「モンドリアン」とは?生涯と作品を解説!「コンポジション」も

「モンドリアン」はカンディンスキーとともに抽象絵画を最初に描いた画家のひとりです。オランダを代表する画家としても知られています。この記事では、モンドリアンとはどんな画家なのか、その生涯もあわせて紹介します。「コンポジション」シリーズなど代表作品も解説します。

「モンドリアン」とはどんな画家?

モンドリアンのポートレート
(出典:Wikimedia Commons User:Thot 1)

モンドリアンとは「抽象絵画」を開拓したオランダの画家

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、1872年~1944年)とは、20世紀のはじめに抽象絵画を描いた最初の画家の一人です。オランダに生まれ、パリやロンドン、ニューヨークでも活動しました。

初期には風景画を描いていましたが、キュビズムに影響を受けて幾何学的な構成の追求を始め、具象から抽象へ移行して抽象絵画を完成させました。

初期の抽象画家にはモンドリアンの他に、カンディンスキーやマレーヴィチなどがいます。

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「デ・ステイル」で新造形主義を確立

モンドリアンは、1917年にテオ・ファン・ドースブルフがオランダで創始した新しい造形芸術運動「デ・ステイル」に参加しました。オランダ語「 De Stijl(デ・ステイル)」とは「様式」という意味です。

モンドリアンはその活動の中で「新造形主義」を確立し、縦横の直線と、三原色からなる抽象絵画に到達しました。新造形主義では、具象絵画を古い芸術だとして新しい造形である抽象絵画と対比させ、その特質である自由な形と原色などを主張しました。

この運動は、モダンデザインの元祖となったバウハウスや、シンプルな線と明解な色彩で人気のミッフィーを生み出したオランダの絵本画家ディック・ブルーナなどにも影響を与えました。

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「モンドリアン」の生涯とは?

『赤い樹』(1908年)
(出典:Wikimedia Commons User:Jan Arkesteijn)

「神智学」に傾倒し具象の放棄に進む

モンドリアンの父は厳格で権威主義的な神学者でした。モンドリアンは画家の道に進むことを反対されますが、反対を押し切って、1892年アムステルダム国立美術アカデミーに入学し、伝統的な美術教育を受け、美術教師の資格を取得します。

モンドリアンは神智学に傾倒し、1909年にはオランダ神智学協会に加入します。神智学とは、神秘的な直観によって魂を進化させようとする精神運動のことで、多くの思想家や芸術家に影響を及ぼました。

抽象絵画に取り組む直前の『赤い樹』では、デフォルメされた造形と色彩のリズムによって、神智学の概念である人間の意識の覚醒と進化の表現を試みました。

父との確執や、物質よりも精神の優位性を説く神智学の考え方は、具象から抽象に向かったモンドリアンの芸術に深く影響を与えました。カンディンスキーも同時期に神智学に興味を持っていましたが、両者とも一時的な傾倒のあとに思想から離れることになります。両者にとって神智学は、具象を放棄する段階において大きな影響を及ぼしました。

パリの「キュビズム」時代に幾何学的な構成を追求

1911年にアムステルダムで開催された展覧会でキュビズムを知り、衝撃を受けたモンドリアンはパリに出ます。パリでは、キュビズムを創始したピカソやブラックらの影響を受け、抽象性とシンプル化が進み、オブジェクトは三角形、四角形、円に簡略化されてゆきました。

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晩年はニューヨークで活動し、前衛芸術家に影響を与えた

モンドリアンは晩年の4年間を第二次世界大戦からの亡命者としてニューヨークで過ごしました。生涯独身のまま、肺炎により72歳の生涯を閉じました。

モンドリアンは、自身について芸術家たちを抑圧から解放する先導者であるとの理念を持っており、伝統に縛られないアメリカはヨーロッパに比べて最適な土地でした。

ニューヨークの前衛運動である抽象表現主義の画家、ジャクソン・ポロック(1912年~1956年)やマーク・ロスコ―(1903年~1967年)、バーネット・ニューマン(1905年~1970年)らにモンドリアンの理論は受け継がれました。

「モンドリアン」の代表作品を紹介

抽象の到達点「コンポジション・シリーズ」

『赤・青・黄のコンポジション』(1938年~42年)
(出典:Wikimedia Commons User:ApolloWissen)

モンドリアンの芸術の到達点が「コンポジション」シリーズです。画家の頂点となった1930年頃から、赤・青・黄を使用し、黒い線で区切ったコンポジションのシリーズを繰り返し描きました。

モンドリアンはリアリズムから抽象化へ向かう過程で、曲線よりも直線のほうが張り詰めた力を持つことに気づきました。モンドリアンはフォルムと色彩を、最も純粋な状態に還元することを目指し、直線とシンプルな色のみで無限の広さと新しい美を創造しました。

縦横を正方形に分割した構成をベースとして、分割の仕方や色の配置、線の太さなどを変えて多くのバリエーションを制作しました。

最も有名な作品『赤・青・黄のコンポジション』(1930年)

『赤・青・黄のコンポジション』(1930年)
(出典:Wikimedia Commons User:Hannolans)

1930年に制作された赤色の面積が大きい『赤・青・黄のコンポジション』は、モンドリアンの最も有名な作品の一つです。この作品にインスピレーションを得て、建築やファッションなどにもイメージが応用されました。

遺作となった『ヴィクトリー・ブギウギ』(1942年)

『ヴィクトリー・ブギウギ』(1942年)
(出典:Wikimedia Commons User:Jan Arkesteijn)

モンドリアンの最後の作品が未完の『ヴィクトリー・ブギウギ』です。モンドリアンはアメリカのジャズ・ミュージックやダンスに情熱を持っていました。ジャズの中でも理論的だと言われるブギウギに心酔し、称賛の気持ちを抽象画に表現しました。

モンドリアンが亡くなったとき、アトリエにはイーゼルにかけられたこの作品が残されていました。

まとめ

モンドリアンは抽象絵画を創始した20世紀を代表するオランダの画家です。直線で分割された白地の画面に、三原色のみを用いた平面的な構成という原則を貫いたコンポジションの作品群がもっともよく知られています。

1926年にアメリカで開催された展覧会では、オランダの偉大な画家としてレンブラント、ゴッホとともに並んで称賛されました。オランダのハーグ市立美術館は世界最大級のモンドリアンコレクションを有しています。