「孟子」の思想とは?訳と書き下し文や名言も紹介!性善説も解説

「性善説」を唱えた人である「孟子」を知っていますか?日本の幕末の思想に大きな影響を与え、明治維新の原動力となった思想が「孟子」です。教養として知っておきたい「孟子」とその書『孟子』について、概要をまとめて解説します。

「孟子」とは?

まずはじめに「孟子」とはどのような人物なのかを説明します。

「孟子」は孔子に次ぐ儒教の伝承者

孟子とは、孔子に次ぐ儒教の伝承者として重要な人物です。孔子と孟子の教えを「孔孟の教え」と呼ぶほど儒教の中心の教えとなっています。孟子は孔子の孫の子思の門人として学び、諸国を遊説しますが、戦国時代の背景の中では理想主義と排され、その後は隠遁生活を送ります。しかしその思想はのちに再評価されることになります。

孟子は中国の「戦国時代」の人

孔子は春秋時代に生きた人でしたが、孟子はその後の戦国時代に生きました。戦国時代の特徴としては、武力抗争が盛んであったことと、孟子もそこに含まれる「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ばれるさまざまな学者や思想が現れ、学派が乱立したことが挙げられます。諸子百家は、国の統治や社会の安定について、論戦を重ねました。

母の逸話「孟母三遷」と「孟母断機」が有名

孟子の母は今でいう教育ママだったとされ、それにまつわる逸話があります。孟子は墓地の近くに住んでいたところ、葬式ごっごをして遊ぶようになったため、母親は市場に引っ越したが、今度はお店屋さんごっこをして遊ぶようになった。そこで今度は学校の近くに引っ越したところ勉強するようになったという逸話が「孟母三遷(もうぼさんせん)の教え」とされています。

もう一つ、修行の途中の孟子が家に帰ると、機織りをしていた母親が完成途中の布を断ち切り、学問を途中でやめるのはこれと同じことだと言って師の元に追い返したという「孟母断機(もうぼだんき)の戒め」があります。

ただしこの逸話は、孟子の生い立ちを語るためにのちに創作された話だとされています。

「孟子」の思想とは?

次に孟子の思想について説明します。

孟子は「性善説」を唱えたヒューマニスト

孟子は「生まれついての悪者はいないのだから、悪に染まらないよう学問を修め、努力すれば誰でも聖人になれる」とする「性善説」を唱え、人間の本質を突き詰めてゆきました。

孟子は人が生まれながらに持っている「四端」の概念を用いて性善説の根拠を説明します。四端とは「仁・義・礼・智」のことで、仁は人を憐れむ心、義は自分の不正を恥じる心、礼は人に譲る心、智は是非(正しいことは良いこと、不正は悪いこと)の心、をそれぞれ表します。生まれたままの状態の四端は小さいが、学問をし修養を積めば四端の徳を自分のものにできるとしました。

そして、のちに登場する儒教の一派である朱子学は性善説を採用し、朱子学は江戸時代には幕府公認の学問とされ日本に広がります。中でも性善説は「吉田松陰」に大きな影響を与えることになります。

■参考記事
「性善説」の正しい意味とは?「孟子」と例文から使い方を解説

孟子は「王道政治」の理想を掲げた

孟子の主張のひとつが「王道政治」です。王道政治とは、仁義に基づいて有徳の君主が国を治める政道のことをいいます。王道政治の反対は、武力や策略によって支配や統治をする「覇道政治」です。

孟子は、世の中の安定には人の心の安定が必要だと考え、「道徳」を重要視していたのです。あとで説明する『孟子』の書には、次のような言葉があります。

力を以て仁を仮(か)る者は覇なり。徳を以て仁を行う者は王たり。

兵力などで天下をとり、表面だけ仁者をよそおうのは王道の仁をかりものにしている。徳をもって仁政を行う、すなわち王道を行う者が真の王者である、という意味です。

孟子は「仁義」を最高の徳とした

「仁義に基づく王道政治」の「仁義」とは、「思いやりの心」をいう「仁」と、「正しい行い」をいう「義」を道徳の基本理念とする思想です。これは。孔子が最も大切な徳として説いた「仁」の思想を一歩進めたものです。

情緒的な愛の概念である「仁」に対して、それを秩序に落とし込む「義」の概念を明確にしたことで、仁義の規範性が明確になったといえます。

『孟子』の書とは?

孟子とその弟子たちが作った書物が『孟子』で、儒教の正典である四書のうちのひとつです。ここからは書物の『孟子』について説明します。

孟子の言葉をまとめた七篇の書『孟子』

『孟子』は孟子の言葉をまとめたもので、章の冒頭の文字を冠した七篇から成ります。『孟子』は民意を尊重し、革命を肯定する書として、かつての中国では為政者に恐れられました。その反面、王朝がたちゆかなくなるたびに孟子は再評価され、新しい王朝を誕生させる原動力にもなりました。日本においても明治維新を生み出す思想の根本に『孟子』があったといいます。

『孟子』は名言が多い書物

『孟子』が出典となった故事成語やことわざはたくさんあります。その中から5つを紹介します。

【五十歩百歩】
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ/ごじゅっぽひゃっぽ)とは、わずかな違いだけで、大差はないことのたとえです。自分と同じ立場にある相手を嘲笑することの愚かさを指摘する意味なので、良い意味のたとえには使われません。五十歩逃げた兵士が百歩逃げた兵士を笑うのはおかしいというたとえの会話が出典となっています。

【似て非なるもの】
似て非なるもの(にてひなるもの)とは、一見似ているようだが、本質は異なるもの、正しくないもののことです。穀物の苗に似た雑草を憎むという話のたとえから、似ていてもまがいものは憎むという意味の格言です。

【仁者は敵なし】
仁者は敵なし(じんしゃはてきなし)とは、おもいやりの徳がある人は、深い愛情を示すので敵となる者はない、という意味です。

【孟母三遷の教え】
孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)とは、前に説明した孟子の母の逸話から、教育における環境の大切さをいう言葉です。日常の環境の積み重ねが習慣となって成長に影響することをいっています。

【孟母断機の教え】
孟母断機の教え(もうぼだんきのおしえ)も前に説明した孟子の母の逸話から、本当に為すべきことは、途中でやめてはならないという格言です。

『孟子』の言葉を書き下し文と一緒に紹介

『孟子』の中から、書き下し文(読み下し文)と訳文を紹介します。

万物みな我に備わる。身に反して誠なれば、楽しみ、これより大なるはなし。
うちに備わる力を作動させ、誠実無垢な境地に達すればそれ以上の楽しいことはこの世にはない。

求むれば則ち之れを得。我に在るものを求むればなり。これ求むること得るに益なきは、外に在るものを求むればなり。
生まれつき人の内に備わっているものは求めさえすればすぐに得られる。一方で人間の外にあるものを求めても得られないか、得られても役に立たないものだ。

仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。
仁は人が安心できる住まいである。義は人が胸を張って歩く正しい道である。

仁は人の心なり。義は人の路なり。
仁は人の自然な心であり、義は人が踏みゆくべき正しい道である。

君仁なれば仁ならざることなく、君義なれば義ならざることなし。
君主が仁であれば人民も人徳を持つ人となり、君主が義であれば仁民も義の徳に生きる。

まとめ

覇道政治に異を唱えて王道政治を説いた孟子の思想は、当初は受け入れられませんでしたが、国づくりが困難な状況になるとそのたびに見直されてきたといいます。孟子がみつめたのは人に備わった徳の心でした。人それぞれが徳を育て、開花させることによって国全体が安定し、理想の社会が実現すると説きました。困難な状況にいるときにこそ、原点に戻って考える歴史が繰り返されてきたといえます。

■参考記事

「諸子百家」の意味とは?流派の一覧とそれぞれの思想も紹介