「抽象画」の意味とは?有名画家や代表作品と芸術運動も解説

「抽象画」の有名な画家といえば、カンディンスキーやモンドリアンを思い浮かべる人が多いでしょう。そもそも抽象画とは、どのような意味があり、またどのように成立したものなのでしょうか?

この記事では、「抽象画」「抽象絵画」の意味と、抽象画の有名画家とその作品を解説します。加えて抽象絵画の基点となった、20世紀初頭に興ったさまざまな芸術運動も解説します。

「抽象画」の意味とは?

カンディンスキー『即興 渓谷』(1914年)
(出典:Wikimedia Commons User:Edgar Allan Poe)

「抽象画」とは”実際に存在しないものを表現した絵画”という意味

「抽象画」とは、実際に存在しないものを表現した絵画という意味です。形を備えていることを「具象(ぐしょう)」と言い、実際に存在するものをそれとわかるように描いた「具象画」に対して、作家の内面やイメージなどを描いたものが「抽象画」です。「抽象絵画」とも呼びます。

「抽象芸術」は美術史上の美術の傾向を表す美術用語

「抽象画」は一般的な用語として使われますが、20世紀以降に現われ、現代美術の傾向のひとつとなった抽象画の美術史上の用語は「抽象芸術」と表現します。物体の線や面、色彩を取り出して画面を作りあげた芸術作品として一般的に説明されます。

抽象芸術は、1910年代にカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチらの芸術家が開拓した、その時代の前衛芸術です。

「抽象画」は英語で”abstract painting”

抽象画は英語で「abstract painting」と書きます。「abstract」は”抽象的な”という意味で、抽象芸術は「abstract art」です。

抽象画家は「abstract painter」「non-objective painter」などと表現します。

「抽象画」の有名画家と代表作品とは?

抽象画を創始し、最初に手掛けた画家としてカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチが挙げられます。そのあとに続いた抽象画の初期の画家としてクプカ、クレー、ポロックがいます。これら抽象画の開拓者と初期の画家について紹介します。

「ワシリー・カンディンスキー」

抽象画のパイオニアとしてまず挙げられるのがワシリー・カンディンスキー(1866年~1944年)です。カンディンスキーはロシア出身の画家で造形美術理論家です。いちはやく理論的・科学的に絵画の構成要素を徹底的に分析し、抽象絵画論を発表しました。

また理論構築の一方で、音楽のように感覚的に受け取れる絵画を目指しました。代表作品は1910年から手掛け始めた「コンポジション」シリーズで、後期の作品では幾何学的な形態とインパクトのある色彩が画面にちりばめられ、絶妙なハーモニーを奏でています。

■参考記事
「カンディンスキー」とその生涯とは?著書と代表作品も解説

「ピエト・モンドリアン」

『赤、黄および青のコンポジション』(1930年)
(出典:Wikimedia Commons User:Hannolans)

ピエト・モンドリアン(1872年~1944年)は、キュビズムに影響を受けて具象から抽象に移行し、独自の抽象絵画を完成させたオランダの画家です。

代表作品は『赤、黄および青のコンポジション』(1930年)で、格子状の構図に赤、青、黄、などの基本的な色彩を平坦に配置しました。それまでにない絵画様式に到達するとともに、1920年には『新造形主義』という自身の造形理論も出版しています。

■参考記事
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「フランティセック・クプカ」

フランティセック・クプカ(1871年~1957年)は、チェコスロバキアに生また画家で、世紀末のプラハとウィーンで学び、パリで活躍しました。フォービスムやキュビスムの影響を経て具象から抽象に転じ、特に運動の表現を追求しました。

『2色のフーガのための習作』(1912年)が代表作品で、音楽のリズムを表現し、幾何学的抽象絵画の先駆者の一人となりました。

「カジミール・マレーヴィチ」

『黒の正方形』(1915年頃)
(出典:Wikimedia Commons User:Thuresson)

カジミール・マレーヴィチ(1879年~1935年)は、ロシアにおける抽象絵画を初めて手掛けたロシアの前衛画家です。抽象絵画のひとつの到達点ともいわれる、純粋な至高性を追求した「シュプレマティスム(至高主義)」を主張しました。

代表作品は黒い四角形が描かれた『黒い正方形』(1915年頃)などで、禁欲的な絵画を制作しました。

「パウル・クレー」

スイス・ベルンで生まれたパウル・クレー(1879年~1940年)は、ミュンヘンの美術アカデミーで象徴主義の画家シュトゥックに学びました。キュビズムやカンディンスキーの抽象表現からの影響を受けながら、色彩と形態に独自の理論を構築しました。

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「ジャクソン・ポロック」

ジャクソン・ポロック(1912年~1956年)は、抽象表現主義(ニューヨーク派)の代表的な画家です。絵の具をキャンバスにたらすドリッピングや跳ね飛ばすスパッターなどの技法は「アクション・ペインティング」と呼ばれました。

絵の具をぶちまけたような偶然性を加味した「オール・オーヴァー絵画」を全盛期に制作し、『興奮した眼』(1946年)がその頂点とされます。

ポロックらの抽象表現主義の画家の活躍により、第二次世界大戦後からは芸術の中心地はパリからニューヨークに移ってゆきました。

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「ジャクソン・ポロック」とは?抽象表現主義との関係・技法も解説

「抽象芸術」の基点となったさまざまな芸術運動とは?

マレーヴィチ『シュプレマティスム 黄と黒』(1916年)
(出典:Wikimedia Commons User:Maksim)

1914年に第一次世界大戦が勃発する前後の、1910年代から1920年代にかけてのヨーロッパの諸都市では、抽象表現を求める運動が一斉に起こりました。芸術家たちはそれらの都市を行きかい、抽象芸術が集団的に生み出されてゆきました。

20世紀美術の中に起こった抽象の潮流は、現代美術の中に大きな位置を占めています。20世紀初頭に興った主な芸術運動を紹介します。

オランダ「デ・ステイル」

「デ・ステイル (De Stijl) 」は、1917年にオランダのライデンで創刊された雑誌名、およびそのグループによって興った美術運動のことを指します。デ・ステイルとは、オランダ語で「様式(英語:The Style」を意味します。

主要メンバーであったモンドリアンが主張した、抽象芸術(非具象芸術)を理論家した新造形主義を理念としました。新造形主義は水平線・垂直線と正方形・長方形で構成され、三原色を用いた単純性などが特徴です。

ドイツ「青騎士」

ドイツのミュンヘンで前衛画家として台頭していたカンディンスキーは、物質主義に陥ったヨーロッパの芸術精神が危機に瀕しているとの危機意識を持っていました。1912年に芸術誌『青騎士』を創刊し、フランツ・マルクやブリュッケらとともにドイツ表現主義を展開しました。

「青騎士」は客観性を排し、芸術家の内面の表現に主眼をおく反具象的な傾向が特徴で、象徴主義への胎動となり、抽象絵画へと発展する基盤となりました。

フランス「フォービスム」

原色を用いる荒々しい筆触から野獣にたとえられた「フォービズム(野獣派)」は、マティスがリーダーとなって20世紀初頭のフランスに台頭しました。フォービスムは、色彩の表現によって人間の内面や感情を表そうとしました。色彩を写実から解放したフォービスムは、印象派など伝統的な美術の様式を革新し、その後の芸術の新しい道を作りました。

フランス「キュビスム」

キュビスムは、20世紀初頭に、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが中心となって創始した現代美術の運動です。キュビスムはルネサンス以降のにおける最も大きな美術改革となりました。

キュビスム様式の絵画は、伝統的な遠近法を排し、複数の視点からみた形態を二次元に再構築するものです。対象を線によって分析したことも特徴です。フォービスムによる色彩の解放に続いて形態を解放し、抽象絵画の胎動となりました。

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スイス「ダダ」

1916年、第一次世界大戦を逃れてスイスのチューリヒに集まった芸術家たちによって始められた芸術運動にダダ(ダダイズムとも)があります。大戦に対する抵抗や虚無感が根底にあり、反美学的で否定的な思想が特徴です。大戦後にはパリに活動を移し、シュルレアリスムに移行しました。

まとめ

抽象画とは、実際に存在しないものを表現した絵画です。一般的には、物体から取り出した線や面、色を作家の内面のイメージに合わせて再構成した絵と説明されます。つまり、抽象画の定義として、抽象的な表現のもとになるなんらかの意図や計画が存在するということです。

20世紀前半の前衛芸術家たちは、抽象画の理論を構築しながら制作を行い、抽象絵画に到達しました。その流れから、現代アートの主流である抽象絵画は、理論を表現することが主体となり、鑑賞するために知識が求められるものもあります。それが抽象画や抽象絵画の「わからなさ」に繋がっているともいえます。