「親鸞」の思想や教えとは?その生涯や名言も解説

仏教書のベストセラーである『歎異抄』は「親鸞」の思想や教えを綴った書です。仏教書でもっとも多くとりあげられるという「親鸞」とは、どのような人物だったのでしょうか?また人間の常識をくつがえす「悪人正機」とは、どのような思想から生まれたものなのでしょうか?ここでは親鸞その人についての概要と、その思想の背景を解説します。

「親鸞」とは?

親鸞の思想は「絶対他力」

親鸞とは、「絶対他力」の思想を説いた人物です。「絶対他力」とは、阿弥陀如来に全てを任せきることで誰もが救われるとする思想です。「他力本願(たりきほんがん)」ともいいます。

この「絶対他力」とは、凡夫は自らの力では回向(えこう:功徳を他者に施すという意味)することができないため、回向はすべて阿弥陀仏の本願力であるとする理論です。このことを「他力回向」といいます。

親鸞の読み方は「しんらん」

親鸞の読み方は「しんらん」です。

親鸞の主著は『教行信証』

親鸞の主著は『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)です。古代インドの経典や中国、日本の高僧の教えを引いて、浄土に生まれるための修行法として、本願他力の念仏を明らかにしたものです。

親鸞の教えは『歎異抄』に集約されている

親鸞が没してから約30年後に、弟子の唯円が書いたとされる『歎異抄(たんにしょう)』に、親鸞の思想と教えが集約されています。

その背景には、親鸞なきあと、弟子たちが作った教団内で意見の相違や親鸞の教えの曲解が生まれ、混乱が発生したことがあります。そのような事態を嘆いた唯円が、親鸞からの教えや会話を思い出しながら著した書が『歎異抄』です。

日本の宗教関係の書で、『歎異抄』がもっとも多く読まれているとされます。それは人間にとって「善悪とは何か」を深く考えさせられる思想が語られているからです。

親鸞は「悪人正機」を提唱した

『歎異抄』の中では「悪人正機(あくにんしょうき)」が語られます。「悪人正機」とは、「悪人こそが、極楽浄土へゆける」とする読んだ人に衝撃を与える思想です。原文の一部と現代語訳文を紹介します。

善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。

善人ですら極楽浄土へ行くことができるのだから、まして悪人が行けるのは当然のことである。しかし世間の人は常にその反対のことをいう。悪人ですら極楽へ行くことができるのだから、まして善人が行くのは当然ではないかと。

常識的に考えると、善人が悪人より極楽に行ける可能性が高いと誰もが考えますが、親鸞はその常識を否定します。なぜなら、善人はみずからの善を誇り、阿弥陀様におすがりしようとする他力の心が欠けているため、そのような自力の心があるうちは、阿弥陀様の救済の対象ではないと考えるからです。

■「悪人正機」については以下の記事で詳しく紹介していますので参考にしてください。

「悪人正機」の意味とは?唯円の『歎異抄』からわかりやすく解説

「親鸞」の生涯とは?

親鸞の生涯について説明します。

「法然」の弟子になる

親鸞は1173年に生まれ、9歳の時に比叡山で仏道修行に入ります。しかし自らの煩悩との葛藤や、人間が生まれながらに背負う業の解決に深く悩み、20年後に比叡山を下りて法然の弟子となります。

親鸞は法然の説いた「称名念仏」に深く感激し、「法然に騙されて念仏を唱え、たとえ地獄におちても悔いはない」とまで言ったということが『歎異抄』に書かれています。

「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」とは「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」ともいい、「南無阿弥陀仏」と口に出して称えることで誰もが救われるとする思想です。

■参考記事
「法然」の思想とは?その生涯や弟子の親鸞との違いも解説

非僧非俗として妻をめとる

法然と親鸞の思想は旧来の仏教を否定するものでもあったため、権力者たちから厳しい弾圧を受けます。1207年には念仏禁止令が出され、法然は土佐に流罪になり、親鸞も越後に流されました。親鸞はその時から「非僧非俗」となり、僧侶の戒律を破り妻をめとり、肉食も行います。そのあり方は、のちの僧侶のあり方に影響を与えました。

「浄土真宗」の開祖とされる

親鸞自身は教団を作ることはしませんでしたが、親鸞なきあと、弟子たちが教団をつくります。その教団をのちに「浄土真宗」として独立させたのが「蓮如(れんにょ)」です。

親鸞は90歳で亡くなるまで寺も持たず、在野で他力本願の念仏を説き、人間の煩悩と向かいあいました。

「親鸞」の名言を紹介

親鸞の名言を紹介します。

「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」

善人ですら極楽浄土へ行くことができるのだから、まして悪人が行くのは当然である、という「悪人正機」を語る親鸞の有名な言葉です。

「現生不退(げんしょうふたい)」

親鸞の思想を表す端的な言葉であり、阿弥陀仏から回向を受ければ浄土に往生できるとする教えの言葉です。

「念仏者は無碍(むげ)の一道なり。」

阿弥陀仏に救われた人は妨げが一切ない世界に出ることができる。あるいは、念仏者は妨げがない道を歩むことができる、と解釈される親鸞の教えの言葉です。

まとめ

親鸞の人生は、生きる苦しみと向かい合い続けた一生でした。現実をありのままに受け止め、阿弥陀如来にすべてを任せきるという親鸞の思想は、苦しみとの葛藤の中で生まれました。親鸞の思想が記された『歎異抄』には、人間の内面に潜む虚偽の心への告発があるといいます。

親鸞の「念仏」や「他力思想」そして「悪人正機」は、日本人の思想や文芸作品にも大きな影響を与え続けています。

「親鸞」に関する本は数多く出版されていますので、興味を持たれた方はアマゾンなどで検索してみてください。