「キュビズム」の意味とは?ピカソとブラックの理論や歴史を解説

ピカソの「キュビズム」絵画を目にしたことがある人も多いでしょう。一見すると何が描かれているのかわからない幾何学的な表現のキュビズム絵画を、ピカソはなぜ描いたのでしょうか?

この記事では、キュビズムの意味や理論、セザンヌの影響も含めたピカソとブラックの実験の歴史について解説します。

「キュビズム」の意味とは?

ピカソのポートレート(1908年)
(出典:Wikimedia Commons User:Coldcreation)

「キュビズム」の意味はピカソとブラックが創始した現代美術の様式

「キュビズム」とは、20世紀初頭にパブロ・ピカソ(1881年~1973年)とジョルジュ・ブラック(1882年~1963年)が中心となって創始した現代美術の様式です。キュビズムはルネサンス以降のにおける最も大きな美術改革となり、それ以降の絵画の描き方や主題の選ばれ方が大きく変化しました。

キュビズムは立方体(キューブ)がその名の由来となったとおり、幾何学的な表現で視覚的世界に依存しない絵画様式の構築を目指しました。ピカソとブラックは日常的なものや裸婦像などをモチーフとして造形的な実験を行い、その成果は20世紀抽象美術へつながりました。

「キュビズム」の特徴や理論とは?

ブラックのポートレート(1910年)
(出典:Wikimedia Commons User:Coldcreation)

「キュビズム」の特徴は幾何学的な構成と変化を抑えた色彩

キュビズム絵画の特徴は、幾何学的な構成と変化を抑えた色彩です。また、伝統的な遠近法を排し、複数の視点からみた形態を二次元に再構築する構図や、対象を線によって分析したことも特徴です。

明るく強烈で革新的な色彩を特徴とする「フォービズム(野獣派)」に対立する様式としても捉えられます。キュビズムはフォービズムによる色彩の解放に続いて形態を解放し、抽象絵画の胎動となりました。

絵画は現実の記号化だという理論から出発

19世紀末から20世紀初めのヨーロッパでは、美術の新しい運動が相次いで起こりました。それはルネサンスから続く伝統的な絵画の見方に対しての問い直しでした。

絵画における自然の再現とは、自然の形を写すのではなく、現実を別の形式に置き換えた画家自身の感覚の表現であるという理論からキュビズムは出発しました。

ピカソとブラックは、記号化の実験を重ねてゆき、その様式は絶えず変化を続けました。

同時期の「シュルレアリスム」とは異なり芸術運動ではない

20世紀初頭には、未来派やダダ、シュルレアリスムといったさまざまな前衛的美術運動が欧米各地で興りました。キュビズムは、それらの運動とは異なり、特定の芸術家や集団が宣言のもとに活動したものではなく、キュビズムを模索した芸術家の様式に対して批評家が名付けた名称です。

英語では「キュビズム」、フランス語では”キュビスム”と発音が異なる

英語では「 Cubism(キュビズム)」、フランス語では「cubisme(キュビスム)」と発音が異なり、カタカナ語ではどちらの表記も用いられます。”立体派”と訳されることもあります。

「キュビズム」の3段階の発展の歴史

セザンヌ『サント・ヴィクトワール山』1904年
(出典:Wikimedia Commons)

ピカソとブラックが行ったキュビズムの実験運動は、1907年のピカソの『アヴィニョンの娘たち』によって先鞭がつけられ、「セザンヌ的キュビズム」「分析的キュビズム」「総合的キュビズム」の3段階にわたって発展しました。これらキュビズムの歴史について解説します。

ピカソの『アヴィニョンの娘たち』が先鞭となった

ピカソが1907年に制作した『アヴィニヨンの娘たち』(1907年)は、ピカソの新しい時代の始まりとなりました。加えて、近代美術の始まりを告げるキュビズム様式の革命的な作品でした。

幾何学的形態や仮面のような顔にデフォルメされた非現実的な人物を特徴とし、アフリカの工芸品から得たインスピレーションも反映されています。

この作品は美術家仲間や批評家からは酷評され、大胆にデフォルメされた5人の人物像を見たアンリ・マティスは、近代美術の愚弄だと述べたといいます。

分析的キュビズムの起源「セザンヌ的キュビズム」

美術評論家のウィリアム・ルービンは、キュビズム前期の分類である分析的キュビズムの起源として「セザンヌ的キュビズム」を提唱しました。セザンヌの筆触や構成法 から着想を得て、幾何学的な単純化を行った様式を指します。

ポール・セザンヌ(1839年~1906年)は自然を緻密に研究し、平面的な色使いと繊細な筆致で複雑に対象を再現しました。キュビズムへの影響や20世紀近代絵画の基礎を築いたことから近代絵画の父とも呼ばれています。

セザンヌの「自然を円筒形、円錐形、球体として捉えよ」という絵画理念や、『サント・ヴィクトワール山』などの作品に触発されたブラックは、1808年にセザンヌ的キュビズムの最初の風景画を生み出し、その後ピカソが取り入れました。

ピカソのセザンヌ的キュビズムは、『アヴィニョンの娘たち』で表現されたアフリカ的な作風が終了してから始まりました。

前期の様式「分析的キュビズム」

キュビズム活動の前期を「分析的キュビズム」と呼びます。ピカソの1909年に描かれた絵画『女性頭部像』および同タイトルの彫刻で表現されたクリスタル状の幾何学形態を用いた作風が「分析的キュビズム」の始まりで、1911年頃まで続きました。

キュビズムの当初の目的は、印象派以降に画面が平面化したことで失われた彫塑的な形態を取り戻すことでした。分析的キュビズムは、「閉じられた形態」が解体され、「開かれた形態」を意味する用語として用いられます。

後期の様式「総合的キュビズム」

1912年頃から1914年までのピカソとブラックのキュビズム実験期は、「総合的キュビズム」と呼ばれます。画面に文字が導入され、木目模様を模写したりクロスを貼り付けるコラージュなども用いられました。絵画の中に持ち込まれた日常の要素は、別の何かを表す記号としての役割がありました。

まとめ

「キュビズム」とは、ピカソとブラックが20世紀前半に創始し、さまざまな実験を重ねた芸術の様式です。セザンヌの理論や絵画などに触発を受けて開始されました。

ピカソとブラックのキュビズム運動は第一次世界大戦の勃発により終わりを迎えましたが、その影響は写真や建築など芸術全般に及び、また多くの追随者を生み出しました。

さらに、大戦後に興った芸術運動「ダダ」や「シュルレアリスム」などの前衛芸術運動に影響を与え、20世紀美術の可能性を切り開きました。

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