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「写実主義」の意味とは?「ロマン主義」との関係や絵画も紹介

「写実主義」は「リアリズム」の訳語です。写実主義の画家・作品としてはミレーの『落穂拾い』がよく知られており、日本でも人気です。この記事では、写実主義の意味や歴史を解説します。あわせて代表的な画家と作品も紹介します。

「写実主義」の意味とは?

「写実主義」とは対象をありのままに描こうとする芸術の潮流

「写実主義」とは、抽象化したり理想化したりすることなく、描く対象をありのままに正確に再現しようとする芸術の傾向または様式のことです。

狭義の意味では、19世紀中頃のフランスを中心に起こった、美術史上の潮流を指します。その頃のフランスでは産業革命が進み、新興の富裕層が台頭し、近代的な市民社会が形成されました。芸術の受容者は王侯貴族から市民へとすそ野が広がり、身近な題材やわかりやすく写実的な表現が好まれるようになったのです。この記事ではこの意味での写実主義について解説します。

写実主義の代表的な画家には、無名の人々の肖像画や現実の女性の写実的な裸婦像を描いたギュスターヴ・クールベ(1819年~1877年)、貧しい農民の暮らしを描いたジャン=フランソワ・ミレー(1814年~1875年)、ありふれた風景を豊かに描き、印象派に影響を与えたカミーユ・コロー(1796年~1875年)などがいます。

「写実主義」とは英語の”realism(リアリズム)”と同じ

「写実主義」は、フランス語の”réalisme(レアリスム)”、英語の「realism(リアリズム)」からの訳語で、それぞれは同じ意味です。それぞれのカタカナ語としても定着しています。

レアリスムやリアリズムはおもに芸術や文学において用いられます。「réalisme」「realism」の原語は”実在の、現実の”という意味のラテン語「realis」で、哲学の分野では「実在論」とも訳されています。

「写実主義」の成り立ちとは?

「写実主義」を最初に理論づけたのはクールベ

「写実主義」の考え方を最初に理論づけたのはフランスの画家ギュスターヴ・クールベ(1819年~1877年)です。クールベは、「存在しないものを見ようとしたり、存在するものを想像でゆがめたりはしない」と主張し、フランス写実主義をけん引しました。

クールベは、1855年のパリ万博に『オルナンの埋葬』を出品しようとして展示を拒否されたため、会場の近くで個展を開き、自らを「レアリスト(写実主義者)」と名乗りました。レアリスムの美術用語が定着したのはこの時からでした。

「ロマン主義」への反動として”写実主義”が起こった

写実主義は、ロマン主義への反動として起こりました。ロマン主義は、理性や合理性を重んじる古典主義に対して、自由な感性による感情表現や多様な美の表現を尊重した芸術の潮流です。18世紀後半から19世紀中頃の間のヨーロッパに興りました。

ロマン主義は歴史や神話の寓意などを主題として過去を想像して描くため、ドラマチックに美化したり、理想的な表現が尊重されました。先に説明した時代の変化に伴い、庶民の生活や労働など、美醜を問わない人間の真の姿を描く写実主義がロマン主義への反動として起こったのです。

19世紀後半には、写実主義の延長に文芸思潮として「自然主義」が起こりました。見たものをありのままに描く写実主義から一歩進んで、人間の生や精神の醜悪なども描写しようとしました。

ロマン主義から写実主義に展開した「バルビゾン派」

19世紀の中頃、パリ近郊のフォンテンブローの森に愛着を持ち、森の入口にあるバルビゾン村に住んだ風景・風俗画家のグループを「バルビゾン派」と呼びます。ありふれた農村の風景や農民の暮らしを描き、フランス写実主義に展開しました。

コロー、ルソー、ミレーなどが代表的な画家で、自由な感性を尊重したロマン主義的な風景画から出発し、ありのままの現実を描こうとする写実主義へ達しました。外光の下で描くリアリスムの絵画は、後の印象派に影響を与えました。

「写実主義」の代表的な画家と作品を紹介

写実主義運動を指導したクールベの『オルナンの埋葬』

(出典:Wikimedia Commons User:Vangogho~commonswiki)

『オルナンの埋葬』(1849年)は、山奥にあるオルナンという田舎町で開かれた、名もない人の葬式を「歴史画」としてクールベが描いたものです。当時の歴史画とは、ギリシャ神話や聖書の物語などを格調高く描くものであり、クールベの主題は革新的でした。

自分の生きる時代に起こっている目の前の現実を描くのが歴史画であるとしたクールベの考え方は、他の芸術家に大きな影響を与えました。

農民画で知られる「ミレー」の『落穂拾い』

(出典:Wikimedia Commons User:Crisco 1492)

農民画で知られるバルビゾン派の代表的画家ミレーは、1849年にバルビゾンに移住し、1857年に代表作となる『落穂拾い(おちぼひろい)』を描きました。

『落ち穂拾い』は、麦の落ち穂拾いをする貧しい人々にミレーが着眼して描かれたものです。当時の農村では、貧しい人が命をつなぐために刈り入れ後の落穂を拾うことは権利として認められていました。

ミレーはこの他にも『種まく人』や『晩鐘』など、貧しい農民を主題に農民画を多く描きました。『種まく人』は1978年に山梨県立美術館が購入しています。

まとめ

19世紀のフランス絵画は、古典主義、新古典主義、ロマン主義に対立して「写実主義」へと移りました。近代的な市民社会の形成とともに、神話や宗教をテーマとして美を理想化した芸術表現から、目の前の現実の美醜にテーマが移ったのです。

写実主義はその後に続く印象派に影響を与えるとともに、20世紀に発展した抽象芸術と対立する概念としても論じられます。

■参考記事
「ロマン主義」とは?成り立ちと絵画・文学・音楽及び作家も解説
「印象派」とは何か?絵画の特徴や代表的な画家と作品も解説
「抽象画」の意味とは?有名画家や代表作品と芸術運動も解説