「応神天皇」は、八幡宮の御祭神として知られている第15代天皇で、実在した最初の天皇という学説もあります。また、応仁天皇陵は仁徳天皇陵に次ぐ国内第2の巨大古墳です。この記事では「応神天皇」について、血縁関係や八幡宮との関係のほか、時代背景なども紹介しています。
「応神天皇」は実在の天皇?
「応神天皇」は第15代天皇
第15代「応神天皇(おうじんてんのう)」は、5世紀ごろに実在したと目されている最初の天皇です。諱(いみな)は誉田別(ほんだわけ)で、父・第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、母・神功皇后(じんぐうこうごう)との間に、第4皇子として生まれました。
仲哀天皇の死後、新羅に出兵して百済・高句麗を服属させた(三韓征伐)神功皇后が筑紫で応神天皇を出産したことから、胎中天皇(たいちゅうてんのう)とも呼ばれています。なお、神功皇后は日本初の紙幣(改造紙幣一円券・1881年発行)に肖像が採用された人物です。
「応神天皇」は日本武尊の孫で仁徳天皇の父
仲哀天皇は、日本古代史の英雄として知られる日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子でした。したがって、「応神天皇」は日本武尊の孫にあたります。
また「応神天皇」の第4皇子は、「民の竈」で知られる聖帝・第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)です。
実在したと目される「応神天皇」
中国南朝・宋の正史『宋書』にある『宋書倭国伝』には、倭の五王(讃・珍・済・興・武)についての記載があり、このなかの「讃」が「応神天皇」ではないかいう説があります。
また、大阪府羽曳野市には応神天皇陵古墳(誉田山古墳)がありますが、これは世界最大墳墓の仁徳天皇陵に次ぐ全国第2の巨大古墳です。これらのことから、「応神天皇」は実在したのではないかと目されています。
「応神天皇」は何をした人?
渡来系の氏族を多く受け入れた
「応神天皇」は百済との国交に積極的で、渡来系氏族を数多く受け入れるとともに、大陸の文化や技術を輸入しました。よく知られた秦氏や漢氏もこの時代に渡来したと伝えられています。
また、百済から2頭のつがいの馬が献上され、これ以降馬の飼育が全国に広がっていきました。
統一国家として大和政権を強化した
「応神天皇」は、大陸の文化と技術を導入するとともに、統一国家としての大和政権を強化した人です。海辺の民を「海部」、山の民を「山部」として支配化に置く制度を作りました。
応神天皇陵とその子である仁徳天皇陵ようなの巨大古墳を作ることができるほどの高い生産性と人員動員力をみても、大和政権が強固なものであったことがわかります。
大和から難波に遷都した
応神天皇は、現在の奈良県橿原市に軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや)を置いた後、現在の大阪市東淀川区に行宮(あんぐう・一時的な宮)として大隅宮(おおすみのみや)を置きました。
当時、難波周辺は淀川と大和川の土砂が堆積した島が数多くあり、その中の一つの大隅島に作られたのが大隅宮だったとされています。
応神天皇崩御の後、里人たちが帝の御徳を慕って宮址に神祠を建てたのが現在の大隅神社です。
「応神天皇」と八幡宮との関係
「応神天皇」は八幡宮の御祭神
八幡宮は、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする神社です。八幡宮は日本で最も多い神社として知られており、全国に7,800社以上存在しています。「応神天皇」はこの八幡宮の御祭神で、諱の「誉田別尊」の名でもお祀りされているのです。
なお宇佐神宮は、奈良時代に和気清麻呂が道鏡から皇統を守るお告げを受けたことでも知られています。
八幡宮は源氏の氏神様
「応神天皇」は弓術の達人だったとされていることから、武神として信仰を集めていました。平安時代には、清和源氏が京都・石清水八幡宮を氏神としたほか、武勇や出世開運の神として、多くの武士に崇められてきたのです。
今でも八幡宮は成功・開運にご利益がある神社として、多くの人々からの信仰を集めている人気の高い神社です。
宇美八幡宮は「応神天皇」の生誕地
福岡県糟屋郡宇美町の宇美八幡宮は、「応神天皇」の生誕地です。三韓征伐から戻った神功皇后が応神天皇を生んだことから名付けられた「宇美(うみ)」の地に創建された神社で、今なお安産・育児の信仰を集めています。
御祭神は応神天皇と神功皇后のほか、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、住吉大神(すみよしおおかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)です。
安原八幡神社は幼少の「応神天皇」が預けられた地
和歌山市相坂にある安原八幡神社は、神功皇后が三韓征伐から凱旋の途中、忠臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)に幼い応神天皇を預けたとされる地にある神社です。
三韓征伐を終えた神功皇后が凱旋する際に、忍熊王(おしくまのみこ)が謀反を企てたため、応神天皇を武内宿禰に預けて自身は迂回して再び安原に上陸しました。なお、安原八幡神社の御祭神は、応神天皇・神功皇后・武内宿禰です。
まとめ
「応神天皇」は実在したと目されている天皇で、大和を統一国家として強化した人物です。渡来人を数多く受け入れ、大陸の文化や技術の輸入にも積極的でした。
八幡宮は日本で最も多い神社ですが、「応神天皇」はその御祭神です。系図には日本武尊(父方の祖父)や仁徳天皇(第4皇子)など、有名な人物が記載されています。