者ヨハネ」の逸話

『ルカによる福音書』によれば、洗礼者ヨハネの誕生は、大天使ガブリエルがザカリア(ダビデ王が任命した24名の祭司の子孫)に告知。ガブリエルは、「妻のエリザベトに男の子が生まれるから、ヨハネと名づけるように」とザカリアに伝えます。

エリザベトが身ごもると、ガブリエルによって同じく受胎告知を受けてイエスを身ごもっていたマリアがエリザベトを訪ね、マリアがヨハネを取り上げます。マリアのエリザベト訪問は美術でしばしば主題に取られます。

この逸話から、ヨハネの聖性が示されます。成人したヨハネは荒野で修行し、人々に悔い改めの洗礼を説く預言者となります。ユダヤの人々がヨハネのもとに集まり、自分の罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けました。

『マルコによる福音書』での「洗礼者ヨハネ」の逸話

『マルコによる福音書』によれば、イエスの福音はヨハネによる洗礼によって始まります。ヨハネが、イエスの先駆け、道を準備する者とされるのは次の記述によります。

(神は言われる)「見よ、わたしは使いをやって、あなたの先駆けをさせ、あなたの道を準備させる」

イエスはナザレからやってきて、ヨハネから洗礼を受けます。すると天が裂けて、「あなたはいまわたしの「最愛の子」、わたしの心にかなった」という声が天から聞こえました。

イエスが神の子であることを示した重要な瞬間として、キリストの洗礼の場面は絵画に多く描かれました。

なお、「洗礼(パブテスマ)」とは、「水にひたす」という意味のギリシャ語からきた言葉です。キリスト教の洗礼の起源は、ヨハネの悔い改めの洗礼にあります。

洗礼者ヨハネは「サロメ」の希望によって斬首された

ヨハネは、ガリラヤ領主ヘロデの結婚について異を唱えたため、怒りを買って投獄されました。ヘロデは、妻がありながら、自分の異母兄弟の妻を横取りしたのです。

ある宴会のとき、ヘロデの妻ヘロディアの娘であるサロメが舞をまい、その褒美に何がよいかとヘロデに尋ねられます。サロメは、ヨハネを恨んでいたへロディアの指示により、「ヨハネの首を」と所望します。ヘロデはヨハネの首を切らせ、その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡されました。

この場面は、その特異性と、イエスの生涯において重要な人物の死の場面であるため、多くの芸術作品の主題となってきました。

「使徒ヨハネ」とは?

使徒ヨハネは「イエスの愛弟子」

「使徒ヨハネ」はイエスの直弟子で、十二使徒のヨハネを指します。シモン・ペテロとアンデレの兄弟とともにイエスの最初の弟子となり、ペテロとともにイエスに最も愛された弟子と言われます。

使徒とは、イエスが弟子の中から選んだ十二人のことで、イエスの復活のあとには宣教の責任を持つ者を意味しました。ヨハネはペテロとともに宣教の中心的役割を担いました。

「最後の晩餐」では、ヨハネはイエスの隣に座り、イエスによりかかっていたと「福音書」に記されています。絵画では、女性的な姿でイエスに寄り添うように描かれます。

『ヨハネの黙示録』を書いた

伝承によれば使徒ヨハネは、ドミティアヌス帝による迫害によってパトモス島に流され、そこで『ヨハネの黙示録』を書き、小アジアのエペソスに戻って『ヨハネによる福音書』と『ヨハネの手紙』を書いたとされます。

しかし、主に愛された弟子、使徒ヨハネ、『福音書』を書いた福音書家ヨハネ、『黙示録』の筆者ヨハネの四者はそれぞれ別の人物だとする研究者もおり、意見がわかれています。

ヨハネは12使徒の中で「殉教しなかった」唯一の弟子

イエスの12使徒は、厳しく迫害されながらキリスト教を伝道し、ヨハネを除く全員がいずれも壮絶な殉教を遂げました。先に紹介した伝承によれば、晩年のヨハネは福音書や手紙など執筆活動を行ったとされ、殉教したという記録はありません。

しかし、異教徒に捕らえられ、煮えたぎる油の釜に放り込まれたが無事だったというエピソードなどが伝わっており、厳しく迫害されたのは他の使徒と同様でした。

「ヨハネ」にまつわる美術絵画

ヴェロッキオ(一部レオナルド・ダ・ヴィンチ)『キリストの洗礼』

『キリストの洗礼』ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
(出典:Wikimedia Commons)

若き日のレオナルド・ダ・ヴィンチが所属していたヴェロッキオ工房の複数の画家によって描かれた『キリストの洗礼』(1473年~78年頃)です。左側の天使をレオナルドが描いたとされています。

福音書に記された、ヨハネがイエスに洗礼を行う場面が描かれています。ヨハネがヨルダン川の水をイエスの頭上にふりかけると、聖霊の鳩が降りて来て、「我が慈しむ子」との神の声が聞こえる場面です。

カラヴァッジオ『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』

『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』 マドリード王宮(マドリード)
(出典:Wikimedia Commons User:Hohum)

実物をありのままに描ける卓越した才能を持つ画家であると称賛されたカラヴァッジオの作品『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(1609年頃)です。ヨハネの首を持つサロメと、断頭の執行者が描かれています。ヨハネの首を持つサロメの姿は、多くの画家によって描かれました。

アンドレア・マンテーニャ『磔刑図』

『磔刑図』ルーヴル美術館(パリ)
(出典:Wikimedia Commons User:Dmitry Rozhkov)

イエスの磔刑図も多くの画家によって描かれてきました。磔刑の場には、伝承により、聖母マリア、マグダラのマリア、使徒ヨハネが描かれます。十字架の上に掲げられた「INRI」の文字は、ラテン語「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」の頭文字です。

パドヴァ派の画家アンドレア・マンテーニャの『磔刑図』(1459年)は、マンテーニャの得意とする厳格な遠近法によって描かれ、伝統的な人物が配されています。左脇に悲しむヨハネが描かれています。

まとめ

「洗礼者ヨハネ」は、イエス・キリストの信仰の先鞭をつける重要な役割を持つ人物で、イエスの洗礼の場面は多くの画家によって描かれてきました。また、サロメがヨハネの首を所望して斬首される場面も、その特異性からさまざまな芸術の主題となってきました。

「使徒ヨハネ」は、イエスに最も愛された弟子で、イエスの重要な場面にその姿がともに描かれます。イエスの死後は12使徒の中でも中心的な人物として伝道を進めました。『ヨハネによる福音書』『ヨハネの黙示録』の作者については、使徒ヨハネだとする説と別人であるとする説があります。

なお、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)』は、『ヨハネによる福音書』に書かれた「イエスの受難」を題材にした合唱曲です。ヨハネの受難ではありません。

■参考記事
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