「アーツアンドクラフツ運動」とは何か?歴史やモリス商会も解説

産業革命期のイギリスに興った「アーツ・アンド・クラフツ運動」を知っていますか?日本で人気のリバティ・プリントや、ウィリアム・モリスの壁紙を生み出したのがアーツ・アンド・クラフツです。

この記事では、アーツ・アンド・クラフツ運動の歴史とデザインについて紹介します。

「アーツ・アンド・クラフツ」とは何か?

「アーツ・アンド・クラフツ」とは”美術工芸運動のこと”

アーツ・アンド・クラフツ(Arts and Crafts Movement)とは、「美術工芸運動」のことです。芸術と工芸と生活を一致させようとする目的で、19世紀の後半のヴィクトリア時代のイギリスに興りました。

ヴィクトリア朝のイギリスでは、産業革命から起こった商業主義による大量生産によって、粗悪な商品があふれました。この状況を批判して、中世の手仕事の美しさや職人技を基礎として、生活の美化を目的とする「民衆の芸術」運動が起こったのです。

「アーツ・アンド・クラフツ」は”ウィリアム・モリス”が主導した

アーツ・アンド・クラフツ運動は、イギリスの詩人でありデザイナーであるウィリアム・モリス(1834年~1896年)が主導しました。

1861年に友人の建築家や美術家とともにモリスが設立した、ステンド・グラスや家具、壁紙など室内装飾を扱うモリス・マーシャル・フォークナー商会がその運動の起点とされます。その後モリスは1875年に単独でモリス商会を設立しました。

モリスはアート・ディレクターとしてステンドグラス、刺繍、カーペット、壁紙など、モリス商会の商品を開発・共同制作しました。植物の模様の壁紙など美しいインテリア商品を作り出し、生活と芸術の一致を目指しました。著書『生活の美』(1880年)において、「有用とも美しいとも思えないものを家のなかに置いてはいけない」とモリスは述べています。

モリスは質の高いインテリア製品の量産体制を作った初めての人であり、そのためモリスは商業的なモダンデザインの先駆者とも呼ばれます。

1880年代になると、ロンドンを拠点とする複数のグループによる社会的な芸術運動に発展し、やがてその運動はイギリス全土に拡大しました。

1887年にはアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会が設立され、その翌年から第一次世界大戦まで展覧会は定期的に開催されました。1891年からはモリスが会長に選出され、「当協会の課題は、商業的な仕上げではなく、真に芸術的な仕上げによる実用品の装飾に、人々の注意をひきつけることだ」と述べました。

協会には、この時代に活躍した工芸家や建築家、さまざまま分野の芸術家が加わり、運動は大きな潮流となり、欧米諸国に広がりました。

「ジョン・ラスキン」がモリスに指針を与えた

『ゴシックの本質』
(出典:Wikimedia Commons User:Solipsist~commonswiki)

モリスは、芸術と自然との協調関係を重要視しました。美しいものは自然と一致し、自然を促進するが、醜いものは自然に逆らっており、自然の邪魔をしていると語りました。また、芸術が作り手にも使い手にも理解されることを望み、芸術による労働の喜びを説きました。

モリスの芸術論に指針を与えたのが、ヴィクトリア時代を代表する美術評論家のジョン・ラスキン(1819年~1900年)です。特に『ヴェニスの石』に収められた『ゴシックの本質』という建築芸術論がモリスに影響を与えました。

ラスキンは、ゴシック建築の細部を見て、その職人はこれを作ったときに幸福であったかと問います。ラスキンの芸術創造の視点からの社会批判の目はモリスに引き継がれました。

モリスは、晩年に『ゴシックの本質』を抜き出し、自らデザインして発行しています。

「アール・ヌーヴォー」や「バウハウス」にも影響を与えた

アーツ・アンド・クラフツ運動は、フランスの新しい芸術運動「アール・ヌーヴォー」や、ドイツ語圏でのアール・ヌーヴォーの動きである「ユーゲント・シュティール」にも影響を与えました。

ドイツにおいては、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響のもと、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ(1863年~1957年)が、モダンデザインの教育機関である「バウハウス」の前身となったヴァイマールの美術工芸学校を設立しました。

日本では同時期に「柳宗悦」が民藝運動を行った

日本では、柳宗悦(やなぎむねよし(1889年(明治22年)~ 1961年(昭和36年))が民藝運動を起こしました。柳は日本や朝鮮の工芸品を調査・収集する中で、民衆の工芸品の美術的価値を称賛する「民藝(みんげい)」という新語を作り、民藝論を提唱し、日本民藝館の館長となるなど独自の運動を行いました。

民藝運動は、国際的なアート・アンド・クラフツ運動の枠組みの中での運動ではありませんでしたが、近代芸術への批判から出発した民藝運動を指導した柳は、日本のモリスと称されることもあります。柳はアート・アンド・クラフツ運動へも関心を寄せ、影響を受けました。

「アーツ・アンド・クラフツ」を代表するデザインとは?

モリス商会のテキスタイルが日本でも人気

モリスは奇抜や新しいデザインを求めるのではなく、中世の装飾写本や初期フランドル絵画、歴史のある建築や絵画にモチーフを求め、パターンに取り入れました。モリスの代表作とされるのは『いちご泥棒』(1883年)で、当時の一番の人気でしたが、現在も同じデザインのテキスタイルが発売されています。

用と美を兼ね、しかも安価な壁紙やテキスタイルは、「民衆のための芸術」を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動の理念にもかなうものでした。

リバティ百貨店の建物が代表的な建築

リバティ百貨店
(出典:Wikimedia Commons User:Gryffindor)

現在もロンドンで営業する老舗百貨店のリバティは、1875年に前身となる商店が開業しました。日本をはじめとする東洋の装飾品やファブリックを扱い、ジャポニスムの流行とともに人気を得ました。

リバティ社は、アーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーの潮流から生まれたデザイナーや作家と交流を深め、その商品を取り扱い、オリジナル商品も制作しました。現在、日本ではリバティ社のファブリックが人気で、オリジナル商品も多数販売されています。

リバティ・プリントと呼ばれるデザインや模様は、ペイズリー模様や小花柄とともにアール・ヌーヴォー柄も展開されています。リバティのアール・ヌーヴォー柄は、モリスのデザインした植物文様がデザインのベースに取り入れられています。

1924年に建てられた現在のリバティ百貨店は、15世紀~17世紀にかけて流行した、白の漆喰の壁に黒の木材が特徴の、チューダー様式をリバイバルした建物です。アーツ・アンド・クラフツを代表する建築物の一つとして知られています。

まとめ

アーツ・アンド・クラフツ運動は、「モダンデザインの父」と呼ばれるウィリアム・モリスによって推進されました。芸術と工芸と生活を一致させようとするアーツ・アンド・クラフツの理念は、1919年にドイツに生まれたバウハウスに引き継がれました。

■参考記事
「バウハウス」とは何か?デザイン教育の歴史と建築や作品を紹介
「アールヌーボー」とは?アールデコとの違いや建築なども紹介