ダリやマグリットの絵が代表する「シュルレアリスム」とは、どのような意味を持つ思想なのでしょうか?現実を超えた現実を表現したシュルレアリスムの意味や背景を解説します。あわせて、代表的な画家・文学者とその作品についても紹介します。
「シュルレアリスム」とは?
「シュルレアリスム」とは”超現実”を追求する芸術思想
「シュルレアリスム」とは、フランスの詩人・文学者のアンドレ・ブルトン(1896年~1966年)が提唱した、20世紀の芸術界を代表する思想活動です。日本語では「超現実主義」と訳されます。
シュルレアリスムは、フロイトの提唱した精神分析理論を支柱として、人間の無意識に芸術の根源を見い出し、現実の奥に隠された「現実を超える現実」を表現して、真の自由を獲得するという運動です。
シュルレアリスムは、一般的には絵画、映像など芸術と文学における一つの形態を表す概念として理解されますが、物の見方や生き方にまで広がる哲学的運動としても展開されました。シュルレアリスムの芸術家や思想を実践する人をシュルレアリストと呼びます。
カタカナ表記として、「シュールレアリスム・シュールレアリズム・シュールリアリズム」などさまざまに表記されますが、フランス語の発音から「シュルレアリスム」が正しい表記です。フランス語で「surréalisme」、英語では「surrealism」と書きます。
また、「現実離れした、奇妙な」という意味で使われるカタカナ語「シュール」と「シュルレアリスム」は意味が異なります。「シュール」という言葉は、「シュルレアリスム」を短縮したカタカナ語の造語ですが、使われる過程で意味が違ってきた言葉です。
「シュルレアリスム」には「現実離れした」という意味はなく、「超現実主義」と訳されるように、「現実を超えた現実」を意味しています。
アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』によって定義された
第一次世界大戦後の1924年にアンドレ・ブルトンが発表した『シュルレアリスム宣言・溶ける魚(Manifeste du surréalisme/Poisson soluble)』において、シュルレアリスムが明確に定義され、思想の宣言がされました。定義は次のように書かれました。
心の純粋な自動現象であり、この自動現象にしたがって、口述、記述、その他あらゆる手段を用いながら、思考の実際の働きを表現することを目指す。理性によっておこなわれるどんな制御もなく、美学的、道徳的な一切の懸念からも解放された、思考の書き取り。
『シュルレアリスム宣言』は、当初は『溶ける魚』の序文として書かれたものでした。『溶ける魚』とは、自動記述による物語集で、「超現実」と呼ばれる何かを感じたブルトンが、書く内容をあらかじめ用意せずに、スピードにまかせて次々に物を書いていくという試みを行って生まれた物語です。
シュルレアリスムの手法は「自動記述」
「自動記述(オートマティスム)」とは、心理学用語の「自動書記」とは異なり、「書く」とは何かという実験でした。シュルレアリスムは自動記述の発見から、つまり文学から始まりました。高速で文章を書いたり、半ば眠った状態で口述筆記を行う実験が行われ、文学の手法がのちに絵画の手法に適用されました。
シュルレアリスムは、文学や芸術における、思考とその表現の仕方についての、実験をともなった論理的追求であったといえます。
シュルレアリスムに賛同する詩人や画家など、大勢の芸術家がパリに集まり、革命精神を伴う大きな文化運動として、シュルレアリスムは世界に広まりました。
「ダダ」を母体にシュルレアリスムが生まれた
第一次世界大戦中の、1916年に「ダダ(ダダイズム)」と呼ばれる芸術運動が、中立国スイスのチューリヒに誕生し、欧米のいくつかの都市に広がりました。近代文明への批判や大戦に対する抵抗から、根源的な生の感覚を回復しようとして詩人や芸術家の間に思想運動が展開されました。
ダダの思想は否定や破壊を原動力としていたため、第一次世界大戦が終結して平和が訪れると、しだいに終息に向かいます。ブルトンはダダの精神を受け継ぎながら、ダダの否定主義から離れ、新しいものを創り出そうとシュルレアリスムに向かいます。ブルトンが1924年にシュルレアリスム宣言を発表した頃には、ダダは勢いを失っていました。
フロイトの「精神分析理論」がシュルレアリスムの支柱
ブルトンは、フロイトの精神分析学に親しんでいました。シュルレアリスムの思想はフロイトに影響を受け、意識の下に閉じ込められている無意識の欲望が、夢を通じて出現すると考えました。シュルレアリストは、夢を手掛かりに無意識を探求し、夢の中の世界を思わせる具象的な絵画を制作しました。
語り継がれる1938年の「シュルレアリスム国際展」
1925年にパリで始まった「シュルレアリスム展」は、1936年にはロンドンにおける「国際シュルレアリスム展」に発展し、1938年のパリで大規模に開催された国際展は、シュルレアリスムの歴史の中でも語り継がれる出来事となりました。
1938年の「シュルレアリスム国際展」は、奇抜な作品の内容とともに、展示の仕方の特異さも大きな話題となりました。サルバドール・ダリは、タクシーの中のマネキンの上に雨が降る「雨降りタクシー」を展示し、マルセル・デュシャンは天井から1,200個の石炭袋を吊り下げました。
また、暗がりの中に絵画を展示したり、効果音や香りの演出がされたりするなど、通常の芸術鑑賞とは異なる環境を演出し、特別な心理状態へと誘導しました。これらの演出は、現在のインスタレーションと呼ばれる空間展示のさきがけでした。
「シュルレアリスム」の代表的な画家とは?
「ルネ・マグリット」
ルネ・マグリット(1898年~1967年)はベルギーの画家で、1920年代にパリに滞在したときにシュルレアリスム運動に参加し、その後はベルギーで活動しました。
マグリットの作品『凌辱』は、女性の顔の部分が女性の胴体で描かれているもので、ブルトンがシュルレアリスムの講演録の表紙に採用するなどして有名になりました。その手法はデペイズマンと呼ばれ、モチーフをあるべき状態から切り離して別の場所に配置する手法で、マグリットが常に用い、60年代のポップアートにも影響を与えました。
■参考記事
「マグリット」の生涯と作品とは?『光の帝国』やポスターも紹介
「サルバドール・ダリ」
サルバドール・ダリ(1904年~1989年)は、スペインの画家で、1929年にパリに移り、シュルレアリスムのグループに参加しました。ダリが偏執狂的と自ら評した、妄想的な表現は人気を博し、シュルレアリスムの寵児となりました。
■参考記事
「ダリ」の生涯と作品とは?フロイトの影響や時計の意味も解説
「マックス・エルンスト」
マックス・エルンスト(1891年~1976年)は、ドイツ人の画家・彫刻家です。パリに出てシュルレアリスム活動に加わったエルンストは、ブルトンが提唱した自動記述を絵画に対応する技法として、「フロッタージュ」を用い、次いで油彩画の技法として「グラッタージュ」を開発しました。
フロッタージュとは、凹凸のあるものに紙をあててこすり、表面の質感を写し取る技法で、グラッタージュとは、絵具をのせたカンヴァスを凹凸のあるものの上に置き、絵の具を削り取ることで画面に質感を写す技法です。準備をしない偶然の形から、予期しないイメージを発見することをシュルレアリストは探求しました。
■参考記事
「エルンスト」とはどんな画家?シュルレアリスム技法や百頭女も
「パブロ・ピカソ」
パブロ・ピカソ(1881年~1973年)は、スペインに生まれた画家で、キュビスムを創始しました。時代によってさまざまな作風を変遷し、1920年代から30年代はシュルレアリスムの時代と呼ばれます。
シュルレアリスムの時代には、『自画像のある女の胸像』『赤い肘掛椅子の裸婦』など、人間の体や図像が解体された現実離れしたイメージの作品が描かれました。
■参考記事
「ピカソ」とその代表作を解説!「キュビズム」や「ゲルニカ」も
「シュルレアリスム」の代表的な文学者・詩人とは?
「ルイ・アラゴン」
ルイ・アラゴン(1897年~1982年)は、フランスの小説家・詩人です。シュルレアリスムを創始したメンバーの一人で、その理想に基づいた作品を著しました。中でも『パリの農夫』(1926年)はシュルレアリスムの傑作とされる小説で、パリに出た農夫の、素朴な目に見いだされる街角の神話を、幻想的に描きました。
「アンドレ・ブルトン」
シュルレアリスム運動の中心人物であるブルトンは、その思想を自らの詩や小説でも表現しました。主著『ナジャ』(1928年)は、ブルトンの自伝的な小説で、パリで偶然出会い、ナジャという名前をつけた不思議な女性とのエピソードを、自動記述の手法によって書き綴りました。
パリの街は、シュルレアリストたちにとっての実験の場でした。
「ジョルジュ・バタイユ」
ジョルジュ・バタイユ(1897年~1962年)は、シュルレアリスムの文学者として紹介されることが多いですが、その実情は少し複雑です。バタイユはシュルレアリスムに強い関心を持ち、自らの著書などで積極的に論じていました。例えば「シュルレアリスムとは、容認された限界に対する真に雄々しい異議申し立てであり、不服従への厳格な意志なのだ」とエッセイで延べ、その意義を肯定しています。
しかし、ブルトンはバタイユを精神的な錯乱者だとみて、バタイユに批判的でした。さらにバタイユは、自身の発行する雑誌『ドキュマン』や論文において、ブルトンとは異なるシュルレアリスムの思想を展開し、ブルトンとの間に批判の応酬がなされるなど、両者の間には確執がありました。
バタイユの闇への追求が、ブルトンの美学に合わなかったことが両者の確執の原因ともされています。いずれにしても、バタイユの『眼球譚』(1928年)は、シュルレアリスム文学の代表作とされます。
■参考記事
「バタイユ」の思想とは?『呪われた部分』『青空』や名言も紹介
まとめ
「シュルレアリスム」とは、日本語では「超現実主義」と訳される、文学・芸術の思想運動です。20世紀の世界における、芸術界の大きな潮流となりました。
シュルレアリスムは、人間の無意識に芸術の根源を見い出し、フロイトの無意識を思想の支柱として、人間が意識によってとらえる「現実を超える現実」を追求しました。
なお、「surréalisme:現実を超える現実」とは、「ものすごい現実」というような意味であり、現実を否定する思想ではありません。非現実的で奇妙な様子を「シュール」と表現し、シュールはシュルレアリスムの略語だと説明されますが、シュルレアリスムは「非現実」という意味を持たないことから、両者は別々の意味の言葉です。