「紀元節」の意味とは?「天長節」との関係や「建国記念の日」も

「紀元節」は、神武天皇が即位したと伝えられている日です。西暦ではない日本独自の紀年法の元になった日でもありますが、現在は「建国記念の日」として祝日に制定されています。この記事では「紀元節」の意味と由来のほか、「四大節」や「天長節」との関係についても紹介しています。

「紀元節」の意味とは?

「紀元節」とは神武天皇が即位した日

「紀元節(きげんせつ)」とは、神武天皇が即位したと日本書紀で伝えられている日です。当時の暦では1月1日でしたが、明治に入って新暦に換算されて2月11日となりました。なお、神武天皇が即位したのは、西暦では紀元前660年にあたります。

「神武天皇」は初代天皇

神武天皇は初代天皇で、天孫(天照大神の孫)である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫と伝えられている神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)です。以来皇統は途切れることなく引き継がれ、令和の天皇は第126代にあたります。

「紀元」は日本の紀年法

現在主流となっている西暦は、イエス・キリストが生まれたとされる年を元年にした紀年法です。一方、神武天皇が即位したとされる年を元年とする紀年法は、「神武天皇即位紀元」と呼ばれるもので、1872年に制定されました。

通称で「皇紀(こうき)」「皇暦(こうれき)」「神武暦」と呼ばれていましたが、第二次世界大戦敗戦後の1948年に廃止されました。

なお、零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき・通称零戦)の「零」は、採用年次の皇紀2600年の下二桁から採ったものです。

「紀元節」の「節」とは「節会」のこと

「紀元節」の「節」とは、「節会(せちえ)」のことです。季節の変わり目に祝事をする「節日(せちにち)」に朝廷で催された宴会で、その由来は奈良時代以前からともいわれています。

平安時代に盛んになり、元日・白馬 (あおうま) ・踏歌 (とうか) ・端午(たんご)・相撲 (すまい) ・重陽 (ちょうよう) ・豊明 (とよのあかり) などの行事が盛大に執り行われました。時代を経て「節会」は、国の祝祭日となっていきます。

「紀元節」の現在の呼び名とは?

「紀元節」は現在の「建国記念の日」

「紀元節」は戦後、GHQ(連合軍総司令部)の指令により廃止されました。1966年には「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、国民の祝日「建国記念の日」となったのです。

なお、「記念日」ではなく「記念の日」となったのは、神武天皇の実在や即位日が史実と確定されていないためとされています。

「紀元節」は今も行われている

神武天皇とその皇后である媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)が祀られている橿原神宮は、1890年に明治天皇が創建したものです。

神武天皇が即位の礼を行ったといわれる橿原宮の跡地にあり、現在も2月11日には「紀元祭」が斎行されています。

「四大節(四方拝・紀元節・天長節・明治節)」とは?

「四大節」とは戦前にあった4つの祝祭日

「四大節」とは、太平洋戦争が終結するまで行われていた4つの祝祭日のことです。「四方拝(1月1日)」「紀元節(2月11日)」「天長節(4月29日)」「明治節(11月3日)」の総称で、「紀元節」は「四大節」のひとつということになります。

「四大節」には、軍隊だけでなく小学校でも拝賀式が挙行されていました。しかし、戦後「四大節」はGHQの指令により廃止されました。

「四方拝」とは元旦に行われる宮廷行事

「四方拝(しほうはい)」とは、平安初期から行われていた宮廷行事です。1月1日の早朝に、天皇が四方に向かって五穀豊穣と国家安寧を祈るというものでした。

戦後GHQによって廃止されたのち、1948年に公布された「国民の祝日に関する法律」によって、元旦として祝日に制定されました。

なお、「四方拝」は現在も皇室の私的な行事として続けられています。神宮(伊勢神宮)の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、神武天皇陵や先帝三代の陵、さらに鹿島神宮や香取神宮などに向かって拝礼します。

「天長節」とは天皇の誕生日を祝う日

「天長節(てんちょうせつ)」は天皇の誕生日を祝う日です。明治時代には11月3日、大正時代には8月31日に行われていました(暑さのため、1914年以降は10月30日に変更)。

昭和に入ると、昭和天皇の誕生日である4月29日が「天長節」となりました。しかし、戦後GHQにより廃止され、前出の「国民の祝日に関する法律」で「天皇誕生日」として祝日になっています。

時代が平成に入ると「天皇誕生日」は「みどりの日」となり、2007年には「昭和の日」と改称され現在に至ります。

「明治節」とは明治天皇の功績をたたえる日

「明治節」とは、明治天皇の誕生日である11月3日に行われていたものです。1927年に制定され、明治維新後の近代国家創設に対する明治天皇の功績をたたえるためのものでした。

戦後GHQによって廃止されましたが、1946年11月3日に日本国憲法が公布されたことから、1948年「国民の祝日に関する法律」により「文化の日」として祝日となりました。

まとめ

「紀元節」の意味のほか、「四大節」「天長節」などとの関係について紹介しました。「紀元節」は初代天皇の即位した日であり、まさに国の始まりとされる日です。しかし「紀元節」などの「四大節」は、戦後GHQによって廃止されました。その後、名前を変えて祝日として復活しましたが、本来の意味合いはかなり薄められています。