「チャンドラ・ボース」とは?インド独立やガンジーとの関係も解説

インド独立の父としてはナハトマ・ガンジーが有名ですが、インドにおいては「チャンドラ・ボース」の名も負けず劣らず知られています。この記事では、今なお生存説が流れたりお墓が日本にあったりする「チャンドラ・ボース」の生涯やガンジーとの関係のほか、名言も紹介しています。



「チャンドラ・ボース」はインド独立の父

チャンドラ・ボースはインド独立の立役者

長らくイギリスの植民地だったインドを独立に導いた人物として日本では、ナハトマ・ガンジーがよく知られています。しかしインドの国会議事堂には、ガンジーやインド初代首相ネルーとともにチャンドラ・ボースの肖像画も掲げられているのです。

首都デリーの中心部にはチャンドラ・ボースの銅像が建ち、カルカッタには「ネタージ・スバス・チャンドラ・ボース空港」があるなど、チャンドラ・ボースは今もなおインド独立の父としてインド国民から敬愛されているのです。

チャンドラ・ボースは武闘派の活動家

チャンドラ・ボース(スバス・チャンドラ・ボース)は1897年1月23日にベンガル地方で生まれ、インド国民会議派議長や自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官を務めました。インドでは指導者という意味を持つ「ネタージ(ネタジ)」の敬称で呼ばれています。

非暴力・不服従主義で知られるガンジーとは違い、チャンドラ・ボースはアジアの開放を掲げていた第二次大戦中の日本とともに戦う道を選び、インド国民軍や自由インド仮政府を率いました。

日本の敗戦後、チャンドラ・ボースはインド独立への可能性を求めてソ連に亡命しようとしましたが、飛行機事故によって受けた傷が死因となって台湾で亡くなりました。インド独立が間近だった1945年8月18日のことです。

チャンドラ・ボースは超エリートだった

武闘派の活動家だったチャンドラ・ボースですが、実はエリート街道を順調に歩んでいた人物でした。裕福な弁護士の家庭に生まれ、カルカッタ大学哲学科を優秀な成績で卒業、その後英国ケンブリッジ大学の大学院に留学するなど、頭脳明晰な知性派だったのです。

さらに最難関のインド高等文官試験に合格しましたが、チャンドラ・ボースは支配者側の官僚となる超エリートの道を選ばず、インド独立運動に身を投じることを決めたのです。

チャンドラ・ボースのお墓は日本にある

インド独立のために命を捧げたチャンドラ・ボースでしたが、お墓はインドではなく東京杉並区の蓮光寺にあります。

戦後、歴代のインド政府要人が何人もお墓参りに訪れていますが、インドでは「チャンドラ・ボース生存説」があり、ボースが旧ソ連やヒマラヤ山中で生存しているとの説が根強く残ってるそうです。

2017年6月にはインド政府が正式にボースの死を認めましたが、日本の「義経伝説」と同じく「チャンドラ・ボース生存説」は、今なおボースの人気が高いことの表れでしょう。

「チャンドラ・ボース」とガンジーとの関係

チャンドラ・ボースとガンジーはもともと同士だった

チャンドラ・ボースがインド独立運動に身を投じたころ、ガンジーやネルーらが属する国民会議派の独立運動も活発化していました。そこでチャンドラ・ボースも国民会議派に加わり、議長を務めるなど活動を展開したのです。

ところが非暴力・不服従主義ではなかなか成果を上げることができず、イギリスはインドの独立どころか自治さえ認めませんでした。

非暴力・不服従主義に限界を感じ始めたチャンドラ・ボースは、国民会議派議長選挙でボース不信任にまわったガンジーやネルーらと袂を分かち、武力によるインドの開放を目指した運動を開始したのです。

チャンドラ・ボースもガンジーも「インド独立の理想」は同じ

タカ派とハト派として別の道を歩み始めたチャンドラ・ボースとガンジーでしたが、インド独立の理想はともに共通したものでした。

チャンドラ・ボースは、現代のイギリスとは比べ物にならないほどの超大国だった当時のイギリスに対抗するためには、イギリスと敵対する外国の武力援助が必要と考えました。そこでドイツや日本に援助を求め、日本軍とともに武力行使による活動を行ったのです。

一方ハト派のガンジーは、イギリスが掲げていた植民地支配の正当性を砕くため武力によらない抵抗運動を行いました。結果的にイギリス軍によるインド人への無差別虐殺が発生し、植民地支配の根拠が揺らぎ始めるのです。

それぞれの道を歩んだチャンドラ・ボースとガンジーでしたが、いずれか一方の活動だけではインドの独立は難しかったでしょう。インドの独立後にアメリカで展開された黒人解放運動でも、キング牧師とマルコムXの両者による硬軟両面の活動が実を結びました。

「チャンドラ・ボース」の名言


チャンドラ・ボースが語ったとされる、武闘派らしい名言を紹介します。

「真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ。」

 

「独立のためなら、私は悪魔とも手を握る」

前者は東京からインドに向けたラジオ放送で語られたもので、インドの独立はイギリスとの妥協では決して勝ち得ることができず、血を流す覚悟を持たなければならないと訴えました。後者は、独立のためにドイツやソ連と手を結ぼうと画策したボースの考えが表れたものです。

奇しくもイギリスのチャーチル首相も「ドイツに勝つためなら悪魔とでも手を結ぶ」といったことを語り、スターリンと共に戦う道を選びました。指導者たるものは、国難に際して自ら泥をかぶる覚悟が必要だということのようです。

まとめ

インド独立の父「チャンドラ・ボース」の生涯と、ガンジーとの関係や名言などを紹介しました。日本ではあまり知られていないチャンドラ・ボースですが、インドの現首相であるモディ氏がチャンドラ・ボースに国として文民の最高の勲章を贈ると言明するなど、再び脚光を浴びています。

インドの独立に生涯を捧げたチャンドラ・ボースは、今なおインドの人々を鼓舞し続けているようです。